エイリアン

Alien

1979年、アメリカ (117分)

2003年、ディレクターズ・カット版 (116分)

 監督:リドリー・スコット

 製作総指揮:ロナルド・シャセット

 製作:ゴードン・キャロル

    デヴィッド・ガイラー、ウォルター・ヒル

 共同製作:アイヴァー・パウエル

 脚本:ダン・オバノン

 (原案:ダン・オバノン、ロナルド・シャセット)

 撮影監督:デレク・ヴァンリント 

 プロダクション・デザイナー:マイケル・シーモア

 衣装デザイナー:ジョン・モロ

 編集:テリー・ローリングス

 音楽:ジェリー・ゴールドスミス

 キャメラ・フォーカス:エイドリアン・ビドル

 撮影助手:ヒュー・ジョンソン (ノン・クレジット)

 美術監督:ロジャー・クリスチャン、レス・ディレイ

 コンセプチュアル・アーティスト:ロン・コブ

 エイリアン・デザイン:H・R・ギーガー

 エイリアン頭部製作:カルロ・ランバルディ

 特殊効果監修:ニック・オールダー、ブライアン・ジョンソン

 出演:シガーニー・ウィーヴァー  トム・スケリット

    ジョン・ハート  ハリー・ディーン・スタントン

    イアン・ホルム  ヤフェット・コットー

    ヴェロニカ・カートライト

* ストーリー

 地球への帰途についていた宇宙貨物船ノストロモ号。7人の乗組員達は謎の救難信号を受けて長期睡眠装置から起こされ、未知の惑星に降り立つ。そこには異星人の船があり、船内に無数の卵が存在していた。そこで卵から飛び出した生物がケインの顔に貼り付く。ノストロモ号は意識のないケインを回収するが、彼の体内にはすでに異生物の幼体が産みつけられていた。エイリアンは脱皮を繰り返し巨大に成長、乗組員を襲撃する。

* コメント  *ネタバレ注意!

 番外編も含めて多くの続編が作られた、伝説的SFホラーの1作目。クリーチャーの造形や特殊効果に重きをおいたモンスター・パニック物の一種ですが、このシリーズがユニークなのは、若手監督の青田買い的な側面もある事。ジェームズ・キャメロン、デヴィッド・フィンチャー、ジャン=ピエール・ジュネと個性の異なる才人を排出し、母国に戻って『アメリ』を大ヒットさせたジュネの他、後の3人も今やハリウッドの重鎮です。

 ストーリーの構造もB級スプラッターの定石を踏襲していますが、ヒロインを強くて魅力的なキャラクターに設定した事と、SF映画としてのクオリティを追求した事、さらに、緻密を極めたディティールのこだわりと、CM業界で培われた映像美を加えた事で、後世に残る付加価値を持ったアクション・ホラーとなりました。ちなみにノストロモという船名は『デュエリスト/決闘者』の原作者で、スコットが崇拝するジョセフ・コンラッドの小説名から採用しています。

 スコット自身も「基本的には出来のいいB級ホラーだ」と言っていますが、準備期間に製作者パウエルから見せられた様々な参考映画の中で、唯一反応したのがトビー・フーパー監督の『悪魔のいけにえ』だったそうです。B級ホラーならヒロインが女性なのは定番と思えますが、実は製作陣もスコットもアクション・スリラーの主人公は男性という意識で、実は「女性にしろ」と指示したのは20世紀フォックスの責任者アラン・ラッド・ジュニア。

 クリーチャーに弱点がない事も、逃げ場のない閉鎖空間ホラーの強度を上げています。体液が強い酸で宇宙船の壁や床に穴を開けてしまうので、船外に排出するか、自分達が脱出するしか方法がない訳です(イヤな設定を考えつくものですね)。スイスの画家H・R・ギーガーのデザインをそのまま使った、エイリアンやその母船の造形の異様さも圧倒的で、それが本作の特殊性を決定的にしています。

 普通、映画に出て来るクリーチャーにはどうしたって想像力の限界が見えるもので、美術や特殊効果のデザイナーが色々な生物を組み合わせたりして、どこか人間っぽい邪悪な目付きで、鋭い牙を剥いて、「どうです、怖いでしょう?」という漫画チックなモンスターになってしまうものです。

 ギーガーは芸術家ですから、観客を怖がらせたり驚かせたりする事を目的にする映画畑のアーティストとは、発想が根本的に違います。どこか異世界からやってきたような雰囲気が不安を掻き立てる上、性的なメタファーにも見えるし、機械と生命体の混合のようでもあり、人類から進化したものにも見えるし、悪夢や潜在意識から具現化した幻想にも見える。元になったギーガーの絵では、発掘中の恐竜の化石にも見えます。

 とにもかくにも映画的ではなく、異形のものとしか言いようがありません。エイリアンの宇宙船(ではない事が前日譚で判明するのですが)や有名なスペースジョッキー(ミイラ化した異星人が座っている巨大な操縦席)も、近付くだけで何かが起りそうな強い不安感を覚えるのは、ギーガーの異様なデザイン・センスゆえでしょう。当シリーズには、現実世界とギーガーが幻視した異世界の衝突という裏の図式もあるように思いますが、その対立構造に最も意識的なのが本作ではないでしょうか。

 新しい価値を生み出すのは大変な事で、本作も脚本の時点ではB級ホラーの変形版だったでしょうから、売れっ子の監督達から軒並み断られたというのも分かる話です。紆余曲折の末、カンヌで賞を取ったスコットに白羽の矢が立ちますが、彼はシナリオを読んで26時間後にすんなり快諾した事で、逆に驚かれたといいます。しかし彼には明確なヴィジョンがありました。夢中でストーリーボードを書いてスタジオに提示した所、なんと当初の2倍の予算が付きます。具体的なヴィジョンがいかに力を持つかという、お手本のようなエピソードですね。

 スコットは原案を書いたオバノンに会った際、ギーガーの画集『ネクロノミコン』を渡されますが、それを見て一点の絵に惹き付けられます。『ネクロノモス4』というその絵を指差すと、オバノンは「やっぱりね」と納得。スコットはもうそれ以外の造形など考えられず、製作陣に「いくら難しくても権利を取ってくれ」と主張し続けます。ギーガー自身からも「映画用に新しいデザインを」と提案されましたが、それすらも却下。この頑固さはとても新人監督の態度とは思えませんが、それでこそこういうモニュメンタルな映画が誕生する訳です。

 スモークや逆光を多用し、光と闇、水、蒸気、炎を駆使して、限られた空間を多彩に見せる映像センスは独特ですが、ブレットと猫の場面で水滴が降っているのは不思議だし、精密機器だらけの船内に猫がいるのも不自然。これは大惨事を招きかねないし、貴重な食料や水をペットの飼育に使うのは、科学的にも企業の論理としても非現実的。そもそも長期睡眠装置にネコが一緒に入って大丈夫なんでしょうか。『プロメテウス』『エイリアン:コヴェナント』にも顕著なそういうツッコミ所は結構あり、『ブレードランナー』の美術監督に言ったという「合理的に考えるな」というスコットの言葉も思い出されます。

 前半40分がスロー・ペースで退屈と言われる本作ですが、どう見ても必要なシーンばかりで、私が編集者ならどこも切れません。むしろ、後半がアクション中心になってゆく事を考えると、SF映画としての魅力や監督の個性は前半の方によく出ています。緊迫感も維持されているし、惑星の場面も全て前半。全体を大きく掴んでみると、セリフを排除した映像コラージュで開始し、緻密な会話劇からショッキングなホラーへ移行、整然と秩序立った世界にエントロピーが増大し、再びセリフが消失するクライマックスにおいて雑音の嵐が勝利するという、一点非の打ち所のない構成です。

 ヴィジュアルが鮮烈なために視点が逸らされがちですが、素晴らしいのが役者のアンサンブル。改めて観ると、脚本も乗組員一人一人に個性とドラマの重みを付与しています。最初からすこぶる自然に見える演技は見事という他ありませんが、それは俳優に5割、6割くらいの抑えた声量で喋らせ、声を荒げた時との落差を強調する演出にもよっています。抑揚のない喋り方をさせる事でリアリティを獲得し、表情や身体の動きに表現のウェイトを分散させる効果もあり、これらは本作に限らず、スコット作品に共通する演出法でもあります。

 演技派を集めているのも勝因の一つで、セリフは多くないにも関わらずキャラクターに奥行きを感じさせるのは、戦略的な演出と俳優陣の実力ゆえでしょう。アドリブの演技も、既に本作から取り入れています。クルーの間の微妙な対立感情や立場の相違も微細に表現されていて、その点もB級スプラッターとは一線を画す所。ただ、当時のスコットはまだ俳優とのディスカッションに苦手意識もあり、本人も「200本のCMを撮って映像の繋ぎ方は熟知していたが、俳優の扱い方は本作の頃に学んだ」と語っています。

 ご多分に漏れず「人物の描写が浅い」と紋切型の批判もされやすい作品ですが、スコット曰く「人物の描写はあまりないが、それは良い脚本の条件だ。話にも役にも無駄な部分が全然ない。役者も凝縮した演技が課題になる。ただ、評論家に役の描写が乏しいと言われるのは腹が立つ。ご冗談を、ってね」。出演者のハリー・ディーン・スタントンも回想します。「こんな監督は初めてだった。役柄ごとにノートを作っていて、経歴や家族についてまで細かく設定してある。普通は役者がやる事だよ」

* ディレクターズ・カット版について  *ネタバレ注意!

 スコット自身によれば、本作はビデオ化、DVD化の際に少しずつ編集をいじっているそうですが、03年にディレクターズ・カットとして正式な新ヴァージョンが発表されました。未公開シーンの追加(約6分)が目的だったようですが、逆に削除された場面もあり、結果的には全体で1分短くなっています。

 詳細な比較分析まではできませんが、大きな変更点は、過去に特典映像として収録されていたダラス船長とブレットの繭の場面が入っている事。陰惨なシーンだし、スコット自身も削除した理由として「映画の流れが悪くなる。ここはリプリーの脱出に的を絞った方がいい」とコメントしていましたが、ここでは少し短くして(リプリーが炎を放つ前に躊躇するやりとりは割愛)本編に組み込んでいます。

 他の追加シーンは、惑星からの信号を調べる所、ランバートがリプリーに平手打ちをする所からケインの処置を見守る所、猫を入れたボックスを持ってリプリーが安全確認をする所など。エイリアンが猫を見るカットも、ボックスをはね除けるカットに差し替えられています。逆に、アッシュの対応をめぐる船長とリプリーの応酬は短縮され、エイリアンを殺せるかどうか船長がマザーに訊く所も削除されていますが、改めて劇場公開版を観ると全部で7分も削られた感じはしません。つまりは、それだけ印象の薄かった場面ともいえる訳です。

* スタッフ  *ネタバレ注意!

 スコットはハリウッドでの第1作として、ワーグナーのオペラで有名な『トリスタンとイゾルデ』の映画化をパラマウントで進めていました。この映画の製作者アイヴァー・パウエルは、SFコミック『ヘヴィ・メタル』の1冊をスコットに読ませます。SFには全く感心がなかったスコットですが、読んだ瞬間に「凄いじゃないか、なぜ誰も映画化しないんだ?」と感嘆。そこに20世紀フォックスから『エイリアン』が打診され、彼は『トリスタンとイゾルデ』の企画を取り下げます。

 製作のウォルター・ヒル、デヴィッド・ガイラーは脚本家で監督。前者は『ザ・ドライバー』『ウォリアーズ』『48時間』の売れっ子で、彼らはシリーズを通じて製作を担当、原案や脚本にも関わっています。クレジットにはダン・オバノンの名前しかありませんが、彼があちこちで「滅茶苦茶にされた」と文句を言っているほど、脚本にヒルとガイラーの手が入っています。特にダイアローグは全面的に書き換えられたそうで、アッシュがアンドロイドというアイデアも彼らによるもの。

 一方、ガイラー達に言わせれば、オバノンがロナルド・シャセットが書き上げたオリジナルは「ひどい脚本で、そのままでは映画化できなかった」との事。同時に『トータル・リコール』のアイデアも生まれたというのは凄いですが、他のオバノン作品をざっと眺めても、『ダーク・スター』『ゾンゲリア』『ブルーサンダー』『スペースバンパイア』『バタリアン』『スペースインベーダー』と全てがB級映画で、確かに彼が今の完成作に仕上げられたとは思えません。ただ、『スター・ウォーズ』の特殊効果に携わった経験もあり、本作でも特殊効果部門にうるさく口を出して見張り役を務めた事から「ヴィジュアル・デザイン・コンサルタント」という肩書きでもクレジットされています。

 ゴードン・キャロルも、『暴力脱獄』『幸せはパリで』『ビリー・ザ・キッド/21歳の生涯』などのベテラン製作者で、本シリーズにずっと関わっていますが、80年代以降は『ブルーサンダー』『レッドブル』他の数作しかありません。共同製作のアイヴァー・パウエルは、『デュエリスト/決闘者』とボツになった『トリスタンとイゾルデ』も担当したライン・プロデューサーで、本作に続いて『ブレードランナー』にも参加。

 撮影のデレク・ヴァンリントはスコットとCMで組んできたRSAの仲間ですが、本作が撮影監督として初のクレジット作。他の担当作は、マシュー・ロビンス監督の『ドラゴンスレイヤー』くらいしかないようです。スコットは本作でもキャメラ操作をほとんど自分で行っていますが、フォーカス・プラーにも古い仕事仲間で、後に『テルマ&ルイーズ』『1492コロンブス』を撮影するエイドリアン・ビドルを起用。撮影助手には、ノン・クレジットで『白い嵐』『G.I.ジェーン』のヒュー・ジョンソンも参加しているそうです。

 スモークとバックライトで立体的な映像を設計する手法は正にCM流。エイリアンの宇宙船内では、スモークにレーザー光線を当てて斬新な効果を出していますが、これは音楽コンサートの照明技術を応用したもの。金属製の操作盤や自動起爆装置に反射する暖色系のほの暗い照明は、通常とは違う独特の角度に反射している所に卓越した美的センスを感じます。

 プロダクション・デザイナーのマイケル・シーモアはスコットと同じくRCA出身で、下に『スター・ウォーズ』で活躍した美術監督が二人。レス・ディレイは惑星のセットや、エイリアン、スペースジョッキーを製作。ロジャー・クリスチャンは主にノストロモ号を担当しています。特殊効果班にも、英国映画界で活躍してきたニック・オールダーとブライアン・ジョンソンが参加。前者はチェストバスターの衝撃シーンで見事なメカニックを披露し、後者は『2001年宇宙の旅』の革新的技術を本作に応用しました。

 脚本段階からハイライトとされていたチェストバスター(エイリアンの幼体)のシーンは、俳優に何が起るかを知らせておらず、映画のリアクションは本物。スタッフの多くも具体的な予測は出来ていなかったそうで、ヴェロニカ・カートライトの顔面に1リットルの血飛沫が飛んだのも偶然との事。当事者であるデザイナーのロン・コブと撮影のヴァンリントでさえ、ラッシュでこの場面を繰り返し見ていて、ついに嘔吐したといいます。

 エイリアンのデザインでクレジットされているH.R.ギーガーは、卵やフェイスハガー、チェストバスターのデザインも依頼され、スタジオに彼専用、関係者以外立入禁止のアトリエが建てられました。背景や卵のサイロ、スペースジョッキーの原画も描き、セットの彩色までしたそうです。ただしチェストバスターだけは、「やる事が多すぎて時間が足りない」とギーガーが不満を示したため、追加で雇われたロジャー・ディッケンがデザインを修正しています。ただ、元々は付いていた手足を外すように指示したのは、スコットとの事。

 巨大セットの中に俳優を置くスコットのアナログ的スタイルは、時代が時代とはいえ当時から健在。ノストロモ号のセットは全ての部屋が繋がっていて、本当に出口からしか出られないように作られていました。又、惑星のセットは予算の関係で小さいサイズしか作れず、大きく見せるために、スコットと撮影監督の息子達に宇宙服を着せて演技させたといいます。

 コンセプチュアル・アーティストのロン・コブは、ディズニーのアニメーターとして『眠りの森の美女』にも参加しているほどのベテランですが、その後は漫画家としても活躍していました。『ダークスター』の宇宙船や『スター・ウォーズ』の異星人、本作では宇宙船やシャトルのデザインを担当。実用性の高い彼のデザインは、そのまま現実に流用できるほどリアルだそうで、その特徴と言われる徹底した論理性が、ギーガーの幻想的造形と見事な対比を成しています。続編の『エイリアン2』では装甲車や着陸船、パワーローダーなど、メカ好きの心を躍らせる兵器の数々をデザインしました。

 編集のテリー・ローリングスは、『センチネル』『炎のランナー』などを担当した人で、スコットとは『ブレードランナー』『レジェンド/光と闇の伝説』でも組んでいます。音楽は名匠ジェリー・ゴールドスミス。キャッチーなメロディは使わず、SFらしい浮遊感を出したトランペットのテーマが印象的です。現代音楽風の緊迫感溢れる音楽にもスキルの高さを示しますが、セリフが少ない前半部の雄弁な音楽展開は、ストーリー・テリングを主導する役割を担って存在感抜群。ダラス船長がモーツァルトのセレナードを聴いてたり、『プロメテウス』『エイリアン:コヴェナント』でもクラシック音楽を効果的に使用しているのは、『2001年宇宙の旅』へのオマージュでしょうか。

 本作では音楽の差し替えをめぐって、スコットがゴールドスミスを怒らせたのは有名な話。2人は『レジェンド/光と闇の伝説』で再び組みますが、アメリカ公開版でタンジェリン・ドリームの音楽とすり替えられた事で、2人の間に確執を生んでしまいました(詳しくは別項「リドリー・スコットの映画を支えるスタッフ達」参照)。しかし実は本作、スコットは『デュエリスト/決闘者』のハワード・ブレイクに当初作曲を依頼しており、ブレイクはセットに何度となく足を運んだといいます。結果はまあ良かったのでしょうが・・・。

* キャスト  *ネタバレ注意!

 スコットは当時から、「良い俳優を起用しないと後で監督が大変になる」とキャスティングを非常に重要視しており、本作の7人を決めるのにほとんど全米中の俳優に会おうとしたといいます。ただ、「何人もの俳優に会ってセリフを読んでもらうが、決まるのは一瞬だ」との事。本作の出演者は皆、「監督のフィードバックがほとんどないので、アドリブし放題の野放し状態。自分達で役作りしなければならないので大変だった」と語っていますが、これは戦略だったようです。

 監督曰く「意地悪かもしれないが、良い演技を引き出すためにはどんな事でもやる。役者に何も言わないと緊張感は高まる。ただ、ヤフェットだけは共犯者だった。リプリーと対立する場面では彼をせっついて、アドリブでシガーニーを怒らせろと指示した」。アドリブが多い事もあり、途中からリハーサルもほとんどしなくなったそうですが、ウィーヴァーによれば「俳優達にはそれが刺激になって緊張感が生まれ、シーンが引き締まった」そうです。

 リプリーを演じたのは、当時ほぼ舞台にしか出ていなかったシガーニー・ウィーヴァー。映画はウディ・アレンの『アニー・ホール』にラスト近くで一瞬出たくらいの経験しかありませんでした。しかもヤフェット・コットーを筆頭にアドリブの多い現場で、舞台出身の彼女は手を焼いたと振り返っていますが、結果の素晴らしさは周知の通り。彼女抜きでは続編が作れないほどの象徴的存在となり、監督が毎回変わる本シリーズにおいて、ほとんどプロデューサー的な立場で参加してゆく事になります。

 ダラス船長を演じたトム・スケリットは、『M★A★S★H』『ビッグ・バッド・ママ』『愛と喝采の日々』で既に名バイプレイヤーとして有名でした。抑制された手堅い演技が持ち味で、その後も『トップガン』『マグノリアの花たち』『シングルス』『リバー・ランズ・スルー・イット』『コンタクト』と渋い出演が続きます。パーカー役でアドリブを連発したヤフェット・コットーは、『007/死ぬのは奴らだ』でボンドの敵役を演じて注目され、本作以降も気性の激しい役柄やコミカルな演技で評価されています。

 ブレットを演じるハリー・ディーン・スタントンも、コッポラの『ゴッドファーザーPART2』『ワン・フロム・ザ・ハート』、『デリンジャー』『ローズ』などの名バイプレイヤー。技術者がよく似合う風貌で、この後もジョン・カーペンターの『ニューヨーク1997』『クリスティーン』、マーティン・スコセッシの『最後の誘惑』の他、デヴィッド・リンチ作品に多数出演があります。

 ランバートを演じるヴェロニカ・カートライトは、6歳の時にケロッグのCMで人気者になり、『鳥』『噂の二人』『スペンサーの山』など子役として活躍。一時は結婚して芸能界を離れましたが、本作以降『ライトスタッフ』『ナビゲイター』『イーストウィックの魔女たち』や数々のTV映画で強い印象を残しています。

 アッシュを演じたイアン・ホルムは、演劇界のスター。『炎のランナー』でアカデミー助演男優賞を受賞し、テリー・ギリアム、デヴィッド・クローネンバーグ、ケネス・ブラナーらに重用されて映画界でも引っ張りだこになりました。出演作は意外性満点で、ウディ・アレンの『私の中のもうひとりの私』、リュック・ベッソンの『フィフス・エレメント』、ダニー・ボイルの『普通じゃない』、スコセッシの『アビエイター』、ソダーバーグの『KAFKA/迷宮の悪夢』、ピーター・ジャクソンの『ロード・オブ・ザ・リング』『ホビット』シリーズなど、想像を絶するラインナップです。

 スコットはロマン・ポランスキー監督の『マクベス』を見て、ケイン役にジョン・フィンチをキャスティングしていましたが、撮影初日に糖尿病で降板。急遽ジョン・ハートに役が依頼されました。彼はオファーの翌日にもう撮影に入っていますが、この役が激烈なインパクトを残し、もうジョン・ハートと言えば「チェストバスターに食い破られた人」というほど有名になったのですから、人生は分からないものです。

 その後もハートは『エレファント・マン』『カウガール・ブルース』『コンタクト』『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』と様々な監督からお呼びが掛かり、クセの強い演技をあちこちで披露しています。近年では『ハリー・ポッター』シリーズのオリバンダー役も有名。ちなみに降板したフィンチの方は、『キングダム・オブ・ヘヴン』でスコット作品に初出演。

* アカデミー賞

◎受賞/視覚効果賞

◎ノミネート/美術・装置賞

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