レジェンド/光と闇の伝説

Legend

1985年、アメリカ (アメリカ版89分、ヨーロッパ/日本版94分)

 監督:リドリー・スコット

 製作:アーノン・ミルチャン

 共同製作:ティム・ハンプトン

 脚本:ウィリアム・ヒョーツバーグ

 撮影監督:アレックス・トムソン, B.S.C

 プロダクション・デザイナー:アッシェトン・ゴートン

 衣装デザイナー:チャールズ・ノード

 編集:テリー・ローリングス

 音楽:ジェリー・ゴールドスミス

 美術総監督:レス・ディレイ

 特殊効果監修:ニック・オールダー

 特殊メイク:ロブ・ボッティン

 出演:トム・クルーズ  ミア・サーラ

    ティム・カリー  ロバート・ピカルド

    ダーヴィット・ベネント  アナベル・レニヨン

    アリス・プレイトン  ビリー・バーティ

* ストーリー

 闇を支配する魔王は、汚れを知らぬ王女リリーを妃にするため、小鬼ブリックスに誘拐を命じる。一方、野生の美少年ジャックに恋をしていたリリーは、湖に投げ込んだ指環を拾った男に求婚すると告げるが、ジャックは指環を見つけられなかった。さらにリリーが好奇心から神聖な一角獣の角に触れたため、森が雪に埋もれてしまう。魔王に連れ去られたリリーは魔女に変身し、ジャックは妖精ガンプの力を借りて彼女を探す。

* コメント

 目下スコットによる唯一のファンタジー映画。アメリカでは5分短いヴァージョンが公開され、ジェリー・ゴルドスミスの壮大な音楽を、タンジェリン・ドリームのシンセ・ロックに差し替えられた事も話題を呼びました。製作のアーノン・ミルチャンは、翌年テリー・ギリアム監督と『未来世紀ブラジル』の編集をめぐって対立したプロデューサーで、本作の再編集に同意したスコットは一時期、自分の作品にこだわりのない監督というイメージで語られました。その時点では後に彼が、ディレクターズ・カット・ブームの先鞭を付ける事になるとは誰も想像していなかったでしょう。

 私が観たのは国際版とディレクターズ・カット版ですが、今までのスコット作品と較べると随分緩い印象。脚本にも問題がありますが、全体としては映画というより、エンターティメント・ショーの体裁です。ストーリー中に大袈裟な芝居や歌が組み込まれ、象徴的にキャラクタライズされた衣装とメイクを適用。人物はコマに過ぎず、性格的な厚みも奥行きもありません。セリフには哲学的な含みも多少あるものの、結局は光と闇の闘いになってしまうのが、西洋ファンタジーの限界。私にはM・ナイト・シャマラン監督の『エアベンダー』や『アフターアース』など、東洋的な思想に基づくファンタジーの方が、遥かにリアルで大人っぽく感じられます。

 絢爛たる映像美はスコットの面目躍如で、雨、雪、シャボン玉、花びら、綿毛など、常に何かが降っている画面作りは彼のトレード・マーク。『ブレードランナー』に続き、真っ白な一角獣も登場します。スコットは、妖精物語のイラストで有名なイギリスの画家アーサー・ラッカムの作品を丁寧に観察し、製作の初期段階に『フェアリー』という本の画家、アラン・リーとブライアン・フラウドを映像コンセプトのために雇っています。

 クライマックスには、『デュエリスト/決闘者』の剣闘にジャッキー・チェンのテイストを加えたアクションもあったりして、スコット作品としてはユニークなルックも持ち合わせますが、怪物達の造形や演技のデフォルメに既視感があり、どうにもアニメチックな仕上がり。エイリアンやレプリカントに徹底してリアリティを追求したスコットが、ファンタジーだとここまで常套的になってしまうのかと、がっかりしてしまいます。

 サタンの姿形をイメージした魔王は独創的な造形ですが、『エイリアン』の手法を継承してか、なかなか全貌を現しません。怪優ティム・カリーの隠れファンも多いと思いますが、全身メイクで誰だか全く分からないのも残念。同じ事は、沼の化け物を演じたロバート・ピカルドにも言えます。

 コミカルなサブ・キャラクターがヘマをして計画が失敗し、主人公が窮地に陥るのも典型的なハリウッド流の作劇。それなりにユーモアもありますが、ニール・ジョーダン監督の『ブランケット城への招待状』を思い出し、英国の才人がコメディを志向すると失敗するのは、任に合わないからかもと思ったりします。ヴィジュアル面はともかくとして、脚本はスコット向きでない印象。クライマックスやエンディングも、どういう訳かカタルシスに欠けます。

 本作の不運は、撮影中にセットが全焼した事よりも、試写会の制度にありました。スコットは当初から30分も短くしたヴァージョンをロスの映画監督協会初のアメリカ試写に掛けましたが、この試写会を「とんでもない厄災だった」と回想しています。「僕が作ってきたような作品の場合、映画会社は幼稚な連中を試写室に入れる事がある。400人の客の中から、マリファナの匂いが漂ってきた。その内、誰かがクスクス笑い出し、そいつが映画に嫌味な文句を付けはじめて、客全体がそれに同調しだした。問題のクソ野郎は麻薬でラリっていた仲間達と大笑いをはじめ、映画にとって最も重要なイベントを台無しにした。映画会社の重役は、映画がかなりセンチメンタルに感じたといい、とてもまずい状況になった」

 そうしてスコットは、アメリカ版とヨーロッパ版の2種類の編集ヴァージョンを作成する事になります。アメリカ公開版ではジェリー・ゴールドスミスのクラシカルな音楽を全て取り払い、不器用に再編集されたフィルムに、大慌てでシンセサイザーとフルートのニュー・エイジ風音楽を付けました。後になって彼は、ユニヴァーサルが偏執的な調子で「音楽がセンチメンタル」だと言ってきたせいで、音楽が甘すぎるような気がしてきたと認め、ゴールドスミスの音楽は格調の高い大傑作だと思っている、と語っています。彼は又、前作のトラブルを引きずっていて、様々な事に自信が持てなかったようです。

 曰く、「結局僕らは貴重な要素を削り落とし、無くなってしまったものを悔しがるはめになった。正直な話、工夫に富む妖精物語の感動よりも、映画の成否の方が気になってならなかった。忘れちゃならないのは、私が『ブレードランナー』の後で精神的に不安定だった点だ。自信を失った中で、もう一度ヒットを生む成功者に戻りたいという精神状態に追いつめられてしまった。私がハリウッド的考えに染まってしまった末の出来事だった訳だ。ヨーロッパでの反響は、アメリカほどひどくはなかった。つまり、再編集と音楽の入れ替えは無意味だったんだ」

 スコット自身が言うように、本作はビデオ化以降に売上げを伸ばし、専用サイトも幾つか生まれるなど、再評価が進んでいると言われます。しかし、ディレクターズ・カット版も見られるようになった今、私個人の考えでは、監督が当初イメージした通りの状態ですら、本作は他のスコット作品の芸術的水準に到底達していないように感じられます。

 ちなみにアメリカ版はセリフが陳腐で、魔王の全身も早くから映されるとの事。編集も随分違っていて、ヨーロッパ版の方が全てにおいて上品らしいですが、私はディレクターズ・カットのダイアローグもさほど優れていると思わないし、日本の評論家にはアメリカ版が正解だと言う人もいます。ヒョーツバーグの脚本には当初、王女がレイプされる場面もあったそうで(結局、影とのダンスで暗示的に描写)、常套的な映画になってしまったのは、編集の是非以前の問題のようです。

* ディレクターズ・カット版 (114分)

 両ヴァージョン収録のブルーレイ・ソフトでスコット曰く、「紛失したものと考えられていたが、2000年にアンサープリントの形で奇跡的に発見され、DVDに使用された。ブルーレイ用に新しくトランスファーを行ったが、プリントの性質上、補正の限界も明白になった。しかしこれが可能な限り最良のディレクターズ・カット版。自分もオリジナル版がデジタル保存できる事を嬉しく思っている」との事。

 スコット作品のディレクターズ・カットは多くがそうですが、新しい場面がごっそり入るという事がなく、各場面が少し長くなった程度。全体的な印象はあまり変わりません。本作も、セリフ単位の細かい省略が元に戻されたような体裁です。一番変わったのは、ユニコーンが王女の周りを暴れ回るシーンが入っている点でしょうか。それも、ストーリーには影響がないですけれど。

* スタッフ

 製作は『キング・オブ・コメディ』『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』など、野心的な企画で知られたアーノン・ミルチャン。ショービズ界出身ではなく、化学産業で成功したイスラエル人で、典型的なビジネスマン製作者。共同製作のティム・ハンプトンも、20世紀フォックスのヨーロッパ担当重役だった人で、この布陣を見ても、SFで名を挙げた話題の監督と人気スターによる若年層向けファンタジーで大儲けしようという野心が見え見えです。

 脚本は、『エンゼル・ハート』など数冊を発表している小説家/詩人のウィリアム・ヒョーツバーグ。スコットは『Symbiography』という薄い本が気に入り、ヒョーツバーグに連絡をとって共に本作の粗筋を書き上げました。二人でコクトーの『美女と野獣』を観た後、ヒョーツバーグは3年もかけて15回も書き直したそうですが、その努力に見合った仕上がりとは言い難い気がします。

 撮影監督は、ケネス・ブラナー作品やデヴィッド・フィンチャー監督『エイリアン3』のアレックス・トムソン。先に言及した『ブランケット城への招待状』も彼の撮影です。スコットは『エクスカリバー』を観て起用を決めたそうで、非常に美しい映像を作る英国のベテランですが、スコットにしろフィンチャーにしろジョーダンにしろ、一作のコラボで終る傾向があるのは残念。

 プロダクション・デザイナーは、CM時代からスコットと付き合いが長いアッシェトン・ゴートン。ロンドン、パインウッド・スタジオの6つのステージに14週間かけて、フリッツ・ラングの名作『ニーベルンゲン』を模した映画史上空前の巨大セットを作り上げましたが、撮影中の84年6月に火災で全焼。しかしゴートンは急遽セットを再建し、わずか3日の遅延で済ませる事ができました。『エイリアン』のレス・ディレイも美術総監修で参加。

 編集のテリー・ローリングスは、初期スコット作品を支える常連スタッフ。音楽のジェリー・ゴールドスミスは(スタジオ側からまず打診されたとはいえ)、散々な仕打ちをされた『エイリアン』に続いて意外にも再びスコットと仕事。しかし「人生の6ヶ月を費やした」という80分を越えるオーケストラの音楽を「窓の外に放り出された」ことで、スコットを「許さない」と言うまで嫌う結果になりました(別項「リドリー・スコットの映画を支えるスタッフ達」参照)。

* キャスト

 主演のトム・クルーズは、『トップガン』と『ハスラー2』でスターになったばかりの頃で、まだ21歳。このタイミングで6歳年上の女優ミミ・ロジャースと結婚して、世間を驚かせました。ドラマ的にはあまり見どころのない役ですが、身体能力の高さを生かしてジャッキー・チェンばりのアクロバティックな格闘をこなしているのは、ファンなら見逃せない所です。本作はクルーズ主演作で唯一興行的に失敗した作品として悪名高く、その後もスコット作品への出演はありません。

 王女役のミア・サーラは、ジョン・ヒューズの青春映画『フェリスはある朝、突然に』が有名ですが、その後の活躍を聞かないのは残念。千人の候補者から16歳の彼女を抜擢したスコットは、「ヴィヴィアン・リーが生き返ったのかと思うほど美しい彼女は、メルヘンの中のプリンセスそのもの。感受性が強く、大スターになる事は間違いない」と絶賛しています。

 特殊メイクで誰だか分からない魔王を演じるのは、『ロッキー・ホラー・ショー』の怪優ティム・カリー。『ホーム・アローン2』など、素顔でも強烈な印象を残す人ですが、深々としたバリトン・ヴォイスが素晴らしく、セリフと眼力だけでも迫力満点。又、ジョー・ダンテ監督作の常連で、『ハウリング』では狼に変身したロバート・ピカルドが、沼の怪物メグ・マックルボーン役で出ています。ただ、その『ハウリング』で有名なロブ・ボッティンの特殊メイクに全身が覆われ、やはり誰だか全く分かりません。

 「怪優と言えば」と言うと失礼ですが、森の妖精ガンプを演じるのは『ブリキの太鼓』で成長の止まった太鼓少年を演じたスイス出身のダーヴィット・ベネント。目を剥いてトム・クルーズに詰め寄る悪魔的なルックスはインパクト満点で、、『ブリキの太鼓』のトラウマが甦ります。ただ、ドイツ語訛りがきつかったために、セリフは悪鬼ブリックス役のアリス・プレイトンが吹き替えたとの事。妖精ウーナを演じた少女、アナベル・レニヨンも存在感があります。コミカルなスクリューボール役はアメリカのベテラン小柄タレント、ビリー・パーティ。

* アカデミー賞

◎ノミネート/メイクアップ賞

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