普通の現代社会を舞台にした、初めてのスコット作品。裏社会を描いた映画ではないですが、一般人が殺し屋に狙われる構図は、『悪の法則』の世界に片足を突っ込んでいるとも言えるでしょう。主人公の認識の甘さというか、性格に隙がある所が災難を引き寄せてしまうのも、この2作に共通する点。殺人シーンを誤摩化さずに直視させるヴィヴィッドな描写力も、スコット作品らしいです。 タイトルはガーシュウィンのスタンダード・ナンバーのタイトルで、曲も劇中に流れますが、特に冒頭の、この曲と夜景のマンハッタンを組み合わせたロマンティックな空撮は、スコットがこだわったという名ショット。上映時間は106分とタイトで、大作が多いスコット作品の中では、94分の『レジェンド/光と闇の伝説』に次ぐ短さです。しかし、この類い稀なセンスで磨き抜かれた、映像美の応酬はどうでしょう。全くどのシーンを取ってもCMとして成立しそうなほど、高度にリファインされた耽美的な映像が連続します。 朝の光や夕景の美しさ、車のフロントガラスの薄暗い反射、ブルー系の逆光で撮られたクライマックスの室内シーン、アンバーの間接照明による高級マンションの室内、マイクとクレアが初めて会う場面のフォーカスと照明の美しさ、マイクと妻が食事をするレストランの驚くほど深みを帯びた色彩とライティング。まったく美しい場面には枚挙に暇がなく、映像美では他の追随を許さないスコット作品の中でも、本作はそのトップクラスに指を折れる映画と言っても過言ではありません。 面白いのは、どうも監督本人が『ブレードランナー』のパロディを意図しているように見える事で、色使いといい、雨の使い方といい、スモークや逆光を多用したライティングといい、両作の世界が完全に地続きにと感じられる場面も多々あります(撮影監督のスティーヴン・ポスターは、『ブレードランナー』の追加撮影を担当した人です)。 それなら映像だけの空っぽな映画かというと全然そんな事はなく、主軸はどこまでも人間ドラマ。陰影に富んだ人間関係の機微を、例によってスコット一流の、抑えの効いた渋い演技で描ききっていて秀逸です。庶民的なマイクの世界と、クレアが属するハイ・ソサエティの対比は、本編がスタートした時点からすでに始まっていて(それぞれのパーティの光景をカットバック)、それはこれみよがしにクラシックを多用した音楽にまで徹底されています。 主人公に二つの世界を行き来させる事で、人間の暖かみや身勝手さ、環境条件では拭い切れない心の奥の孤独、憧憬、渇望、倫理観と衝動の板挟み、高潔な自分(理想)から下世話でみっともない自分(現実)と、人間性のダイナミズムを巧みに俳優の芝居へ昇華しているのは、あらゆる局面に目配りが行き届くスコットならではの手腕でしょう。 中でも、物語を牽引する大きな魅力が、主人公の人間的な弱さとなっている点は注目されます。同僚に「メチャクチャだ」と漏らし、途方に暮れるマイクの姿には、自分ではどうにもならない内面の脆弱さと、そんなひ弱な自分を何とか超克したいという根っこの誠実さが同時に表れてもいます。見ていて情けないけれど、とても人間臭いキャラクターですね。マッチョでアメリカンな映画ではありません。そう考えると、アメリカの階級社会をあぶりだす構図なんてあくまで枝葉にすぎず、スコットがこの脚本に惹かれた理由は、あくまでモラルと葛藤の問題ではなかったかと思うのです。 本作はスコット作品の中でも特に感情的な場面の多い映画とも言え、ユーモアの要素もふんだんに盛り込まれています。本筋とは関係のない会話の応酬にも性格描写のヒントが散りばめられ、とりわけマイクと妻エリー、息子トミーの会話劇は、生彩に富んでいて素晴らしいです。例えばエリーのこんなセリフ、通常はクライム・サスペンスに登場する類いのものではありません。「ちゃんと運動してるのに尻が垂れてきたわ。なぜなの?きっと重力が意地悪してるのよ」 映画は当然ながら緊迫の度合いを上げてゆき、クレアにとっても、マイクや彼の家族にとっても、危険は身近になってゆきますが、同時にマイクとエリーの関係も危機を迎える所、実に巧みな作劇と言えるでしょう。結末は映画をご覧になっての通りですが、スコット作品には珍しく後味の良いエモーショナルなクライマックスも、本作に豊かな人間味を加えている一因です。 問題があるとすれば、殺人犯ベンザの行動が衝動的に過ぎ、細心の注意を払うべき手強い相手とは思えない所でしょうか。警察がこんなに計画性のない犯罪者に翻弄されるのも問題だし、殺されたウィンもこれほど短絡的で粗野なチンピラを共同出資者にしていたとは、まるで現実味がありません。ただ、クレアがマイクと恋に落ちる理由が分からないという評をよく目にしますが、それを言うなら世界中の映画の9割において、主人公がなぜ恋に落ちるのか全く描かれていない、というのが私の印象です。 題材に関しては、スコットも次のように認めています。「『ブレードランナー』と『レジェンド』の騒ぎの後では、一般的な企画で様子を見た方が得策だと思ったんだ。今になって後知恵で分かるが、私は月並みなものを選ぶべきじゃなかったんだな。だって風変わりな映画を撮れる者はそういないからね。さらに、本音では19ヶ月欲しい所だった製作期間を、13ヶ月に圧縮した。つまり、畜生、私は“目をつぶって済ます”事が出来るようになっていた訳だ」 |