誰かに見られてる

Someone to Watch Over Me

1987年、アメリカ (106分

 監督:リドリー・スコット

 製作総指揮:リドリー・スコット

 製作:シーリー・デ・ギャニー、ハロルド・シュナイダー

 共同製作:ミミ・ポーク

 脚本:ハワード・フランクリン

 撮影監督:スティーヴン・ポスター, A.S.C.

 プロダクション・デザイナー:ジム・ビッセル

 衣装デザイナー:コリーン・アトウッド

 編集:クレア・シンプソン

 音楽:マイケル・ケイメン

 美術監督:クリス・ビューリアン・モア

 セット・デザイン:ジム・ティーガーデン

 セット・デコレイター:リンダ・デシーナ

 出演:トム・ベレンジャー  ミミ・ロジャース

    ロレイン・ブラッコ  ジェリー・オーバック

    アンドレアス・カツラス  ジョン・ルビンスタイン

    ジェームズ・モリアティ  トニー・ディベネディット

    ダニエル・ヒュー・ケリー  マーク・モーゼス

    ハーレイ・クロス

* ストーリー

 友人の殺害現場を目撃し、犯人に目を付けられた令嬢クレアと、彼女を護衛することになったマイク・キーガン。マイクには家庭があり、クレアには恋人がいたが、二人はやがて魅かれ合う。

* コメント

 普通の現代社会を舞台にした、初めてのスコット作品。裏社会を描いた映画ではないですが、一般人が殺し屋に狙われる構図は、『悪の法則』の世界に片足を突っ込んでいるとも言えるでしょう。主人公の認識の甘さというか、性格に隙がある所が災難を引き寄せてしまうのも、この2作に共通する点。殺人シーンを誤摩化さずに直視させるヴィヴィッドな描写力も、スコット作品らしいです。

 タイトルはガーシュウィンのスタンダード・ナンバーのタイトルで、曲も劇中に流れますが、特に冒頭の、この曲と夜景のマンハッタンを組み合わせたロマンティックな空撮は、スコットがこだわったという名ショット。上映時間は106分とタイトで、大作が多いスコット作品の中では、94分の『レジェンド/光と闇の伝説』に次ぐ短さです。しかし、この類い稀なセンスで磨き抜かれた、映像美の応酬はどうでしょう。全くどのシーンを取ってもCMとして成立しそうなほど、高度にリファインされた耽美的な映像が連続します。

 朝の光や夕景の美しさ、車のフロントガラスの薄暗い反射、ブルー系の逆光で撮られたクライマックスの室内シーン、アンバーの間接照明による高級マンションの室内、マイクとクレアが初めて会う場面のフォーカスと照明の美しさ、マイクと妻が食事をするレストランの驚くほど深みを帯びた色彩とライティング。まったく美しい場面には枚挙に暇がなく、映像美では他の追随を許さないスコット作品の中でも、本作はそのトップクラスに指を折れる映画と言っても過言ではありません。

 面白いのは、どうも監督本人が『ブレードランナー』のパロディを意図しているように見える事で、色使いといい、雨の使い方といい、スモークや逆光を多用したライティングといい、両作の世界が完全に地続きにと感じられる場面も多々あります(撮影監督のスティーヴン・ポスターは、『ブレードランナー』の追加撮影を担当した人です)。

 それなら映像だけの空っぽな映画かというと全然そんな事はなく、主軸はどこまでも人間ドラマ。陰影に富んだ人間関係の機微を、例によってスコット一流の、抑えの効いた渋い演技で描ききっていて秀逸です。庶民的なマイクの世界と、クレアが属するハイ・ソサエティの対比は、本編がスタートした時点からすでに始まっていて(それぞれのパーティの光景をカットバック)、それはこれみよがしにクラシックを多用した音楽にまで徹底されています。

 主人公に二つの世界を行き来させる事で、人間の暖かみや身勝手さ、環境条件では拭い切れない心の奥の孤独、憧憬、渇望、倫理観と衝動の板挟み、高潔な自分(理想)から下世話でみっともない自分(現実)と、人間性のダイナミズムを巧みに俳優の芝居へ昇華しているのは、あらゆる局面に目配りが行き届くスコットならではの手腕でしょう。

 中でも、物語を牽引する大きな魅力が、主人公の人間的な弱さとなっている点は注目されます。同僚に「メチャクチャだ」と漏らし、途方に暮れるマイクの姿には、自分ではどうにもならない内面の脆弱さと、そんなひ弱な自分を何とか超克したいという根っこの誠実さが同時に表れてもいます。見ていて情けないけれど、とても人間臭いキャラクターですね。マッチョでアメリカンな映画ではありません。そう考えると、アメリカの階級社会をあぶりだす構図なんてあくまで枝葉にすぎず、スコットがこの脚本に惹かれた理由は、あくまでモラルと葛藤の問題ではなかったかと思うのです。

 本作はスコット作品の中でも特に感情的な場面の多い映画とも言え、ユーモアの要素もふんだんに盛り込まれています。本筋とは関係のない会話の応酬にも性格描写のヒントが散りばめられ、とりわけマイクと妻エリー、息子トミーの会話劇は、生彩に富んでいて素晴らしいです。例えばエリーのこんなセリフ、通常はクライム・サスペンスに登場する類いのものではありません。「ちゃんと運動してるのに尻が垂れてきたわ。なぜなの?きっと重力が意地悪してるのよ」

 映画は当然ながら緊迫の度合いを上げてゆき、クレアにとっても、マイクや彼の家族にとっても、危険は身近になってゆきますが、同時にマイクとエリーの関係も危機を迎える所、実に巧みな作劇と言えるでしょう。結末は映画をご覧になっての通りですが、スコット作品には珍しく後味の良いエモーショナルなクライマックスも、本作に豊かな人間味を加えている一因です。

 問題があるとすれば、殺人犯ベンザの行動が衝動的に過ぎ、細心の注意を払うべき手強い相手とは思えない所でしょうか。警察がこんなに計画性のない犯罪者に翻弄されるのも問題だし、殺されたウィンもこれほど短絡的で粗野なチンピラを共同出資者にしていたとは、まるで現実味がありません。ただ、クレアがマイクと恋に落ちる理由が分からないという評をよく目にしますが、それを言うなら世界中の映画の9割において、主人公がなぜ恋に落ちるのか全く描かれていない、というのが私の印象です。

 題材に関しては、スコットも次のように認めています。「『ブレードランナー』と『レジェンド』の騒ぎの後では、一般的な企画で様子を見た方が得策だと思ったんだ。今になって後知恵で分かるが、私は月並みなものを選ぶべきじゃなかったんだな。だって風変わりな映画を撮れる者はそういないからね。さらに、本音では19ヶ月欲しい所だった製作期間を、13ヶ月に圧縮した。つまり、畜生、私は“目をつぶって済ます”事が出来るようになっていた訳だ」

* スタッフ

 スコットはパーティで『薔薇の名前』の新進ライター、ハワード・フランクリンと出会い、本作のアイデアを聞かされます。内容に魅せられた彼は、仕事上のパートナーだったフランス人のシーリー・デ・ギャニーに製作を依頼。デ・ギャニーはフランスでCM1800本を手がけた広告のプロで、映画製作はこれが初めてでした。フランクリンはスコットと一緒にアイデアを膨らませますが、最終稿が出来上がった頃に『レジェンド/光と闇の伝説』の撮影が始まったので、本作の製作は数年後となりました。

 共同製作には『ウォー・ゲーム』のハロルド・シュナイダーと、パーシー・メインからからミミ・ポークが参加。スコット自身も製作に名を連ねていますが、企画や脚本執筆の段階から深く関わる彼の仕事のスタイルは、ここで既に確立したと言えるかもしれません。フランクリンはその後監督デビューし、『パブリック・アイ』『小さな贈りもの』などを発表しています。

 撮影監督は、『未知との遭遇』や『ブレードランナー』の追加撮影を担当したスティーヴン・ポスター。彼のセンスの素晴らしさは前述の通りですが、その後に思ったほど活躍していないのは残念です。ユニークな仕事としてはパトリス・ルコント監督、アラン・ドロンとジャン=ポール・ベルモンド主演のフランス映画『ハーフ・ア・チャンス』、ジェイク・ギレンホール主演の異色ムービー『ドニー・ダーコ』等あり。撮影はロケが中心ですが、実はニューヨークだけでなく、ロスとカリフォルニアでも一部行われています。

 プロダクション・デザインは、当時スピルバーグ作品を中心に活躍していたジム・ビッセル、衣装はティム・バートン作品の常連コリーン・アトウッド。美術監督のクリス・ビューリアン・モア、セット・デザイナーのジム・ティーガーデン、セット装飾のリンダ・デシーナは、スピルバーグの関連作品などに細かく関係している人たちです。編集は『プラトーン』『ウォール街』などオリヴァー・ストーン作品のクレア・シンプソンで、この後も『ナイロビの蜂』『NINE』『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』など話題作の他、『ゲティ家の身代金』で再びスコットとコラボ。

 音楽は80年代に『ダイ・ハード』『リーサル・ウェポン』シリーズで売れっ子だったマイケル・ケイメンですが、サスペンスの場面以外にスコアが流れないので、存在感が薄いです。ガーシュウィンのタイトル曲は、冒頭がスティング、中盤はテナー・サックスのジーン・アモンズ、エンディングはロバータ・フラックと3ヴァージョンで使用。又、『ブレードランナー』に使用された、ヴァンゲリスの“Memories of green”も再び使われています(最初にサントラ盤として発売された、ニュー・アメリカン・オーケストラによるカバー・ヴァージョン)。

* キャスト

 主役のマイクは、『ミスター・グッドバーを探して』のトム・ベレンジャー。スコットは、編集の担当者を探していて『プラトーン』のクレア・シンプソンを発見した際、狂気の鬼軍曹バーンズを演じているのが『再会の時』の俳優と同一人物だと知り、即座にベレンジャーの起用を決めました。一見自然な演技をする人のようで、この役柄の振り幅は確かに凄絶。本作でも、家庭での生き生きとした生活感と、刑事としての責任、モラルと誘惑のジレンマ、そして人間としての弱さを、余す所なく表現しています。

 クレアを演じるミミ・ロジャースは、当時女優としては勢いが今一つで、トム・クルーズの奥さんという印象の方が強かったと記憶します。本作でも演技力よりはルックスや存在感が記憶に残る感じで、その後も賞レースには無縁。カメオ出演の扱いだった『ザ・プレイヤー』での宗教に走る妻役は有名ですが、これは前の夫が宗教カウンセラーだった事のセルフ・パロディかもしれません。スコット・フリー製作の『ゆかいな天使/トラブるモンキー』にも出演。

 妻エリーを演じるロレイン・ブラッコは、活発で感情豊かな下町の女性を魅力的に演じていて素晴らしいです。機械技術者の娘ロジャースがセレブを演じ、パリでトップモデルだったブラッコが労働者階級を演じるというのは、映画の面白い所でもあります。本格的な女優デビューとなる本作の後、『グッドフェローズ』でアカデミー助演女優賞ノミネート。『ザ・スタンド』『カウガール・ブルース』などに出演していますが、ハーヴェイ・カイテル、エドワード・ジェームズ・オルモスと結婚していた時期があり、スコット作品の出演者とは因縁のある人。

 マイクの上司を演じるのは、『センチネル』『ウディ・アレンの重罪と軽罪』のジェリー・オーバック。殺人犯ベンザを演じるアンドレアス・カツラスはオーディション採用ですが、スコット作品の悪役としてはいささか知性に欠ける、大味なタイプ。他には『ハリソン・フォード/逃亡者』などに出ていますが、TVが中心で目立った活躍はありません。被害者となるウィンを演じたマーク・モーゼスは、『プラトーン』でベレンジャーと共演経験あり。ちなみに、最初のパーティの場面にはエディ・マーフィがちらりと映っているそうです。

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