松田優作の遺作としてわが国では有名な、裏社会アクション。関西人にとっては、大阪でロケされた珍しいハリウッド映画として感慨深い作品です。日本で刑事物を撮る事に憧れていたというスコット曰く、「長いキャリアの中で、監督は自分で企画を持ってくるべきだと痛感している。良い企画は、待っていても来ない。例外は二度だけ。『エイリアン』と『ブラック・レイン』だ。自作はあまり観ないが、たまに放送されているのを見かけると、5分だけ観ようと思う。最後まで観たら、それは良い映画だ。本作は今観ても良い映画だよ」 スコットはかねがね日本経済の台頭を予測していて、『エイリアン』にはウェイランド・ユタニ社という日系企業のバックグラウンドがあるし、『ブレードランナー』にも日本企業の広告などが出てきます。本作において異文化を見つめる彼の視点にも、『ブレードランナー』と地続きの発展的で混沌としたイメージがあり、それにはバブル経済崩壊寸前の日本がぴったりだったのかもしれません。主演のダグラスは、「80年代で一番思い出すのは、日本経済が急激に力を付けた事。アメリカを押しつぶすかのように、信念と哲学を持って成長を続けていた」と述懐しています。 悪役の魅力が肝要なクライム・アクションとしては、松田優作の凄味を帯びた存在感が申し分ないですが、勿論スコットの事ですから、それだけの映画では終らせません。脇役に至るまで目配りが行き届き、独自の世界観が設計されてこその松田優作であり、高倉健である訳です。例によって俳優のアンサンブルは抑制されたトーンで構築されていますが、硬質なタッチの中にも直截な真情を込めて表出される演技の陰影は、カラフルな油絵というより、水墨画の濃淡を想起させます。 殺気が極限まで昂揚する緊張度の高い場面は言うまでもなく、もっと普通の、単なる会話場面の描写力に関して、試みに映画の前半部分だけをとってみても、その間にどれだけの映像的、感情的ニュアンスの微細な移ろいがあることでしょうか。スコットは、精妙を極めたダイナミクスの変転を駆使して、ドラマの諸要素を自在にコントロールしています。殊に印象的なのは、ニックと松本が食事をしながら話す、夜の食堂のシーン。この場面における、深々とした叙情の奥行きや、人情の機微の表出には忘れ難い味わいがあります。 苛烈な暴力表現は正にスコット印。通常のアクション映画では、ここまでヴィヴィッドな描写もなかなか挿入されないものですが、不思議なもので、その事自体が本作を特別にしてもいます。特にチャーリーの殉職は、映画の流れを一旦断絶させるほどにショッキングな効果をもたらしますが、この場面が観客に大きな衝撃を与えるとしたら、それは本作がこのキャラクターを、人間としていかに感情移入しやすく描いてきたかという証拠でもあります。 スコット自身はこう述べています。「こういう死を描きたかった。人生は突然終わる。事前の通告も何もない。演じるアンディ(・ガルシア)も、途中で死ぬのはかっこいいと納得していた。本作は私の作品の中でも最も暴力描写にこだわった映画だと知られているが、それは脚本に書かれていた暴力性をきっちり映像化したせいだ。こっちが暴力にこだわったわけじゃない」 ちなみに本作が大阪で撮影された理由を、監督はこう説明します。「(製作者)ジャッフェの車でプロダクション・デザイナーのノリスと東京中を走り回り、驚くような景色を探したが、古いものが少ない事に気付いた。合成素材の建物ばかりで途方に暮れていた所、大阪が候補に挙がった。東京はアメリカ映画のロケを嫌がっていて、どのみち大したサポートは受けられなかった。大阪府知事は話の分かる人物で、東京への対抗心もあった。社交的な人で、言葉通り何でも協力してくれた」 関西人にとっては、道頓堀の有名なグリコ看板だけでなく、梅田・阪急百貨店前のコンコースにあった、洋風建築の巨大な天井アーチが撮影されているのは嬉しい所(今はもうありませんし)。しかし日本側のスタッフとは文化が違い、撮影は難航したようです。それでもスコットは、「製作を兼任する立場を離れ、雇われ監督として楽しく働いた」といいますから、『ブレードランナー』の経験も無駄ではなかったですね。 監督曰く、「どの国でもそうだが、現地のスタッフは自分達のやり方で撮影を進めたがり、対立となる。大袈裟でも何でもなく、現場は本当に混乱した。最大の問題は、アメリカ側のスタッフが日本の映画製作の段取りや労働条件を理解していなかった事にある。ほとんどの局面でどうにもならなくなり、撮影監督のヤン・デ・ボンを除く全てのスタッフを日本人に任せる事になった。おまけに、日本での撮影がどれだけ高くつくかも分かっていなかった」 パラマウント社は両国プロダクションの対立による行き詰まり状況を打破する為、88年12月に日本での撮影を中断。以降の場面は全てニューヨークのスタジオと、ロスとカリフォルニア周辺で撮影されました。明らかに日本の風景には見えない農村の場面は、ナパ・バレーで撮影されています。これは日本の社会や企業の融通の利かなさを象徴する出来事で、そうと知るとこの映画を、日本の俳優が出演し、日本でロケされた作品として誇らしげに語るのもどこかためらわれます。 尚、クライマックスで佐藤が串刺しになるエンディングも撮影されましたが、主人公の人間的成長を重視するプロデューサーの意見に納得し、スコットは現行の結末を追加撮影しました。面白いのはスコット作品において、慈悲の行為は繰り返し描かれている事です。思えば『デュエリスト/決闘者』も『ブレードランナー』もこのタイプの結末でしたし、後のスコット作品でも、相手を許すという行為は様々なヴァリエーションで描かれています。この観点を掘り下げると、また別のスコット論が展開できるのかもしれません。 |