公開直後から賛否両論を巻き起こし、カンヌ映画祭のクロージング作品に選ばれた上、主演女優二人がタイム誌の表紙を飾るなど、大きな話題を呼んだ作品。アカデミー賞にも5部門ノミネートされ、脚本賞を受賞しています。90年代初頭の作品なのにちょっと信じ難いですが、それまで女性2人が主人公のバディ・ムービーはなく、彼女達の行動も、映画の中で女性がやった事のない事ばかりだったそうです。 ハリウッドがいかに男性社会であったかが窺い知れますが、公開20周年の映像ソフトに収録されたドキュメンタリーで、ジーナ・デイヴィスが「ブームも続かなかったみたいね」と語っているように、女性が主役の映画はまだまだ少数派。わが国でも、『ビガイルド/欲望のめざめ』のプロモーションでNHKの情報番組に出演したソフィア・コッポラに、MCが「女性の監督って」を連発するくらいですから、そもそもの根底に「女性の監督は珍しい」「女性ばかりの映画は珍しい」という意識があるのでしょう。 悲劇的な内容であるにも関わらず、多くの女性が「私達もあんな関係だ」とか「ああいう風になりたい」と感じた事が、ヒットの要因だったと分析されています。批判的な意見には、「男性嫌悪、男性蔑視だ」とか「女性に暴力や犯罪を薦める映画だ」というのが多数あったそうですが、俳優陣が言うように、これらは余りにも的外れですね。警部ハルやルイーズの恋人ジミーのような人も出てきますし、特にジミーとルイーズの朝食の場面は、後の展開を知った上で観ると実に切なく、しみじみとした余情が漂います。 主演のサランドンは、「主役が女性だという事を除けば、映画ではよくあるストーリー」だと言います。しかし、軽はずみな行動や判断ミスが破滅を招くという展開は、男性が主人公ならもっとドライなタッチになるでしょうし、プロット全体が「人生の破滅」というよりむしろ「自由」「解放」を感じさせる点に、「差別」ではなく「違い」は厳然と存在するように思います。殺人も強盗もタンクローリー爆破も、元は女性蔑視的な言動が発端で、性別を入れ替えて同じ事を描くのは難しいのではないでしょうか。 脚本がとにかく秀逸で、クレヴァーでウィットに富んでいる上、登場人物は人間味に溢れているし、作劇の構成もデビュー作とは思えないほど巧みです。モーテルの場面で、ルイーズとジミー、テルマとJ・Dのエピソードを、カットバックで対照しながら描くのも効果的な手法。J・Dやタンクローリーの運転手との場面も、いきなり出さずに伏線が張ってあるし、主人公2人のロード・ムーヴィーの合間に、ちゃんとダリル、ジミー、警部達のストーリーも進行させています。 演出は、スコット自身「本作はコメディだと考えている」と述べているように、俳優のアドリブやポップ・ソングを多用して、かなり軽快な仕上がり。しかし、イギリス人の目で見たアメリカの風景の新鮮さ、美しさは意図的に強調されていて、審美的な映像表現はスコット作品ならではです。モノクロから彩色されるオープニングに始まり、夕闇の工場地帯やパターン模様のような遠景、車内の照明で闇の深さを強調し、峡谷全体をライティングする大胆な夜の描写、天気雨、画面上部をスモーク処理し、濃いカラー・パレットを用いた日中場面など、どれも見事。 スコットは、「最後の旅だから、鮮烈でなければならない。映像が俳優よりも重要な瞬間がある。ジョン・フォード監督は、風景が重要な登場人物だと理解していた。私は“額縁”の力を信じている。気にしない人が多いがね」と語っています。又、カー・チェイスのアクションはスコット作品では珍しいですが、2人の車を複数の警察車が砂埃を巻き上げながら追いつめてる空撮ショットは、スピルバーグが『ロスト・ワールド』で下敷きにしたという第二次大戦の潜水艦の映像が元でしょうか。スコットは後に、『ワールド・オブ・ライズ』でもこれと似た場面を撮っています。 ラストは、車が崖を落ちて行くショットが続くヴァージョンも撮影されましたが、ストップモーションによる現行版は「自由と開放感がある」と多くの人に支持され、監督も「試写会でみんなに、ラストだけは絶対に変えないでと言われた」と述懐しています。脚本を書いたクォーリの言葉は、全ての映画人に聞かせたいものです。「作品には作品の生命があり、それを乱すと観客は拒絶する。ピタリと収まる型があって、いじるとおかしくなるの」 スコット作品はどれもそうですが、脚本、撮影、演技、演出と、映画としてのクオリティがあらゆる面で群を抜いて高い映画なので、ストーリーだけが突出してセンセーショナルに注目されたのは、作品にとって良かったのかどうか、判断が難しい所です。尚、本作の映像ソフトにはゆうに40分にも及ぶ未公開場面が収録されていますが、エクステンデッド版は製作されませんでした(その中には、キャサリン・キーナーがハルの妻として出演している場面まであります)。 |