G.I.ジェーン

G.I.Jane

1997年、アメリカ (126分)

 監督:リドリー・スコッ

 製作総指揮:ダニエラ・アレキサンドラ

       ジュリー・バーグマン・スペンサー、クリス・ザルパス

 製作:リドリー・スコット、ロジャー・バーンウム

    デミ・ムーア、スザンヌ・トッド

 共同製作:ナイジェル・ウール、テリー・ニーダム

      ダイアン・ミンタールイス、ティム・マクブライド

 脚本:デヴィッド・トゥーヒー、ダニエラ・アレキサンドラ

 撮影監督:ヒュー・ジョンソン

 プロダクション・デザイナー:アーサー・マックス

 衣装デザイナー:マリリン・ヴァンス

 編集:ピエトロ・スカリア

 音楽:トレヴァー・ジョーンズ

 第1助監督:テリー・ニーダム

 第2助監督:アダム・ソムナー

 セカンド・ユニット監督:ヒュー・ジョンソン

 出演:デミ・ムーア  ヴィゴ・モーテンセン

    アン・バンクロフト  スコット・ウィルソン

    ジェイソン・ベガー  ジム・カヴィーゼル

    デヴィッド・ヴァディム  モリス・チェスナット

    ジョシュ・ホプキンス  ボイド・ケストナー

    エンジェル・デヴィッド  スティーブン・ラムゼイ

    グレッグ・ベロ  ルシンダ・ジェニー

* ストーリー

 海軍情報部に勤務する女性将校ジョーダン・オニール大佐は、男性との平等な実戦訓練を強く望んでいた。そんな彼女に千載一遇のチャンスが訪れる。それは屈強な男たちでさえ60%以上が脱落するという、過酷な特訓プログラムに参加することだった。

* コメント

 スコット作品としては、『ブラックホーク・ダウン』に先駆けて現代の戦場を描いた映画。もっとも、内容はフィクションだし、戦闘シーンは最後に少しだけで、映画自体はSEALE訓練を女性の視点から描いた、ある種のハウ・トゥー物と見る事もできます。『エイリアン』や『テルマ&ルイーズ』で女性の活躍を描いたために、スコットはフェミニズム的な観点から語られる事も多いですが、ジェシカ・チャスティンが語るように、スコットにはそもそも男性女性で物事を分けて考える感覚自体が希薄なようです。

 本作はフェミニズム映画のように語られがちですが、作品を観て分かる通り、いじめや性差別を無闇に強調せず、SEALE訓練の厳しさや、それがどのようなものかを見せる事に軸足を置いていて、すかっと気持ちよく観られます。例えばジョーダンの夫は多少のゴダゴタこそありながらも彼女の味方であり続けますし、政治家のご都合主義を体現した女性議員も出てきます。ただ、主人公が男性のようになってしまう展開に賛否両論があり、特にフェミニストや女性の観客から「女性の男性化」という批判が噴出しました。

 物語において大きな比重を締める特殊訓練の場面は、スコットが実際の訓練を見学した上で、フィクションも織り交ぜています。「面白い内容ではあったけど、単調な作業の連続で全く映画向きじゃなかった。なので、現実のものと誇張したフィクションを混ぜ合わせて作り出した。例えば、新入り達がゴムボートを頭上に掲げて長時間立ち尽くしたり、海に運んで引き上げたりする場面は実際に行われている。だが、実弾が炸裂する障害物コースを抜ける辺りはかなり誇張してある」

 監督術としては、スピーディなカッティングで畳み掛けるオープニングから、全編に渡って短いカットをテンポ良く繋ぎ、持続的な音楽でシーンを連結。監督の弟トニーとジェリー・ブラッカイマー一派が得意とした、いわゆるMTV的なスタイルですが、あまりにスピーディなので予告編に見えるほどです。ただ、トレヴァー・ジョーンズの音楽が当時はいざ知らず、今の耳には相当にダサく聴こえます。リズミカルな律動や緊迫感の維持はスコット作品らしいものの、テクノ・ポップ風のシンセ・ドラムは興ざめ。一方で、プッチーニのアリアを流してテスト用紙を記入させるシーンなどもあります。

 映像に関しては、その凝集度と美意識の高さが、今の目にも色褪せる事がありません。構図といい、色彩といい、全てにおいて他の追随を許さないクオリティで、緊密を極めた編集も見事。一つ面白いのは、戦闘シーンにおいてジッター・ズームという、急激に前後に揺れるズーム手法を使っている事。やや唐突にも感じられますが、こういう画はスコット作品も含めてあまり観た事がなく、映画にユニークなルックを与えています。戦闘の描写自体もシャープで無駄がなく、外面的な効果よりリアリズムを重視した『ブラックホーク・ダウン』に繋がるタッチ。

 俳優達の演技も、わざとらしいスタンドプレーに走る事なく、抑制されたテイストで手堅いアンサンブルを構成しているのに驚かされます。わけても、議員を演じたアン・バンクロフトの老練な巧さはぴかイチ。肩の力は抜けているし、デフォルメも一切ないのに、観客の目を釘付けにする説得力の強い芝居は、すこぶる滋味豊かなもの。巧まずして滲み出る味というのは、正にスコット作品そのものに当てはまる魅力でもあります。

 主人公がなぜこんな目に遭ってまで信念を貫くのか、その理由やモチベーションが分からないという意見は確かに理解できます。それは映画の中で描かれていないし、本作の弱点とも言えます。驚くのは、スコットが「デミ・ムーアのご機嫌取りに終始したのは明らか」という、素人のような見方をするプロのライターが我が国にいる事です。専門家なら映画がどうやって作られるかは知っている筈ですが、勿論、主演俳優の機嫌取りで映画を1本作り上げる事など不可能です。

 フランソワ・トリュフォーは「監督とは、質問に答える人である」と語り、黒澤清も、監督はあらゆるスタッフの質問に一日中答えなくてはいけない、どうしたって「監督の癖や個性が反映されるシステムになっている」と言います。これがスコットのような、全場面のストーリーボードを描き、小道具や衣装まであらゆる細部をコントロールする監督であれば尚更です。先の、SEALE訓練の場面に関するスコットの言を持ち出すまでもなく、彼はゼロの状態から「一つの概念で統一された全体」を創り上げているのです。出来上がった画面がどれほど無作為に見えても、です。

* スタッフ

 企画の発端は、女性版トム・クランシーの異名をとる作家ダニエラ・アレキサンドラが書いた、軍の中の女性をテーマにした初のストーリー。彼女は20世紀フォックスの重役で、作家としての著作もありました。企画段階で興味を示していたデミ・ムーアに脚本を送ると、彼女は主演だけでなく、自身の製作会社ムーヴィング・ピクチャーズも関わりたいと申し出。脚本をブラッシュ・アップするため、『逃亡者』『ウォーターワールド』の売れっ子デヴィッド・トゥーヒーを指名します。自身の監督作を準備していて断るつもりだったトゥーヒーは、ムーアに説得されて結局第7稿まで執筆。

 さらに彼女は、監督をスコットに依頼します。「リドリーは女性の描き方が見事で、彼が女性を愛し、理解している事が分かる。それに元々画家だから、他のどの監督とも違うキャンバスを作り出すのよ。リドリーの作品の特徴は、驚くほど深い性格描写と興味深い大きな映像、非常に挑発的なストーリーなの。これは実話じゃないけど、本当に起こってもおかしくない物語。リドリーじゃなければ、この映画は出来なかったと思う」

 スコットとムーアはイベントなどで会う度に企画を出し合っていましたが、まだ実現していませんでした。「デミとは、どちらかがいいプロジェクトにめぐり逢ったら、ぜひ一緒に映画を作ろうと話し合っていた。今回は、監督を引き受けてくれるなら、私はオッケーよと言われた。映画の軍事的側面はともかく、ずっと彼女と仕事がしたかったんだ」。かくしてスコット・フリーも製作に加わり、共同製作に『白い嵐』のナイジェル・ウール、第1助監督のテリー・ニーダムも名を連ねます。

 撮影監督は、『白い嵐』に続いてスコットとは気の知れたヒュー・ジョンソンが担当。プロダクション・デザイナ−のアーサー・マックス、編集のピエトロ・スカリアは、これがスコットとの初顔合わせですが、本作以降多くの作品で重要なブレーンとなってゆく人達です。本作はほとんどの場面がロケーションで、舞台となるワシントン周辺で実際に撮影されていますが、イラクの戦闘場面はカリフォルニアの乾燥地帯で代用。

 音楽のトレヴァー・ジョーンズは、『エクスカリバー』『ダーク・クリスタル』『エンゼル・ハート』など、80年代にオーケストラとシンセサイザーを融合させて台頭してきた作曲家ですが、前述のようにセンスが今一つ。同じスタイルなら、ハンス・ジマーの方が圧倒的に成功を収めました。スコットとのコンビ作はこれ一回きりで、自身も売れっ子にはならず。再三に渡って音楽差し替えによるトラブルを起こしているスコットですが、最も差し替えが必要だった作品は本作ではないでしょうか。

* キャスト

 オニール大尉を演じるデミ・ムーアは、剃髪場面も実際に行うほどプロ意識が高く、プロデューサーとして製作サイドの物の見方もできる人。スタント場面の多くを自ら演じ、自分用のスタント俳優と時々間違われたほどですが、鍛え上げた肉体の披露はフェミニズムの観点から賛否あり。スコット作品らしい抑制の効いた演技は好印象で、テンションの高さで圧倒するよりも、繊細に役柄を構築するスタイル(昔からそうだと思います)。彼女がサイボーグ化してゆく端緒とされる本作ですが、人間的な弱さも十二分に表現しているし、恋人との場面ではラフな側面もちゃんと演じています。

 鬼教官アーゲイルを演じたヴィゴ・モーテンセンは、公開当時はまだ知名度が低かったですが、彼もやりすぎて極端に走る事がないのは、スコットの的確なディレクションゆえ。スコットは『インディアン・ランナー』での特異で不気味なキャラクターに注目して彼を起用したそうで、アーゲイルがD・H・ロレンスやパブロ・ネルーダの詩を引用するのは、モーテンセン自身のアイデアです(ラストシーンに繋がる、結構大事なモティーフです)。

 凄いのは、デヘイヴン議員を演じたベテラン女優アン・バンクロフト。あまりの巧さに、何を喋っているのか分からなくなるくらい視線を釘付けにされます(それじゃダメですけど)。海軍特殊訓練部の責任者セイラムを演じるのは、『夜の大捜査線』『冷血』の名優スコット・ウィルソン。彼もまた、力みのない自然な芝居に種々の味わいを滲ませる、渋みのある演技派です。

 オニールの恋人を演じるジェイソン・ベガーは、『テルマ&ルイーズ』の警官役に続くスコット作品。ひょうひょうとした芝居で、重厚な主役陣への良いカウンターになっています。又、オニールのチームメイトの一人で、『シン・レッド・ライン』『パッション』のジム・カヴィーゼルも出演。『テルマ&ルイーズ』のルシンダ・ジェニーも、ブロンデルという役で出ています。

 又、散髪屋の主人をプロダクション・デザイナーのアーサー・マックス、報道カメラマンをスコット作品の海外エキストラのキャスティング担当者ビリー・ダウドが演じている他、浜辺の女性達の一人は、スコットの彼女で、当時よくカメオ出演していたジャニーナ・ファシオと思われます。

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