スコット初の本格的な戦争映画。『G.I.ジェーン』にも戦闘場面はありましたが、本作では全編に渡って戦闘場面が繰り広げられ、ニューズウィーク誌に「100分続く地獄絵図」と評されました。その描写の苛烈さと厳しい緊迫感は『プライベート・ライアン』の衣鉢を継ぐものですが、史実を描いた映画としても近現代物はスコット作品初。当時のニュース映像で、二人の米軍兵士の遺体がソマリアの民兵に引きずり回される映像を見た人は多いですが、そこで何があったのかは、アメリカ人でさえほとんど誰も知りませんでした。 わずか30分で負傷者も出さずに完了する筈だった作戦が、なぜ15時間もかかった上に多数の死傷者を出したのか。その凄惨な現実が、ここに生々しく再現されています。映画の中には出てきませんが、背景にあるのはやはり米軍の慢心で、その図式はベトコンの戦闘能力や地の利を低く見積もったベトナム戦争の時と変わっていないようにも思えます。装備や人員配置を考えても、米軍は明らかにソマリアの民兵を甘く見ていたし、それが兵士達にとって命取りとなりました。 本作ではそういった事情や、そもそも軍事介入が適切だったかどうかを問うのではなく、兵士達の自己犠牲的な行為が壮絶に描かれます。フートの「俺たちは仲間のために戦ってるんだ」というセリフは、彼らの本質を衝いているのでしょう。生還できる可能性が低いにも関わらず、一人残された仲間のためにヘリから投降させてくれと願い出るシュガートとゴードンの姿には、誰もが胸を打たれるに違いありません。それは、戦争が正しいか間違っているかの議論や、ソマリ族の死傷者1000人に対しアメリカ兵19人という議論(本編字幕でも説明されます)とは、全く別の位相にある話です。 事実に取材した原作には実際に100人もの登場人物が出てきますが、映画では観客が混乱するため、キャラクターを40人に統合して構成し直されています。しかし、出来事などは全て事実。スティール大尉が100人中75人負傷した事実を見て涙する場面も、グライムズがRPGに好かれたのも本当で、彼は実際に2度も倒壊した建物の下敷きになったそうです。レンジャーがデルタを誤射する場面もありますが、スコット曰く「味方への誤射は戦場ではよくある事だ。『なぜそんな事が』と思うかもしれないが、その理由は戦場に行ってみれば分かる」 戦闘場面のリアリズムは、背筋が寒くなるほどです。これがスタッフの手で再現されたオープン・セットで、有名なスターが演じていて、特殊効果を使って爆破された爆弾や銃器が安全に使用されていると頭で分かってはいても、この凄まじい映像のただ中に放り込まれると、そのリアリティから逃れるのは困難でしょう。何せ、事前に軍事訓練を受けた俳優達自身でさえ、「あまりの迫力に演技どころではなかった」と語っているのです。 昔の戦争映画によくある、ほっとひと息付ける日常会話の場面も、戦闘が始まってしまうとほぼありません。本作に映画的な視点があるとしたら、それはアイディード将軍側にもセリフを喋らせている事でしょう。アメリカ側の価値観一辺倒にならないためのご都合主義と言ってしまえばそれまでですが、ここに相手側の考え方も観客の耳に入れる事は、観客が自らの視座を意識する上で重要です。 レビューを見ていると、本作をアメリカ万歳映画と観ている人が多いですが、それは映画芸術の面でも、社会的な面でも、大変危険な事だと感じます。映画というものは必ず一つの「視点」から描かれるものだし、あらゆる「視点」は特定の状況や文化、思想に必ず「偏って」います。本作を「再現フィルムに過ぎない」という人がいますが、ドキュメンタリーや再現フィルムでさえ、特定の「視点」から対象を「解釈」しない限り作る事など不可能です。映画とは、物語とは、その「偏り」との対峙であって、それを完全否定する事はすなわち、排除から迫害、攻撃へと進む一歩手前の行為ではないのでしょうか。 本作のような現代史物では私達観客もつい混乱しがちですが、スコットは恐らく、出来事からまだ数年しか経っていないソマリアの戦闘も、12世紀イングランドの戦闘も(『ロビンフッド』)、紀元前のモーゼの物語も(『エクソダス:神と王』)、人間の本質にまで立ち返って同じパースペクティヴで捉えているのではないかと感じます。史実と視点の相対化とも言えるでしょうか。実際、レビュアーも何百年も前の物語となると、どちらの陣営が何人死傷者を出したのだからこれは偏った映画だ、というようなコメントはしません。 スコット作品としては、ヘリの隊列をスタイリッシュに捉えた映像美や、撮影監督スワヴォミール・イジャクによる独特の色彩設計、同時撮影の手法を用いたスペクタクルなキャメラ・アイなどの他、凄惨な人体破壊描写や手術のシーンに特質を発揮しています。又、民族音楽とロックのリズムを融合させたハンス・ジマーの音楽も、単純にアグレッシヴな高揚感やヒロイズムの強調とは違う、戦争映画としては斬新なリズムを生み出していて秀逸。 スコットは例のごとくあまりCGに頼らず、戦場のセットを作って実物大の兵器や、火薬や爆薬を使用しています。俳優達は口々に「演技じゃない。本当に恐くて逃げてる。後で特殊効果を追加する必要がないほどだった」「監督は100人の民兵に一斉に発砲させるので、音の凄さにびっくりした」と語っています。彼の仕事ぶりはいつも通りで、複雑に混乱した戦闘場面も皆に絵コンテで説明しています。ジェイソン・アイザックス曰く、「リドリーはイメージが浮かぶとすぐに描く。車の中で書いたからあまり良くないという絵だって、素晴らしくて一枚欲しいくらいだったよ」 尚、ソフト化の際には7分半の削除シーンを加えたエクステンデッド版が製作されていますが、スコットのいつもの見解に従えば、ディレクターズ・カットはあくまで145分の劇場版という事になります。監督曰く、「観客を退屈させる事は一番してはならない罪だ。俳優達は『気に入っていたのになぜカットを?』と言うが、全部入れればきりがない。力強い物語を作るため、心を鬼にしてカットする場面は出て来るんだ」 |