スコット久々のコメディ系作品。まあ仕掛けのある映画だと分かって観る人には、大体予想の付く展開です。どんでん返しというものはその性質上、一回きりしか通用しないものなので、私はあまり重視しません。それよりも、繰り返しの鑑賞に耐えうる作品かどうかが大事ですが、本作に漠然と漂う居心地の悪さが私だけのものではないとしたら、それは本作がコメディなのか否かという態度を、作り手が保留にしたまま完成されている点にあるのではないでしょうか。 ジャンプ・カットや早回しを多用して軽妙なタッチを押し出した本作は、確かにコメディ・タッチで撮られてはいますが、ストーリーやダイアローグには特に笑える所がありません。スコット自身も、脚本にあった以上にコメディの要素を強調していると語っています。つまり、本来コミカルではないものをコメディに見せようとする演出が、違和感を生んでいるのではないでしょうか。思えば、過去のスコット作品で唯一うまく行っていないと思える『レジェンド/光と闇の伝説』も、コミカルな演出に空回り感がありました(『プロヴァンスの贈り物』は脚本が良いせいか、まだ成功しているようです)。 メイキング・ドキュメンタリーをご覧になられた方はお分かりのように、本作は音楽を付ける過程でかなり揉めています。脚本と製作を兼任したテッド・グリフィンが指摘するように、ハンス・ジマーはニーノ・ロータの音楽、それもフェリーニ映画のそれを真似ていて、私にはこれが、ほとんどパロディに聴こえます。それもジマー流のモダンにソフィスティケイトされた音色で構築されているため、ロータの古風なサウンドとは質感が違っており、ストーリーに内在する情感とのズレに加えて、二重の違和感が醸成されます。 グリフィンや製作のベイリーは、「暗くて悲しい話がイギリス人にはコメディに感じられるのかねえ」と苦笑する一方、スコットもジマーも本作をコメディと解釈し、スコットなどは「そうじゃなかったら契約していなかった」とまで主張。つまり、メイン・スタッフの間でも見解が一致していなかった事が分かります。脚本家やプロデューサーと監督の間に、物語の感情的側面に関する根本的な認識の不一致がある訳で、これは映画製作において致命的な溝ではないかと思うのです。完成作に私が感じる違和感は、やはり気のせいではないように思います。 さらに「コメディ」という方向で認識が一致しているはずの監督と作曲家の間でも、具体的な仕上がりについてイメージが共有されなかったようです。メイキング映像の中でスコットはジマーに、「ずっと言いたかったんだが、コメディ音楽は時代遅れだと思う。今は中途半端な状態で、音楽が邪魔になっている」とはっきり意見しています。グリフィンもロータ風の音楽に違和感を指摘、曲自体はみんな気に入っていたにも関わらず書き直しとなりますが、何とジマーは又も同じテイストの音楽を提出し、曰く「結局シーンごとに全く違う曲を付け、僕の曲を全て使う事で解決した」 役者はみな良い芝居をしているし、脚本も良く、スタッフ・ワークも一流で、監督の演出力も見事なのに、一つボタンを掛け違えるだけでこうも焦点がズレてしまうなんて、映画とは難しいものです。ジャンプ・カットだけなら軽快なテンポを出すためのテクニックとして観られますが、音楽は情感を決定付けます。極度の潔癖性という主人公のキャラクターも大袈裟にクローズアップされすぎて、そこに何か重要な意味があるのではと勘ぐって観てしまいます。味付け程度に収めておくべきだったのではないでしょうか。美的センスを生かした背景描写や、詐欺の場面など緊迫したシークエンスにスコットの本領が発揮されている事は言うまでもありません。 |