スコットお得意の壮大な歴史劇。十字軍の映画を撮りたいという、長年の希望がやっと実現した映画でもあります。彼が『トリポリ』という映画を準備しているという話題は、私もあちこちで目にしていましたが、いつまでも公開されないので不思議に思っていました。しかし実は製作の8年も前から、スコットは脚本家モナハンと企画を進めていたのです。 十字軍遠征は長期間に渡る上、エピソードも多く、どの期間を選ぶかが重要ですが、モナハンが惹かれたのは、癩病(ハンセン病)のために仮面を付けていたというエルサレム王。この時代は第2回と第3回の遠征の間で、パワー・バランスが拮抗して一時的に休戦状態にあった事も、彼の興味を惹きました。そこで彼らは、エルサレム王の話から全体を構成し、降伏して城を明け渡したバリアンの人物像を膨らませる事にします。スコット曰く、ポイントは3つ。バリアンの降伏、休戦の時代、癩病のエルサレム王。 バリアンがエルサレムに向かうまでの前半部は、想像力で膨らませたフィクションですが、後半部は史実で、ほぼ全てが実在の人物。サラディンの怒りを買ってルノーが斬首されるのも、映画的な場面ですが史実です。出来事の時間軸は、作劇のための変更幅を数週間までに制限しており、ほぼ史実と思って観れば良いようです。衣装やセット美術、武器兵器など、視覚面も綿密な時代考証で再現されていますが、火矢だけは当時まだ使用されていなかったとの事。 既にアイドル的な人気を博していたオーランド・ブルームが主人公バリアンを演じていますが、これが三時間を越える長尺の中、ほとんど笑みをみせないシリアスなキャラクターで、スコット作品らしい精悍な演技が映画を力強く牽引します。『グラディエーター』のマキシマスとは、妻子を失って虚無の内にある事や、望んでいないのに重用されて周囲の恨みを買う点、有力者の妻と通じる点など、相似点が多い所にも注目。資質を欠く人物がトップの座に付いたために起きる悲劇は、『1492コロンブス』『グラディエーター』『ロビン・フッド』等にも見られる、スコット好みの物語です。 バリアンは有能な人物で、庶民から出発して、敵方からも一目置かれる活躍を見せますが、これが史実とはなんともヒロイックな人物が実在したものです。十字軍の歴史の中にこのキャラクターを発見し、主人公に据えた時点で、脚本は十分魅力的なものになったでしょう。戦闘場面は圧倒的な迫力で描かれますが、戦う兵士達が累々と重なる死体の山にオーヴァーラップする編集は、戦争の悲惨さと虚しさを容赦なく観客に突きつけます。民の命と引き換えに降伏した人物を主人公とした意義は、その点で大きいかもしれません。 舞台の変遷に合わせ、多彩なカラー・パレットで映像美を追求する一方、凄惨なシーンが多いのはスコットらしい所。戦闘シーンが苛烈なのは言うまでもありませんが、生首指向もここに極まれりで、ほとんど「生首映画」になっていて少々観客を選びます。お得意の手術シーンも早々に出て来て、苦手な私などはいきなりゲンナリ。しかし、映画を観ている事さえ忘れさせるような、この驚くべきリアリティのさなかにあっては、「当時は生首の時代だったんだ」と一蹴されている気にもなります。 まったくこのスコットという人はイマジネーションに限界がないのか、どのような世界をもスクリーンに現前させてしまうその手腕は、正に映像の魔術師の名にふさわしいもの。容易には想像する事すら難しいような遥か太古、遥か彼方の世界が、まるで手に触れられそうな迫真力を持って眼前に立ち現れる様は圧巻です。地平線を埋め尽くす兵団など、その巨大なスケールと絵画的な構図がスコットの敬愛する黒澤明作品を彷彿させますが、逆に子供のエピソードを、船のオブジェ(『ブレードランナー』の折り紙を想起させます)を使ったミニマムな表現で対比させるという、ダイナミズムの極致もデリカシー満点。 それ自体で驚くべき強度を持つ各ショットが、さらに鋼のように強靭なワイヤーで連結されている様は見事という他ありません。全編が異様な緊迫感に溢れる彼の映画に接する度、ああ、やっぱりスコット作品だなあと痛感します。特殊効果やアクションをふんだんに盛り込み、超絶技巧を駆使しているにも関わらず、キャラクターの言動や選択が物語を牽引してゆくのは良質な映画である証左。俳優陣が誰一人過剰な演技をしないのも、スコット作品ならではの美質です。 |