スコットは相当に入れ込んでいたと言われる『キングダム・オブ・ヘブン』の前後に、珍しくコメディ・タッチの現代劇を撮っていて、それが『マッチスティック・メン』と本作です。ここでは、ため息が出るほど美しいプロヴァンスの風景の中で、軽妙洒脱なコメディが展開しますが、いわゆるハリウッド流ラブコメとは一線を画し、表向きは軽くても内に人生への省察が含まれているのはスコットらしい所。 本作は、世界的ベストセラー『南仏プロヴァンスの12ヶ月』の著者、ピーター・メイルの小説初の映画化でもあります。メイルとスコットはロンドンの広告業界で仕事をしてきた30年来の友人で、この話もスコットが見せたブティック・ワインに関する新聞記事がアイデアの元。その時点でスコットが映画化権を買い取る事になっていて、これは最初から映画化を想定して書かれた原作だとも言えます。ちなみにスコット自身も、プロヴァンスに別荘とワイナリーを所有しています。 私はメイルの本を全く読んだ事がないのですが、本作には著者の自伝的要素が入っているのかもしれません。ロンドンの多忙なビジネスマンが、プロヴァンスで幼い頃の記憶とかつての人生観、つまり失った物を取り戻してゆく経緯は、原作者のプロフィールを想起させます。プロットはよくあるお話に感じられますが、魅力的な人物描写や恋愛模様、シャトーとワインを巡るドラマなど、確かな作劇センスによって豊かな内容が器に盛られています。 印象的なダイアローグも多く、「ここ(プロヴァンス)は僕の人生に向かない」というマックスに、「違うわ。あなたの人生がここに向かないのよ」と返すファニーのセリフは素敵。マックスが幼少時からおじさんのサインを代筆していた事や、実は子供時代に会っていたファニーが耳元で囁いた言葉、伝説の稀少ワイン“コワン・ペルデュ”の話題など、後の展開に繋がる伏線が幾つもありますが、そこはスコットの演出ですから、説明的な描写や分かりやすい芝居の強調を行わないため、観る側の洞察力も必要になります。 自分の生き方を見直し始めたマックス。ゴッホの絵画を所有しながら本物は金庫に入れ、部屋にレプリカを飾っているボスに、「本物はいつ見るんです?」と返す所は、テーマの核心を衝いています。ゴッホが南仏に住んだ画家である所を考えると、このやり取りは映画全体のメタファーとも取れるでしょう(その後マックスが、本物のゴッホを買い取ったと解釈できるショットもあります)。 マックスが幼少の頃に聞いていたおじさんの言葉は、曲解されて競争社会を生き抜くための教訓となりますが、プロヴァンスに戻って記憶が甦った彼に、その真意が少しずつ見えてきます。彼も無駄に生きてきた訳ではないのです。物語のキーとなるのは、「テロワールには、太陽や雨よりも必要なものがある。ハーモニーとバランスだ」という言葉。これはワイナリーの人々や、ファニー、クリスティとの関係にも当てはまります。人生と人間関係、そのハーモニーとバランスを調性しはじめたマックスの目に、新たな可能性と展望が見えてきます。 驚いた事に、某映画情報サイトの投稿レビューで「激マズのワインが美味しくなる過程が描かれていない」とか、「主人公が最後までここのワインを好きにならない」とか、「主人公がプロヴァンスに魅せられてゆく描写がない」と、思わず目を疑うような事を書いている人が何人もいますが、ストーリーや設定の理解は大丈夫なのでしょうか? わざわざストーリーを解説するのは当コーナーの本意ではありませんが、マックスは幼少時からプロヴァンスを知っていますし、なぜマズいワインが出されたのか、コワン・ペルデュの畑は一体どこだったのか、映画をもう一度よく観て欲しいと思います。 あらゆる場面がすこぶる美しいのはスコット作品の長所ですが、ジャンプ・カットや早回しなど多彩な編集テクニックで軽快なテンポを叩き出しているのも(そして少々空回り感があるのも)『マッチスティック・メン』との共通点。恋愛の場面もロマンティックに演出されていて、スコットの新たな一面を見る思いです。尺が2時間以内に収まっているスコット作品も少ないし、ハッピー・エンドやそれに類するエンディングもスコット作品では珍しいですから、それだけでも貴重な一作。 本作では、女性の感性を全面に生かしたかったのか、女性スタッフを責任者にしている部署が目立ちます。ポス・プロ監修のテレサ・ケリーや、製作のリサ・エルジー、編集のドディ・ドーンなど続投組の他、衣装のカトリーヌ・レテリエール、そしていつもセット装飾を担当しているソーニャ・クラウスをプロダクション・デザイナーに起用しているのも意図的と思われます(もっとも、こういう点を敢えて指摘する事自体おかしいのでしょうが)。又、撮影担当にフランス人のシネマトグラファーを起用しているのも一興です。 ちなみに、セリフには意味の分かりにくい部分が多々ありますが、これらは劇場用パンフレットで詳しく解説されていて助かります。例えば、マックスやクリスティがサソリに驚いて大騒ぎしている時にデュフロ婦人が繰り返す「ラベンダーよ」というセリフ。これは、窓辺に置いてあった害虫駆除用のラベンダーを知らずに捨ててしまったせいだという意味。又、マックスが自転車の集団に向かって叫ぶ「ランス・アームストロング!」というのは、偉大なロードレース選手の名前です(他にも幾つかあります)。 |