欧州各地で無差別テロを行うイスラム過激派組織とCIAの戦いを描く、ポリティカル・アクション。実話ではありませんが、ジャーナリスト出身の原作者、脚本家が関わっているだけあって、ディティールのリアリズムが徹底して追求されています。原題の“Body of Lies”は、「偽の死体」という意味。主人公フェリスが現場で暗躍するCIAの工作員であるため、映画はアメリカ側の視点から描かれますが、テロリスト側も恐らくそうであるのと同様、フェリスの周囲も一枚岩ではありません。 彼の上司である主任ホフマンにも、協力関係にあるヨルダン情報局(GID)のハラームにも、目的達成のためなら誰であろうと利用する狡猾さがあり、味方であろうとも腹の探り合いがある上に、手持ちの情報もそれぞれ違っていたりします。現場にいないホフマンは、遠くアメリカで子供の送り迎えをしながら指示を出したりして、常に命を危険にさらしているフェリスとは切迫感が違いますが、冷静な判断を下せるメリットもあります。 利害関係が複雑で、立場も目的も違う人物や集団を、力学的に拮抗させて緊張感を維持するのはスコットのお家芸。2つないし3つの視点を鮮やかに切り替え、間断無く拍動を刻み続ける音楽がそれらのショットを連結。物理的にも感情的にも音楽がアイドリングの役割を果たし、いつでもフル・スロットルへ転じられる準備を整えているのが、テンションの高さを保つ秘訣と言えるでしょう。 息を付ける箇所が全くない訳ではなく、狂犬病の注射のために立ち寄った病院で看護師とのロマンスが生まれますが、これは映画的すぎる展開で好悪の分かれる所。現実の工作員にこういう心の動きがあるものなのかどうか知りませんが、常に危険と隣り合わせのエージェントが、現地の一般人とデートをするというのはあまりに無防備で、私にはちょっと真実味が感じられません。案の定、彼女は人質に取られますが、それがまた映画的な設定という印象を与えてしまいます。 緊密な描写力でハードなアクションを展開する手腕は冴え渡り、全編に有機的な迫力を感じさせます。暴力的なシーンも容赦なく盛り込みますが、残虐な描写は控えめで、心理的なサスペンスを重視しているように見受けられます。カッティングが速いので映画全体がスピード感に溢れ、複数のキャメラを同時に回すスペクタクルの手法も効果的。ただ、こういう映画にはアクションの興奮を求める人も多いと思うので、エンタメ的な演出や派手な盛り上がりを優先しないスコットの姿勢は、観客を選ぶかもしれません。 衛星を使った画像解析は『ブレードランナー』が描いた未来を想起させますが、『テルマ&ルイーズ』のクライマックスを連想させる車の砂ぼこり(砂漠の嵐作戦の辛辣な比喩?)にあえなく撹乱されるハイテク技術の脆弱さも描きます。本作はフィクションですが、ベトコンや民兵に振り回されたベトナム、ソマリアと、懲りずに同じ事を繰り返すアメリカへの眼差しも透けて見えます。一般人をおとりに仕立て上げるCIAの卑劣な手法は、テロリスト達がやっている事とそう変わらないのでは、と思わせる展開も。 映像は、洗練よりは迫真力を優先させますが、雑然とした路上を荒々しく描く一方で、塵一つないスタイリッシュなオフィスの描写も巧みなのは、CMの経験が生かされた引き出しの多さゆえ。CGに頼らないアナログ傾向も相変わらずで、メイキング映像を見ていると、車に向かって飛んで行くロケット砲もピアノ線を吊って模型を飛ばし、着弾のタイミングで実際に車を爆破しています。 |