スコットお得意の裏社会物で、人気作家コーマック・マッカーシーのオリジナル脚本。一般人が巻き込まれるお話で、罪のない周辺人物まで犠牲になる恐ろしさも描いています。アメリカ社会の病巣やモラルの問題を描くというよりは、日常生活のすぐ裏側にある危険を指し示し、弱肉強食の社会(チーターと野うさぎで暗喩されています)におけるタフネスと自己責任の確認を促す映画という感じ。本作の場合は別に黒幕がいて、必ずしも巨大組織のみを悪としている訳ではないのが映画らしい仕掛けです。 特にダイアローグが優れている訳ではなく、作劇もさほど斬新ではないので、個人的には小説家が参入したメリットを感じませんが、オランダでのダイヤをめぐる会話辺りは、作家らしい奥行きと言えるでしょうか。むしろ演出面が優れていて、スピーディーな展開ながら何が起きているかを明快に見せる点に、スコットの手腕が発揮されています。『エイリアン』以来、『グラディエーター』の闘技も含めて生存闘争をしばしば描いて来たスコットですが、ただただ恐怖から逃げるという意味では、久しぶりに純度の高い作品と言えます。ただ、それにしては脅威の対象が散発的。 例えば、負傷しても黙々と任務を遂行するカルテルの殺し屋はアンドロイドのようで不気味ですが(またセルフ手術の場面があります)、誘拐犯などはチンピラみたいな風采で、こういう相手ならむしろ姿を見せない方が、得体の知れない組織の恐ろしさが出たのではないでしょうか。ちょうど、『誰かに見られてる』の殺人犯が粗野で愚鈍なためにサスペンスの度合いを下げてしまっているのと、似た理屈です。 それでも、道路に淡々とワイヤーを仕掛けるビジネスライクな殺し屋や、息子の死の瞬間を身体で感じ取る女囚、バキュームカーの奪い合いと流れ作業の行程、フェラーリのエピソードなど、論理では説明しきれない何かしら「普通ではない」描写の数々が、人間という生き物の底知れなさをひしひしと感じさせて、背筋をぞっとさせます。虚無的なまでに淡々と死を見つめるスコットの透徹した眼差し、その死生観は他の作品と共通するもの。 俳優に過剰な演技を禁じているのはスコット作品らしく、裏社会のリスクを把握しているウェストリーと、自分が足を突っ込んだ世界に実感が持てないカウンセラーの対比を、二人芝居で巧みに表した場面がとりわけ見事。ここでのブラッド・ピットの演技は恐ろしくリアルで、思わず画面に引き込まれます。残酷な暴力描写は、巷で言われるほど多くはないのですが、インパクトが大きいので強い印象を残してしまうのもスコット作品の特徴。 それにしても、血と汗と汚物にまみれたファレスの町も、空撮で見ると何と美しいことでしょう。スコット作品にはありがちですが、全ての場面がまるでCMのように美麗なのは相変わらずです。ライナーとマルキナがチーターを眺める場面なんて、もうそのままCMという感じですが、その一方で、俳優の顔があまり美しく撮られていないように見えるのは、クローズアップが多いせいでしょうか。それとも土地柄、みんな陽焼けで肌が荒れている設定なのでしょうか。 21分長いエクステンデッド版は、ソフトのパッケージからは物語の謎が明らかになるような印象を受けますが、そうではなく、ダイヤを買う場面など会話の分量が増えただけのケースがほとんど。よく見ると「『悪の法則』の全貌が明らかに」と書かれているので、まあ嘘ではないですが・・・。全く新しいシーンとしては、プールにチーターが現れて子供達が騒ぐユーモラスな場面、深夜に胸騒ぎを覚えたローラがマルキナに電話する場面、ウェストリーの最期に悪趣味な描写を追加した所くらい。 そもそも、ローラとマルキナは顔見知りとして描かれていますが、どういう関係なのか公開版でもエクステンデッド版でも全く説明されません。又、ロンドンでウェストリーにナンパされる女性は、ソフトの特典映像(削除シーン)の中で下着ショップの店員としてカウンセラーと会っており、彼女がどこまでどういう役割を担っているのかも、具体的には説明されていません。未公開映像には、ライナーがマルキナと出会ってナンパする場面もあります。 |