『プロメテウス』で久々にSF回帰したスコットが間を置かずに放った、ユニークな作品。『ロビン・フッド』以降、歴史劇、裏社会物、SFと、得意の3ジャンルしか撮っていない彼ですが、本作は誰も死なない話だし、コメディ・タッチの味付け。カット数が多くて切り替えも速く、自慢の研ぎ澄まされた映像美をじっくり見せない編集も、全編にディスコ・ミュージックが流れるサウンドトラックも、恐らくは意図的にスコット作品らしいイディオムから外れています。 そうは言っても、始まって30分もしない内に又もや自己手術の場面で目を覆いますが、逆に言えば、凄惨な描写はそこくらいしかありません。いわばロビンソン・クルーソー的なサヴァイヴァル物をSFにアレンジした体裁で、『キャスト・アウェイ』『127時間』のような一人芝居の要素もあります。映画全体としては実話ベースの『アポロ13』と共通する描写も多く、その衣鉢を継いだフィクションと見る事もできるでしょう。 物語は、火星に取り残された主人公ワトニー、帰還中の宇宙船エルメス、NASAの3箇所だけで進行し、一般の人々のリアクションはラスト30分まで描かれません。『アポロ13』は乗組員の家族をはじめ、周辺人物の人間ドラマを掘り下げるのがロン・ハワード監督らしい一方、実話物だけあってシリアスなアプローチでした。対照的に、フィクションである本作は、乗組員やNASA上層部の葛藤に硬質なドラマを構築する一方、主人公の性格にシニカルなユーモアを与えているのが特色といえます。 フィクションであるにも関わらず、まるで実話物を観ているかのような緊張感があるのは見事。実話物の映画でいつも不思議に思うのは、既に周知の出来事をなぞっているにも関わらず、まるで先が読めないようなスリルを感じさせる事ですが、フィクションである本作が当然そのメリットを享受しながら、逆に実話物のごときリアリティを獲得しているのは逆説的で面白いです。 製作にはNASAが協力を行っていますが、詳しい人からすればつっこみ所は色々あるようです。そもそも原作も、理系の人達から「しょせん文系」と批判されたそうですが、私にはそこまでの科学的知識がないので、本作のディティールは十分リアルに感じられます。 本作には、この映画を誰が撮っていて、誰が演じているかを観客の念頭から払拭させる迫真力がありますが、それも良い映画の条件。自然の中のサヴァイヴァルだと、音楽や会話が使えないので演出も寡黙になりがちですが、本作ではダンス・ミュージックがリズミカルな躍動感を補っている上、早回しのカットや、地上の様子とのカットバックを多用した編集によって、全体をアクティヴに見せる事に成功しています。 又、一人芝居のマット・デイモンに、ビデオへの記録という形でセリフを与えるアイデアも秀逸で、ヘルメス号とNASAの陣営に優秀な俳優達を配置し、アンサンブルの味わいで見せる工夫も生きています。 日本びいきだったスコットが、中国とアメリカの友好関係を取り上げているのは、恐らくは脚本通りといえ、日本人には少々複雑な心境。現実の政治経済状況を予見的に反映させるのは、スコットの得意とする所ですが、現在のわが国が置かれている状況を直視させられる描写でもあります。実際にこういう事態が起こった場合、必要とされるのはもう日本の技術力ではないのかもしれません。 |