エイリアン:コヴェナント

Alien:Covenant

2017年、アメリカ (122分)

 監督:リドリー・スコット

 製作:リドリー・スコット、マーク・ハッファム、マイケル・シェーファー

    デヴィッド・ガイラー、ウォルター・ヒル

 共同製作:テレサ・ケリー、ハンナ・アイルランド

 脚本:ジョン・ローガン、ダンテ・ハーパー

 (原案:ジャック・ペグレン、マイケル・グリーン)

 撮影監督:ダリウス・ウォルスキー, A.S.C.

 プロダクション・デザイナー: クリス・シーガーズ

 衣装デザイナー:ジャンティ・イェーツ

 編集:ピエトロ・スカリア

 音楽:ジェド・カーゼル

 セカンド・ユニット監督:ルーク・スコット

 出演:キャサリン・ウォーターストーン  ビリー・クラダップ

    マイケル・ファスベンダー  ダニー・マクブライド

    デミアン・ビチル  カルメン・イジョゴ

    ジャシー・スモレット  キャリー・ヘルナンデス

    エイミー・サイメッツ  ナサニエル・ディーン

    アレクサンダー・イングランド  ベンジャミン・リグビー

    ウーリ・ラトゥケフ  テス・ハウブリック

* ストーリー  *ネタバレ注意!

 人類初の大規模移住計画により、新たな植民地となる惑星オリガエ-6を目指し、2000人の入植者とともに地球を旅立った宇宙船コヴェナント号。船の管理は最新型アンドロイドのウォルターによって行われていた。ところが突然のアクシデントで、船長を含む数十人が落命。コヴェナント号は謎の電波を受信する。船長代理となったオラムは、科学者で前船長の妻だったダニエルズの反対を押し切り、進路を変更して電波が発信された惑星へと向かう。

 惑星に降り立ったダニエルズ、オラム、ウォルターらは調査隊として探索を行うが、メンバーが原因不明の病気に倒れ、禍々しい謎の生物の餌食となってゆく。パニックに陥る調査隊の前に、かつてプロメテウス号に搭乗していた旧型アンドロイド、デヴィッドが姿を現わすが・・・。

* コメント  *ネタバレ注意!

 『エイリアン』の前日譚で、『プロメテウス』の後日譚。監督自身が第1作のテイストに立ち返ったSFホラーだと語っているので、まずその点がどうかと言えば、怖さの点では少々劣ります。これは私達観客が恐怖に慣れてしまったのかもしれませんが、私にはどうも、H.R.ギーガーによる不穏な悪夢の世界から離れてしまったせいという気がします。スコット自身、「観客にショックを与える事は以前よりずっと難しくなった」と認めており、モンスターの正体がもう未知ではない当シリーズの場合、それはなおさらでしょう。

 彼の「追いかけっこをいつまでも続ければ観客は飽きてしまうし、異常さではなく怖さを追求するなら、暴力の描写にも限度がある」という言葉は、このジャンルの難しさを象徴しています。ここではゼノモーフ(第1作のエイリアン)と新登場のネオモーフが、特殊技術と凝集度の高い演出によって凄惨な場面を作り出しますが、これらの場面自体にどこか既視感がある点は否めません。

 オラムが犠牲になるくだりは、ファンへのサービスなのでしょうか。第1作をそのままなぞってゆくので、最後は違う展開があるのかと思いましたが、結果はそのまんまでした(ただし生育がダイジェストみたいに速いのと、飛び出すのがチェストバスターではありません)。『プロメテウス』もそうでしたが、こういう箇所がほとんどパロディに見えてしまうのは残念です。

 一方、『プロメテウス』と同様に別々の場所で2人のクルーにエイリアンを寄生させ、パニックを同時進行で描く辺りは、畳み掛けるように観客へ襲いかかろうという工夫と迫力を感じます。磁気嵐という環境面での悪条件をプラスして、より混乱と不安を高める手法も『プロメテウス』を踏襲。鼻や耳から異物が侵入する描写は、このシリーズの根底にある、ウィルスや寄生虫への生理的嫌悪感を巧みに利用したものと言えます(『エイリアン』『プロメテウス』では口から摂取)。

 密室で展開した第1作と、広大な自然が印象的だった『プロメテウス』の両方の要素を入れながら、ニュージーランド・ロケで新しいルックを求めた点は、目覚ましい効果を挙げています(前作はアイスランド)。プロダクション・デザイナーも交替し、スコットの斬新なヴィジュアル・センスには磨きがかかっていると言えるでしょう。ただ、アンドロイドが一人二役のため、二人が揃う場面ではどちらがウォルターでどちらがデヴィッドなのかよく分からないのは問題です(それを利用したストーリー展開でもありますけど)。

 そもそも『プロメテウス』、そして本作と、俳優のアンサンブルを重視する側面は作品ごとに弱くなっていて、本作では個々のキャラクター描写がほとんど行われません。そのため、誰が誰なのかよく分からないまま舞台から消えてしまう印象も受けます。観客にショックを与えたいなら、まず犠牲者のキャラクターを掘り下げるのが鉄則ではないでしょうか。

 では、物語の設定はどうでしょう。本作はクルー達(人間)というより、アンドロイドが主人公になっている点で過去作と大きく違っています。生み出されたばかりのデヴィッドと、生みの親であるウェイランドによるオープニングは、最初は何やら勿体ぶったシーンに見えますが、映画を最後まで観て振り返ると、本編のストーリーに関するヒントが、全て二人のセリフの中に示されている事に気付きます。

 ワーグナーの楽劇《ニーベルングの指環》(人間と神々の没落を描いた連作オペラ)の引用は衒学的な駄目押しでしかなく、プロメテウスの神話も然りです。作劇の型としては親殺し、神殺しのテーマをなぞったもので、『フランケンシュタイン』に代表されるいかにも古典的なモティーフ。AI(人工知能)が人間に叛乱を起こす展開は、スコット自身の『ブレードランナー』、スコットが敬愛するスタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』にも存在します。

繫いでみせた脚本によって、前日譚製作の意義は保たれたといえるでしょう。劇中でパーシー・シェリーの詩が引用されますが、『フランケンシュタイン』を書いたのが実はその妻メアリー。『エイリアン』シリーズの主人公は全て女性ですが、こうなるとその物語の原型を作ったのも女性だった事になります。

 本作では、『プロメテウス』で謎だったデヴィッドの真意はほぼ説明されましたが、結局まだ分からない点もある上、新しい謎も生まれています。ショウ博士とデヴィッドが、ジャガーノートでエンジニアの母星(本作の舞台)にやって来た事が分かりますが、目的が何だったのかはよく分かりません(1体のエンジニアですらあれほどの脅威なのに、その母星に行くなんて無謀です)。時間軸が分かりにくいですが、ショウはその前にもう死んでいたのでしょうか。

 又、第1作の惑星(『プロメテウス』とは別の惑星)でノストロモ号が発見したジャガーノートとスペースジョッキーがなぜあそこにあの状態であったのかは、本作でもまだ分かりません。さらに、ウェイランドが自らの延命だけを追求する利己的な人物だったとすると、この事業全体のグランドデザインも目的と性格が曖昧になってきます(社長亡き後も事業が存続しているせい?)。ストーリー全体としても、アンドロイドの意志が大きく介在するため、過去作に顕著だった生存闘争の側面と、「人間世界に対するギーガー的幻想世界」の構図は背景へと押しやられてしまいました。

 相変わらず不合理な描写も目立ちます。クルーが皆、プロとして余りに頼りないのは彼らが入植者でもあるという事実を差し引いても、現実的ではありません。これほど大規模な計画において、現場のクルーが目的地を軽々しく変更できるとは思えないです。そして、又もやマスクなしの軽装備で未知の惑星に降り立ち、植物を口に入れるわ、排泄をするわ、タバコを吸うわ(そして捨てるわ)、案の定、黒い粒子を吸い込んで大惨事になった上、感染者を安易に船内へ入れています。

 そもそも、入植のためにクルーがカップルで構成されているのはいいですが、そのせいで数々の弊害が生まれるのは事前に予測されうる事です。一つ面白いのは、開巻早々に船長が事故死し、オラムが新船長として危なげな責務を負う設定は、能力のない者に権力が移ったせいで悲劇が起こるという、スコット作品にしばしば適用される物語の型になっている事。これは意図的なものなのか偶然なのか、監督本人に訊いてみたいものです。

 尚、映像ソフトにはウェイランド社による新型アンドロイドのCMや、入植者の適性検査の映像などが収録され、時代を反映したマルチメディア的展開になっていますが、これらが皆、遊び心で製作された別作品なのか、本編から削除されたシーンなのかはよく分かりません(エンド・クレジットには閲覧できるサイトのアドレスが表示されているようです)。個人的にはインタラクティヴな楽しさよりも、肝心の本編が説明不足にならないよう、映画単体での完成度を優先させて欲しいと感じます。

* スタッフ

 製作はスコット自身の他、マーク・ハッファム、マイケル・シェーファー、テレサ・ケリーとスコット組に、相変わらず『エイリアン』シリーズのデヴィッド・ガイラーとウォルター・ヒルも参加(この人達は、実際にどれくらい関わっているのか不明です。名前を入れないといけない契約になっているだけかも)。又、セカンド・ユニットの監督をリドリーの息子ルークが担当。彼は父のプロデュースで監督デビューもしていますが、さらに『ブレードランナー2049』のスピンオフ短篇も監督しています(ネット配信)。

 原案は『セックス・アンド・ザ・シティ』『HEROES/ヒーローズ』『THE RIVER/呪いの川』など人気ドラマの数々を手掛け、『ブレードランナー2049』にも参加したマイケル・グリーンと、新進のジャック・ペグレン。脚本は『グラディエーター』でも組んだ劇作家ジョン・ローガンと、インディーズやドキュメンタリーで活躍し、本作で脚本家デビューとなるダンテ・ハーパー。物語の構成が誰の手柄なのかははっきりしませんが、詩的なダイアローグはローガンの得意技で、デヴィッドのセリフなどは彼のテイストと思われます。

 撮影監督のダリウス・ウォルスキー、衣装のジャンティ・イェーツ、編集のピエトロ・スカリアと常連スタッフの他、プロダクション・デザイナーのクリス・シーガーズが初参加。トニー・スコット作品を多数手掛けてきた人で、美術監督時代の仕事には『プライベート・ライアン』もあります。リドリー作品では珍しくニュージーランドでロケをしているのは、毎回舞台が変わる本シリーズに新しい人材を起用したメリットかも。どんより曇って雨がちなミルフォード・サウンドの天候を、未知の惑星の風景として見事に取り入れています。

 音楽も、スコット作品初参加のジェド・カーゼル。オーストラリアのデュオ、ザ・メス・ホールの一人ですが、兄ジャスティンが監督した『スノータウン』で初めて映画に関わって以降、『マクベス』『アサシン・クリード』など兄の監督作を中心に活躍しています。ここではリドリーの悪癖がまた甦り、『エイリアン』のジェリー・ゴールドスミスのテーマ曲を使っている他、『プロメテウス』の追加音楽を作曲したハリー・グレッグソン=ウィリアムズの作品も2曲(笛のメロディなど)使用。作曲家を悩ませた事は想像に難くありません。

 ワーグナーの楽劇《ニーベルングの指環》の第1夜《ラインの黄金》のクライマックスにある、《ヴァルハラ城への神々の入城》はストーリーと関連して大きく引用され、オープニングではピアノ演奏、エンディングではオーケストラによるオリジナルが壮大に鳴り響く本作。とてもじゃないですが、新進の作曲家が存分に腕を振るえる作品とは行かなかったのではないでしょうか。

* キャスト  *ネタバレ注意!

 主演はサム・ウォーターストンの娘、キャサリン・ウォーターストン。なるほどお父さんに似ていますが、どういう訳か日本人には角野卓造に見えてしまう(という事はあの人にも)顔立ちです。つまりコミカルに感じられてしまうので、写真で見るとサスペンス・アクションとしては違和感もありますが、さすがインディペンデントで頭角を表した才人だけあり、迫真の演技力。小柄だったノオミ・ラパスとは真逆で、キャスト中で飛び抜けて背が高いのもメリット。

 スコットは彼女を、「見た目が堂々としていて背が高く、運動選手のような素晴らしい女優」と讃えた上、舞台出身者ならではの、常に演技の中で恐怖感情を維持し続ける能力を指摘しています。ただ、本シリーズの主役としては見せ場が少なく、少し損をした格好。他にもスコットが注目した『インヒアレント・ヴァイス』、『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』『スティーブ・ジョブズ』と、話題作への出演多数。

 アンドロイドを一人二役で演じたのは、前作に続きマイケル・ファスベンダー。スコット作品は『プロメテウス』『悪の法則』と3作目ですが、やはり身体能力が高く、表現の引き出しが多い彼は、他の出演者もこぞって「ファンだ」と公言するほど。スコットも彼を絶賛しています。感情や自分の意志を持つデヴィッドと、その点を危惧されて情動を制限されたウォルターを演じ分け、二人が戦う烈しいアクション・シーンも最小限のCG処理で両方を演じています。

 オラムを演じるビリー・クラダップは、バリー・レヴィンソン監督の『スリーパーズ』でデビュー、『ハイロー・カントリー』『あの頃ペニー・レインと』『ビッグ・フィッシュ』など、出演作に恵まれた役者。彼も舞台出身者の美質を監督に買われており、適任ではないものがその責務を負って大失敗する苦しさを、抑制されたナイーヴな演技の中に描き出していて見事です。

 他のクルーは新進の若手が中心で、『マイレージ、マイライフ』『ロック・ザ・カスバ!』のダニー・マクブライド、『チェ』2部作のデミアン・ビチル、『アイ ウォント ユー』『恋の骨折り損』のカルメン・イジョゴ、『ラ・ラ・ランド』のキャリー・ヘルナンデス、そして『ビューティフル・ダイ』『サプライズ』等の他、監督デビューもしてインディーズ・シーンで重要な女優、フィルムメイカーとされるエイミー・サイメッツなど。

 尚、なぜかクレジットにはありませんが、ジェイコブ船長役でジェームズ・フランコが出ている(動いている場面はほぼビデオ映像だけ)他、冒頭のシーンでウェイランドを演じているのは『プロメテウス』同様にガイ・ピアース。邦画洋画を問わず、大物俳優のカメオ出演は後を絶ちませんが、これは一体何なのでしょう。俳優の虚栄心の裏返しでしょうか。それとも、出演料を受け取らないボランティア出演という事でしょうか。サプライズが好きなゲーム感覚の観客以外にはデメリットしかないので、出演者の名前はちゃんと出して欲しいと思います。

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