ミラーとメル・ギブソンのデビュー作にして、その後の名声を決定付けたヴァイオレンス・アクション。世界中で大ヒットしましたが、アメリカでは積極的に宣伝されず、シリーズの認知が遅れました。ミラーは朋友バイロン・ケネディ、弟のビルと、医師の経験を元にこの長編を作り上げましたが、完成版は最初のヴァージョンから40分も短縮されているといい、アクションにフォーカスする意図は強かったようです。デビュー作がシネマスコープ・サイズというのも凄い所。 暴力性とカー・アクションばかりが云々される映画ですが、キャラクター設定の細かさや豊富なバック・ストーリーなど、後のミラー作品に共通する緻密さは既に見られます。脚本も意外に文学的で、マックスやトーカッターのダイアローグには演劇的な思索性も盛り込まれ、通常のアクション映画とは一線を画す、意欲的な創作。 まだ文明社会がある時代の話なので、映像のルックも核戦争後の未来を描く2作目以降とは全く違います。土地柄、砂漠や平原が多いとはいえ、植物も青々と茂っているし、街も店もある。マックスが住む家は内装もインテリアも素敵だし、ナイトクラブや警察署の周辺など、街の風景やデザインも独特です。それが、ハリウッド映画の舞台とオーストラリアの違いなのか、ミラーや美術監督のセンスなのかは分かりませんが。 ただこのシリーズは、第2作が草一本生えない平原、第3作はハリウッド風のセット、第4作が平原、砂漠、山地、セットの混合と、1作ごとにルックを変えていて、第1作の雰囲気が他と違うのもこの流れの一環と言えます。ストーリーも、本作は復讐と果し合いの映画で、物資の争奪戦がメインとなる2作目以降とは大きく異なる印象。サイレント風の2作目以降と違い、セリフも多いです。 映画の内容こそ荒々しいですが、映像は周到に計算され、アクションも演技も多彩。カーチェイスにおける地面スレスレのキャメラ・ワークや、逆光、ソフト・フォーカスなど、変化に富んだ撮影スタイルです。暴走族の死の直前に、いつも血走った眼球のクローズアップが入るのは、漫画の影響でしょうか。暗がりの中、マックスにズームしながら両目の周囲に赤いライトを当てるという、完全に非リアリズムの心理描写もあります。 そもそも映画語法がハリウッドのそれとはかなり違っていて、キャメラ・ワークも編集も癖が強く感じられるのは、ミラー作品に共通の特徴。特にこのシリーズは最初の2作でブライアン・メイ、3作目でモーリス・ジャールが、何ともシュールで異様なオーケストラ音楽を付けていて、ともすればそれがB級映画や日本の古い特撮ドラマを想起させたりもします。 ミラーは安全面に徹底して配慮する監督だとは聞きますが、生身のスタントだけで構成されたアクションは、あまりにも危険で、無謀にも見えます。当時流布していたスタントマンの死亡説はデマだったようですが、けが人は出ているし、映像を見る限り、無事な方が奇跡ではないかと思える場面も幾つかあります。ただ、動きがサイレント風にカクカクする箇所もあり、フィルムの早回しも使っている様子。 ミラーはとにかくアクションの演出が細かく、イメージが出来上がっていたと出演者のバーンズが語っていますが、棒高飛びで車輛に乗り移る場面もあり、第4作の棒飛び隊の原型が見られます。私はバイクに乗らないし、車にも興味がないので分かりませんが、メカ好きにはたまらない要素がたくさんあるようで、スタントライダーで出演者のデイル・デンチによるホイルスピン発車や、余興的に披露されたマックスターン(海外ではドーナッツと呼ばれる)はファンの間で伝説。 当時は極悪非道の限りに見えた暴走族の描写も、今の目にさほど衝撃を受けないのは、もっと強烈なキャラクター達が映画に溢れすぎたせいでしょうか。極端に人工的な悪役も多数排出したハリウッドの基準からすれば、トーカッターやババの抑制を効かせたシャープな人物造形は、演技として好ましくも感じられます。ボスが手下より先に倒されるのも、定石を覆すユニークな作劇。 |