『トワイライト・ゾーン』に続いて撮ったハリウッド映画。やはり製作にも脚本にもミラーは参加していないし、原作物だし、さらに製作陣と対立があったと伝えられます。しかし、良くも悪くもウェルメイドなハリウッド映画とはテイストの異なる奇妙な映画に仕上がり、様々な人形を使ったシュールなテイストもあり、クラシック音楽を効果的に使って個性も貫き、勝ち戦ではなかったにしろ、完敗でもない印象です。 ミラーらしいパワフルな演出力は随所に発揮され、極端にアクロバティックなカー・アクションは、『マッドマックス』のテイスト。屋敷内でのアクション・シーンには、『オーメン』のパロディもあります。その道では他の追随を許さないロブ・ボッティンの特殊効果も迫力満点ですが、作品のテイストには合っていない感じもあり、ミラーが自由に演出できていたら、演技中心の舞台劇のような映画になったのではないかという気もします。 特にミラーらしさが発揮されていると感じるのは、クラシック音楽の使い方。クレジットにはプッチーニの歌劇《トゥーランドット》のアリアしか記載されていませんが、実際にはモーツァルトの《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》など、幾つかの曲があちこちに挿入されています。中でも絶大な効果を挙げているのが、ドヴォルザークのチェロ協奏曲。ジェーンの欲望の高まりを、彼女が弾くチェロとデイルのピアノで表現した場面は本作のハイライトです。 脚本は、文学性と卑俗さがミックスされたダイアローグが秀逸。又、感情の抑揚がデフォルメされていて、急激に感情が昂る場面を随所に配置しています。前半には超自然的な出来事はほとんど起こらず、ただ、タイトルの印象と婉曲な語り口から、何となく普通じゃない背景を観客が類推するのにすぎません。ブラック・ユーモアはミラーの得意とする所だし、豪華俳優陣も好演しています。 テーマの解釈に関しては様々な視点があるだろうし、賛否両論を呼びそうな内容ですが、ストレートに観れば、女性の性的解放を逆手に取った風刺映画に思えます。それでもこの映画が複雑なのは、あらゆる陣営を皮肉っている事で、自由な生き方に目覚める主人公3人にも、保守的な町の人々にも、男性の欲望を体現したようなダリルにも、本作は一切肩入れしません。あらゆる登場人物を茶化すという点においては、夏目漱石ばりに徹底しているのがこの映画。 |