実話を元にした、重厚な医学ドラマ。ミラー作品の中で実話物は今の所これ1作だけで、演出もリアリズムを用いたものは本作が唯一。しかしミラーの題材選びは外部プロダクションの作品を除き、基本的に自身の問題意識と直結しています。その意味では、どの作品も製作に必然性あり。 特に「不屈の精神」は常に描かれるテーマで、その意味では、本作も非常にミラーらしい作品だと言えます。「我々の無知であの子を苦しめたくない。責任を持とう」というオーグスト。彼もそうだし、ミラー作品の主人公はみなそうですが、戦う相手が自分より大きな存在であるにも関わらず、それでも諦めない不屈の精神を発揮します。 子供が難病になる話だし、観るのが辛い場面もあります。観客にもある種の覚悟が必要な映画だとは言えるでしょう。しかしミラーほどの監督になると、ドキュメンタリーではなく劇映画を撮っているという自覚と責任をしっかりとわきまえてあり、そこがTV映画や三流の監督と違う所です。ここには芸術性の豊かさがあるし、映画としての面白さ、精神の気高さもある。映画として楽しめるという事が、劇場作品としてまず大事なのです。 本作も語り口が非常に個性的で、ハリウッドの定石に則らないのがミラーらしい所。ドラマ映画というより、音楽と映像によるコラージュとみた方がしっくりくるかもしれません。シーンの切り方は細かく、時間の省略は自由。しかしこれほど過程が省略されていながら、作品世界は何と豊かな事でしょう。展開が速いというより、単に無駄がないのだと思います。 ストーリーやプロットがシンプルであるという意味ではなく、必要なものしか提示されないという点において、無駄がないのです。キャメラはずっと回っていて、その中からストーリーに必要な箇所だけを選んでコラージュしたような作り方で、それは『マッドマックス』シリーズにおいて、本編には使用しない膨大なバックストーリーを設定するのと、基本的に同じ態度です。 だけど、それでいて、大聖堂の俯瞰映像からミケーラが天を見上げる顔をアップにするという、荘厳な合唱音楽だけで描かれた心理描写もあります。俳優の演技をメインにした長回しなど、必要な場面にはたっぷりと時間を裂くというスタンス。 例えば、夫婦が病状を告げられる長い会話シーンですが、ここは医師と夫婦の切り返しだけでじっくりと描いています。なので、オーグストのちょっとした仕草や表情、ミケーラの冷静なのか現実を受け止め切れていないのか判別しかねる態度など、心理描写が際立ってくる。このシーンを通じてずっと続いている唸りのような低い音は、夫婦が病室を出て子供の元に戻ると消えてゆき、物悲しい合唱曲に取って代わります。 ミケーラが図書館でポーランドの小論文を発見するくだり、ここもセリフはなく、オペラのアリアだけで描かれていますが、木陰の間を縫って駆けてゆく彼女を俯瞰で撮影した、この絵画的な構図の美しさはどうでしょう。音楽と映像だけで心の高揚を見事に表現した、正に映画的なシーンと言えないでしょうか? 音楽にクラシックのみを使っているのも、各場面に崇高な印象を与えています。凝った選曲がミラーらしいと思っていたら、全てロレンツォが好きで聴いていた曲だそうです。 ニック・ノルティとスーザン・サランドンが適役なのかどうか、私には明言できませんが、そういう事よりも、ここでは彼らが何をどう表現しているかに注目すべきでしょう。我々映画ファンはついミス・キャストの指摘に走りがちですが、彼らはその役としてただそこにいるのであり、勿論の事、現実の人生においてはミス・キャストも何もありません。その俳優の子供が、実際に難病にかかる事だってありえる訳です。 事態に冷静に対処するニック・ノルティと、慟哭しながら階段をずり落ちてゆくニック・ノルティ、こういう演技のダイナミズムは、テクニックだけで作り出せるものでは到底ないのでしょう。ここに、俳優の心の真実があります。 変わり果てたロレンツォの姿を見たオウモリが歌を口ずさむ場面には、虚を衝かれて体の奥から熱いものが込み上げてきました。『フラガール』みたいな話で泣けるのは当たり前ですから、それが良い映画である証左にも何もなりませんが、この場面のような、なぜ感動するのか説明できないのにただただ胸が震えるようなシーンは、たくさん映画を観ていても滅多にぶつからないものです。 尚、私はDVDで試聴しましたが、劇場パンフレットには上映時間136分とあり、DVDのランニング・タイムは129分。ネットでVHSビデオのパッケージを調べてみると、約135分とした上で「オリジナル全長版」と表記されてます。という事は、DVDは短縮ヴァージョンという事になりそうですね。 |