めぐり逢えたら

Sleepless in Seattle

1993年、アメリカ (105分)

 監督:ノーラ・エフロン

 製作総指揮:リンダ・オブスト、パトリック・クローリー

 製作:ゲイリー・フォスター

 共同製作:デリア・エフロン

      ジェーン・バートルミー、ジェームズ・W・スコッチドポール

 脚本:ノーラ・エフロン、デヴィッド・S・ワード、ジェフ・アーチ

(原案:ジェフ・アーチ)

 撮影監督:スヴェン・ニクヴィスト, A.S.C.

 プロダクション・デザイナー:ジェフリー・タウンゼンド

 衣装デザイナー:ジュディ・ラスキン

 編集:ロバート・レイターノ

 音楽:マーク・シャイマン

 第1助監督:ジェームズ・W・スコッチドポール

 第2助監督:ドナルド・J・リー,Jr

 ユニット・プロダクション・マネージャー:パトリック・クローリー

 第1アシスタント・キャメラ:ジェフ・クローネンウェス

 セット・デコレーター:クレイ・グリフィス

 ポスト・プロダクション監修:ポール・A・レヴィン

 キャスト:メグ・ライアン  トム・ハンクス

      ビル・プルマン  ロス・マリンジャー

      ロブ・ライナー  リタ・ウィルソン

      ロージー・オドネル  ヴィクター・ガーバー

      ギャビーー・ホフマン  バーバラ・ギャリック

      ケアリー・ロウエル  ダナ・アイヴィー

      アマンダ・メイヤー

* ストーリー

 最愛の妻を失い、夜も眠れない毎日を過ごすサム。父を心配する息子のジョナは、ラジオ番組の人生相談に電話して「パパに新しい奥さんを」とリクエストする。渋々電話に出たサムは切々と心情を吐露し、アメリカ中の涙を誘う。一方、遠く離れたボルティモアでは、結婚を間近に控えた女性アニーも、その番組を聞いていた。幸せの絶頂なのに、なぜか見ず知らずのサムに運命を感じたアニーは、番組に手紙を送る。

* コメント

 世界中を愛のマジックで包み、大ヒットしたラブ・ロマンス。アカデミー賞脚本賞にもノミネートされました。私は個人的に、好きな映画を10本挙げろと言われたら、まず最初に指を折るであろう映画です。往年の名作『めぐり逢い』を下敷きにしながら、リメイクではなく、映画好きの主人公達がこの映画に運命を感じるという設定にしているのがエフロンらしい所。

 加えて、音楽を準主役に据え、セリフの代わりに心理描写を担わせる秀逸な手法。音楽監督のマーク・シャイマンはエフロンの意図通り、アメリカ人なら誰もがそらで歌えるようなスタンダードな歌を使って、登場人物の心情を見事に表現しました。サントラ盤のライナーにエフロン自身がコメントを寄稿しているので、引用します。

 「“言葉”は時を越えて存在します。私達は、何年間も時を越えて人々が繰り返し見たくなるようなラブ・ストーリーを作りたかったのです。言葉が映像と同じ位重要であるような映画を。そして、言葉が音と同じ位重要であるような曲が欲しかったのです。“これは愛についての映画ではない” 私は俳優達に言い続けていました。“これは映画の中の愛についての映画なのです” 『カサブランカ』のドーリー・ウィルソンの後に、映画の中で“アズ・タイム・ゴーズ・バイ”を使うなんて、馬鹿げているとお思いになるかもしれません。でも、ここに収録されているのは偉大なジミー・デュランテのものですから…」

 本作には、登場人物が何も喋らず、音楽だけが流れるシーンがたくさんあります。例えば、ソファに座ったサムがラジオ番組のやりとりを終えて受話器を置くと、ジョナ少年がサムの膝に頭を預けて眠っている。そこへ“Over The Rainbow”が静かに流れ、画面は夜の入江に滑り込んでくるクリスマスの電飾で輝くヨットに切り替わる。

 こういう、ちょっとした場面の、どこか寂しげで、わずかに哀調を帯びたロマンティックな情感、その積み重ねが作品の雰囲気を作り上げます。アニーがラジオを聞くところ、カーリー・サイモンの“In The Wee Small Hours Of The Morning”が静かに流れる場面や、真夜中にボルティモアの埠頭でベンチに座り、シアトルに思いを馳せるアニーの表情の雄弁さ。その映像の、清冽な美しさ。

 この映画のシックで静謐なトーンは、冒頭の墓地の場面からラストまで一貫しています。ピアノ・ソロによる“Stardust”の切ないメロディが流れ、サムのナレーションが入ってくる。「ママは病気だった/ある日突然だった/打つ手もなかった/あんまりだ/だが理由を考えるのはよそう/気が変になる」

 名匠ベルイマンとのコンビで知られる撮影監督、スヴェン・ニクヴィストが捉えた風景は、坂道と雨で有名な港街シアトルだけでなく、アニーが住むボルティモアやクライマックスのニューヨークでさえ、どこか北欧を思わせるヨーロッパ風のルックに切り取られていて、本作の叙情に彩りを加えています。

 エフロンが「まるでこの作品の為に生まれてきたような2人」だと語るトム・ハンクスとメグ・ライアン、健気なジョイ少年を演じたロス・マリンジャー以下、自然な演技で作品の世界観を構成する周辺人物の描写も観どころではありますが、結局は物語はやはり、エフロン作品にテーマとして通底する「縁」「関係性」「相対的価値観」を展開したヴァリエーションとなっています。

 セリフの中でも「運命」についてあちこちで言及されますし、全体の構成からしても「縁」を描いた作品である事は自明ですが、他のエフロン作品と同様、主人公2人とジョナ少年それぞれの友人がストーリーを動かすきっかけとなっている点で、「関係性」を軸にした作劇と言えます(サムのデート相手に対する、ジョナ少年との価値観の相違と、3人の微妙な関係性にも注目)。又、サムの存在によって婚約者との相性に疑いを持ち始めるアニーの心の移ろいは、正に「相対的価値観」の本質を衝く展開。

 本作と『ユー・ガット・メール』が姉妹作である点は、エフロン姉妹自身が指摘している事ですが、主演俳優とジャンルが同じというだけでなく、縁や運命を描いている点でも共通しています。『ユー・ガット・メール』のクライマックスに本作と同じ曲(“Over the Raibow”)を使っているのは、意図的な演出でしょう。ジョナ少年がエンパイア・ステート・ビルの屋上にリュックを置き忘れるのは、別にどんでん返しでも何でもなく、これが縁と運命を描いた物語だからです。

 恋愛映画では、主人公に感情移入できず、スクリーンの中の男女がなぜ恋に落ちるのか理解できない、という事がよく起こります。エフロンは、人物の性格とその周辺人物を丁寧に描く事で、主人公に共感させる事ができる数少ない映画作家の一人。ニューヨークで息子を見つけ出したサムのセリフには、この人物の性格と物の考え方が、実によく表現されています。「何て馬鹿な事を? 心配したぞ! パパは何か取り返しのつかないヘマをした? 父親失格か? パパにはもうお前しかいないんだぞ」

* スタッフ

 製作は『ディス・イズ・マイ・ライフ』で組んだリンダ・オブストと、『絶体×絶命』『グロリア』のゲイリー・フォスター、『ロボコップ』『ボーン・アイデンティティー』『ジュラシック・ワールド』の各シリーズを手掛けたヒットメーカー、パトリック・クローリー。

 原案を書いたのはほぼ作家デビューに近いジェフ・アーチ。映画の仕事やライターをしていてモノにならず、空手道場を開いたという不思議な人ですが、なぜか本作の案が生まれ、道場の経営を手放すと映画化権が売れたという、正に「運命」を地で行くような成功物語。これをエフロンと、『スティング』のデヴィッド・S・ウォードが脚本にしました。

 撮影は、スウェーデンの巨匠イングマル・ベルイマン監督作で知られる、スヴェン・ニクヴィスト。タルコフスキーの『サクリファイス』やカウフマンの『存在の耐えられない軽さ』など、重厚な名作に多く携わっている人ですが、ウディ・アレンやポール・マザースキー、同郷のラッセ・ハルストレム監督作など、当時はアメリカでも活躍を始めていました。シアトルやボルティモアの風景が、まるで北欧のそれに見えるのは偶然ではないのでしょう。ロー・キーの透明感溢れる映像センスは素敵。

 ちなみに、ベルイマン信者のウディ・アレンが監督した『重罪と軽罪』もニクヴィストが撮影していますが、エフロンがチョイ役で出演していて、そこでの出会いが本作に繋がっているそうです。彼はエフロンの次作『ミックス・ナッツ/イブに逢えたら』も撮影。ちなみにこの2作でキャメラ・アシスタントをしているのは、ニクヴィストのクルーだったジェフ・クローネンウェス。『ファイト・クラブ』以降のデヴィッド・フィンチャー作品で撮影監督に起用されている才人です。

 プロダクション・デザインは、『アフター・アワーズ』『恋のゆくえ〜ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』『星に願いを』『パシフィック・ハイツ』に参加したジェフリー・タウンゼンド。編集は初期エフロン作品を続けて手掛けているロバート・レイターノ。助監督には、後のエフロン作品でプロデューサーとして活躍するジェームズ・W・スコッチドポール、ドナルド・J・リー,Jrが顔を揃えています。

 音楽のマーク・シャイマンはベット・ミドラーのアレンジャー、ロブ・ライナー監督作品や『アダムス・ファミリー』『シティ・スリッカーズ』の作曲家として有名。ハリー・コニックJr.と組んだ『恋人たちの予感』(エフロン脚本)や『天使にラブ・ソングを…』でも分かる通り、既成曲を取り入れたり、ポップ・ソングやジャズ・ナンバーをプロデュースしたりするのも得意な人です。

 エフロンのコメントにある通り、オープニング・クレジットの『As Time Goes By』はジミー・デュランテのヴァージョンですが、これは独特の愛嬌があって作品のイメージにぴったり。同じくデュランテ歌唱のエンディング曲『Make Someone Happy』や、ルイ・アームストロングの『A Kiss To Build A Dream On』、インストでも流れるハリー・コニックJr.の主題歌『A Wink And Smile』も実にチャーミングな選曲です。前作で音楽を担当したカーリー・サイモンによる“In The Wee Small Hours Of The Morning”も、前述の通り秀逸。

* キャスト

 エフロンもスタッフも、「この映画のために生まれてきたような2人」だというトム・ハンクス、メグ・ライアンは、実はスピルバーグ製作『ジョー満月の島へ行く』ですでに共演経験がありました。エフロンは『恋人たちの予感』の脚本を書いているので、ライアンとも既に仕事をしています。この5年後、姉妹篇の『ユー・ガット・メール』で再度共演した2人は、私生活でも仲の良い友人だそうです。

 アニーの婚約者を演じたビル・プルマンは、『キャスパー』から『インディペンデンス・デイ』のアメリカ大統領役、意味不明・理解不能のデヴィッド・リンチ作品『ロスト・ハイウェイ』まで芸の広い役者。一見好人物だが微妙に無神経という、実はすごく難しい役を嫌味なく演じています。アニーの友人ベッキーは、『プリティ・リーグ』『フリントストーン/モダン石器時代』のロージー・オドネル。まるで棒読みのような喋り方が個性的です。

 サムの友人グレッグを演じた『タイタニック』『ミルク』のヴィクター・ガーバー、同じくサムの友人スージーを演じたトム・ハンクス夫人リタ・ウィルソン、サムの仕事仲間ジェイをすこぶる自然に演じた『スタンド・バイ・ミー』『恋人たちの予感』のロブ・ライナー監督は、そのまま次作『ミックス・ナッツ/イブに逢えたら』にも出演しています。

 ジョナ少年を演じたのは、『キンダーガートン・コップ』で神童と騒がれたロス・マリンジャー。ガールフレンドのジェシカを、『ディス・イズ・マイ・ライフ』に引き続いてギャビー・ホフマンが演じています。サムの亡くなった妻を演じるのは、モデル出身で『007/消されたライセンス』のボンド・ガールも務めたケアリー・ローウェル。サムのデート相手ヴィクトリアにバーバラ・ギャリック、ベビーシッターの現代っ子クラリスにアマンダ・メイヤー、シアトルの探偵役を助監督のドナルド・J・リー,Jrが演じています。

* アカデミー賞

◎ノミネート/脚本賞、主題歌賞

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