エフロンの遺作で、実在の料理家と、その料理家に憧れてブログを立ち上げた女性、2人の物語を平行して描いたドラマ。原作やオリジナルをそのまま映画化せず、常にひとひねり加えるエフロンらしい特質がまた新しい形に昇華され、ロマンティック・コメディの側面もあって、ある意味で集大成とも言えます。『ラッキーナンバー』が遺作にならなくて、本当に良かったです。 「2つの実話に基づく」と字幕が出るように、時代も場所も違う2つの物語を、交互に同時進行で描く構成。その対比と描き方の妙が素晴らしく、片方に大きく時間を割く事もあれば、両者を短いカットバックで往復したりします。それによって、2人の共通点が見えて来る。時代だけでなく世代も違う2人ですが、どちらも理解のない親、理解のある夫と友人達を持っています。そして、食べる事が好き。 とにかく人物が愛らしく、こんな風に人間を描けるのは本当に凄いことです。人格者のジュリアと、「ジュリアだったら失敗しても私のように泣かないし、夫に八つ当たりなんかしない」と自らの欠点を認める事ができるジュリー。感情的になる事もあるけれど、それをブログに「またブチ切れた」「もっと成長して良い人間になりたい」と書ける、とても素直な人です。 周辺人物もすこぶるチャーミングで、原作物だからストーリーに個性を出せない分、人物造形やエピソードの繋ぎ方に、エフロンらしさをふんだんに盛り込んでいます。演技に関しては、実力のある名優ばかりだから言う事ありません。ほんの少ししか出ない脇役まで、みんな素晴らしい。 ジュリーの友人サラなど、大人しい性格なのにルックスも存在感も実にユニークで、正にエフロン作品にしか出てこないようなキャラクターと言えます。「私ってイヤな奴?」と訊くジュリーに、「そうね」と即答するサラ。優しい雰囲気なのに正直な言葉を吐く所が、逆に親密さと愛情を感じさせます。 ジュリアと周辺人物の関係だと、老女3人のコミカルなやり取りなんてなかなか映画では見ないものですが、ジュリアと妹ドロシーの会話も妙な間があったり、相手のセリフを聞き返したり、映画らしくないリアルな空気感が独特です。又、ジュリアに出版依頼の手紙や完成した本が届く場面や、ジュリーが友人達とテーブルを囲む場面はしみじみと暖かい情感が心に染みますが、それを俳優陣の素晴らしい演技が支えているのもエフロン作品らしいです。 屋上でジュリー達がブログの達成を祝う場面は、作り手にも印象深かったようで、アダムス曰く「あの夜は、スタッフ全員の間にとても穏やかで幸せな雰囲気が漂っていた。あまりにも美しく、魔法のような時間だったから、心の中で何枚も写真を撮ったわ。みんなが屋上に揃い、一つの共同体なんだという想いを強くした。そこがニューヨークの晩春の素敵なところね」 エフロンは俳優達に、料理はちゃんと食べて欲しいと指示したそうです。曰く、「これは食事とお喋りに夢中な人達の映画よ。緊急事態でも普通に『カキがうまい』と言う人達だもの。自制しながらの演技は、本作の人物に合わない。撮影の度に何度も食べるのは大変だけど、役者達はひたすら食べてくれたわ」 エフロン作品にしては珍しく2時間を越える長尺で、その分、まとまりやテンポ感が他の作品とは違いますが、淡々とユーモラスに進行しながらも、シックなトーンとロマンティックな情緒を維持しているのはさすが。時を越えてジュリアのキッチンで2人の物語が繋がる素敵なエンディングへと、映画の魔法使いノーラ・エフロンが巧みにいざないます。 |