シックス・センス、いわゆる第六感をテーマにしたこの映画は世界中で話題を呼びましたが、本作のせいでシャマランは“どんでん返しを仕掛ける監督”というイメージに付きまとわれる事となってしまいました。今でもなお、この一点から彼の作品を評価しようとする人は後を断ちません。しかし、彼自身の発言にもある通り、意表を衝くオチなど映画においては本来さほど重要なものではない筈です。 フェリーニの映画にもアンゲロプロスの映画にもオチなんてないですし、そもそもどんでん返しに全てを掛けた映画なんて、一度観てしまえばもう用済みです。『シックス・センス』は、勿論そんな映画ではありません。この、緻密に組み立てられ、細部まで丁寧に描き込まれた作品は、観る度に新しい発見と深い味わいを私達に与えてくれます。 全編を覆う静寂の中、おそろしくスローなテンポを維持しながら、一瞬たりとも緊張の糸を緩ませない語り口。空気感や温度変化までも捉えた繊細極まる映像。抑制された演技の中に、激しいテンションを秘める俳優達。寄せては返す波のように、摩訶不思議な情感を紡ぎ出す音楽。そういった一切が、東洋的とも言えるムードの内に、強靭な求心力をもって展開してゆく所は圧巻。私達観客は、ただただ固唾を飲んで物語の行方を見守るしかありません。 本作からすでにシャマランの作品は、主人公の喪失と再生の物語になっています。もっともこの作品の場合(ご覧になられた方はご存知の通り)再生と呼べるかどうかは分かりませんが、少なくともマルコムが“救済”される事は確かでしょう。再生してゆく、癒されてゆくのは主人公だけでなく、コール少年や彼が見る死者達、そして彼の母親もそうです。少年が、祖母のメッセージを母親に伝える感動的な場面は、この映画のハイライトの一つ。 題材が題材ですから、恐ろしい場面も勿論たくさんありますが、こういうエモーショナルなシーンが、シャマランの映画には必ず入っています。シャマランの手法が素晴らしいのは、作品全体を、あくまで些細な現象から積み上げてゆく所です。温度計の変化、消えてゆく手形、ドアノブに映る像。シャマラン監督は、ディティールに徹底してこだわります。そしてディティールから、世界観が見えてくる。 映画の冒頭に、ブルース・ウィリスと監督の連名で、映画の“秘密”について他言しないで欲しい旨の字幕が入りますが、いかにもスタジオ側のアイデアっぽいこの演出、私は蛇足だと思います。このアナウンスは、先読みの好きな映画ファン達をいたずらに挑発するだけで、むしろ映画に集中する妨げとなっているのではないでしょうか。本作は、仮に最後のオチがなかったとしても、充分鑑賞に耐える、素晴らしい作品なのですから。 |