アンブレイカブル

Unbreakable

2000年、アメリカ (107分)

 監督・脚本: M・ナイト・シャマラン

 製作総指揮:ゲイリー・バーバー、ロジャー・バーンバウム

 製作:バリー・メンデル、サム・マーサー、M・ナイト・シャマラン

 撮影監督:エドゥアルド・セラ , A.F.C.

 プロダクション・デザイナー:ラリー・フルトン

 衣装デザイナー:ジョアンナ・ジョンストン

 編集:ディラン・ティッシュナー

 音楽:ジェイムズ・ニュートン・ハワード

 第1助監督:ジョン・ラスク

 セカンド・ユニット監督:ラリー・フルトン

 セカンド・ユニット撮影監督:スティーヴン・ポスター, A.S.C.

 シャマランの助手:ホセ・L・ロドリゲス

 出演:ブルース・ウィリス   サミュエル・L・ジャクソン

    ロビン・ライト・ペン  スペンサー・トリート・クラーク

* ストーリー

 131人の死者を出した悲惨な列車事故でただ一人、それも無傷で生還したデイヴィッド・ダン。心身ともに事故の傷が癒えない彼の元に、謎のメッセージが届く「これまでの人生でお前が病気にかかった回数は?」。メッセージの送り主は、難病のため54回も骨折を繰り返してきたという漫画コレクター、イライジャだった。彼の持論では、極端に脆弱な肉体を持つ人間がいる一方で、デイヴィッドのような不死身の人間がいて、弱い者を救うヒーローとなるべきだというのだが‥‥。

* コメント   ネタバレ注意!

 前作のヒットを受けて鳴り物入りで公開されたこの作品は、アメコミのヒーローという意表を衝くテーマや、アンチ・クライマックスとも取れる作劇、ラストで明される、人によっては受け入れ難い思想などのせいで、賛否両論を呼びました。私は、好き嫌いはともかくとして、本作は他に類を見ないほどユニークな映画だし、作品としてのクオリティや表現力を考えても傑作だと思います。

 本作の世界観は、世界観と言って具合が悪ければ仮説としますが、ある意味ではとても納得のゆく、筋の通ったものです。世の中はプラスマイナス・ゼロ。左だけがあって右がない世界、上だけがあって下がない世界は存在せず、左方向に百の力があれば、右方向にも百の力がないと均衡は取れない。前者を人間世界の道徳的概念で“善”と呼ぶなら、当然同じだけの“悪”は存在する。善悪というのはあくまで人間の作り出したモラルであって、物理的法則としては両者が均衡を取り合って存在している。

 まるで悪を許容するかのようで、受け入れ難い考え方ですが、筋は通っていて、これはかなり真実に近い線を付いていると思うのです。例えば岩井俊二監督の『リリイ・シュシュのすべて』もこの考えに則っているように思えますが、そもそも善悪の概念というのも非常に相対的で、誰かにとって善である事が、他の誰かにとって悪であるというのもよくある事です(テロや戦争の多くはそこに起因します)。

 これは、善と悪を分離して二項対立で捉えるキリスト教世界の考え方とは違い、全ては一つのものとする東洋的思想ともいえますが、拒否反応を示す観客も多かったのではないかと思います。シャマランの語り口もどこか寓話の色彩を帯びるので、そういった現実感を欠きがちな雰囲気も、少なからぬ数の人達にシャマラン作品が受け入れられない一因となっているかもしれません。

 しかし、これが定型パターンを借用しただけの凡百の映画とは全く異なり、進取の気性に富んだ、おそろしく意欲的な映画である事は間違いありません。観た人がそれを気に入るかどうかは、また別の話です。シャマランはここでもカットバックをあまり用いず、長回しのワンショットで役者の芝居を追いますが、その中に技術的なアイデアを盛り込む事も忘れてはいません。

 例えば、主人公が蘇生し、「生存者はたった二人で、あなた以外のもう一人も時間の問題だ」と知らされるシーン。キャメラ手前で、苦しげに上下する白いシーツがその激しさを増し、そこに赤い血が浮かんで広がってゆく。瀕死の負傷者が息を引き取ろうとしている瞬間を、セリフによる説明を一切排して、斬新な手法で描いた出色の場面です。

 異色の物語ではありますが、シャマランは特殊効果をほとんど使わないし、スロー・テンポでじっくり出来事を追う手法も健在。キャメラをゆっくりと左右に振る冒頭の列車のシーンをはじめ、しばしば上下逆さになる映像(これもテーマの現れです)など、独創的な語り口と映像センスは全編で冴え渡っています。寡黙ながら常に緊張感の張りつめた役者の芝居もシャマラン作品らしく、映画のハイライトが演技だけで構成されたシーン(少年が父を撃とうとする場面)なのも彼の映画の特徴。

 DVDの特典映像には未公開場面集が収録されていますが、カットされた箇所があまりに印象的であるため、後になって本編にあったように錯覚してしまう場面が幾つかあります。『シックス・センス』の未公開シーンもそうでしたが、本作でも、スポーツクラブの場面や神父の告白シーン(もの凄い場面です)、遊園地の場面などはあまりにインパクトが強くて、今回改めて見直すまで本編にあった場面だと勘違いしていました。

* スタッフ

 スタッフは製作陣も含めて多くが『シックス・センス』と共通ですが、撮影監督と編集という、製作の各段階における最も重要なポジションの担当者が入れ替わっているのは、意図的な人事でしょうか。前2作からバトンタッチしたディラン・ティッシュナーは、『マグノリア』『ブギーナイツ』などポール・トーマス・アンダーソン監督の一筋縄ではいかない映画をまとめ上げた辣腕。ロバート・アルトマンやアラン・ルドルフなど、個性の強い監督に起用されているのもうなずける話です。

 撮影監督のエドゥアルド・セラは、『髪結いの亭主』『イヴォンヌの香り』などパトリス・ルコント監督とよくコンビを組んでいる人です。彼がフレームの中に切り取る光は、それはそれは美しいものですが、ここではやはり、キャメラの動きから構図、色彩に至るまで、あらゆる点においてシャマラン流のスタイルが見られます。プロダクション・デザイナー :のラリー・フルトン、衣装のジョアンナ・ジョンストン、音楽のジェイムズ・ニュートン・ハワードは続投。

* キャスト

 ブルース・ウィリスとサミュエル・L・ジャクソンを陽と陰のように対比させたキャスティングはユニークですが、『フォレスト・ガンプ』等で演技に定評のあるロビン・ライト・ペンが、デイヴィッドの妻を抑制された表現で演じています。この夫婦2人のやり取りが、実に静謐かつ清澄で、常に緊張の糸を持続させているのは、演劇的にも素晴らしい表現。シャマラン作品の凄さは正にこういう所なのに、誰も言及しないのは一体どういう事でしょう。

 名子役に恵まれているシャマラン作品ですが、ここでも『グラディエーター』のスペンサー・トリート・クラークが、少し影のあるいかにもシャマラン映画風の少年を好演。彼が父親に銃を向ける長回しのシーンは、CGも火薬も使われていない、役者三人が部屋の中で立っているだけのシンプルな場面ですが、その高いポテンシャルと緊迫感は全編を通じての白眉と言えるでしょう。監督自身は、麻薬の売人役で少しだけ出演。助手のホセ・L・ロドリゲスも、トラック運転手の役で出ています。

 

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