脚本料に史上最高値が付いたというので大いに話題となった作品。私は、これはひねりでもオチでも何でもないと思うので、敢えてストーリーの内容に触れますが(それでも嫌な人は読まないで下さい)、ミステリー・サークルの映画だと思っていたらやっぱりエイリアンが出て来て、ストレートにSFだったというのは、別にどうという事ではありません。 雑誌等に「あの展開はないだろう」「アレを正面きって出すなんて」「こんな脚本のどこに史上最高額の価値が?」というようなコメントが並んでいましたが、そういうのはみんな、シャマランの映画だからあっと驚くひねりがあるのだろうと勝手に推測しているだけの話であって、これは別にエイリアン襲撃の映画で全然構わないわけです。第一、シャマランなんて見た事も聞いた事もないという観客には、そんな先入観は微塵もない筈。 ストーリーの軸は何かというと、これは又もや、絶望した人間の再生の物語です。これは、妻を事故で亡くし、信仰を失った神父が、家族の絆を、希望を、そして信仰を取り戻す話。映画のクライマックスは、エイリアン対人間の攻防戦で、敵の姿を見せず、音響効果を中心に恐怖を煽るサスペンス演出もさすがですが、シャマラン監督はそこで、ただ一つの事を言い続けます。 彼は、この世の出来事には全て意味があるという事を、力強く叫び続ける。そしてやはり、それを一種の寓話のように描くので、一つ一つの描写、例えば部屋中に置かれたコップや、壁に飾ったバットや、間違って届けられた本や、そういう具体的なアイデアについていちいちこれは陳腐だとか、無理があるとか、そんな事を指摘した所で何にもなりはしません。あくまでこれは、例え話なのです。 物事には良い面も悪い面も両方あり、持病の喘息が逆に命を救う事もある。これは『アンブレイカブル』や『スプリット』でも描かれる、シャマラン作品ならではの思想です。世界の均衡と調和、その世界観をファンタジーで描いたのが、正に『エアベンダー』という事になるでしょう。 又、本作はスリラーとしてもパニック物としても、非常に緻密に演出されています。後半の、思わず映画館から逃げ出したくなるほどの密室サスペンスは、実はほとんど音響だけの演出で、脅威の相手は物音と気配だけで描写されているのがシャマランらしい所。そこへ喘息の発作が追い打ちをかけて、タイムリミットの絶体絶命サスペンスもプラスする所、まったく憎たらしいほどの演出巧者と言う他ありません。 私はホラー映画もかなりたくさん観ますし、その中で本当に怖いと感じる作品はごくごく稀ですが、本作におけるブラジルのビデオ映像には背筋が凍りました。これはシチュエーションと手法の勝利。室内から誰かが撮影した、不安定に揺れる下手くそなホームビデオ、子供達が怯えて騒ぐ中、窓の外にふらりと飛び出てくるエイリアン、その映像に驚いて飛び退くホアキン・フェニックス。周到に配置されたこの演出には、ただならぬ臨場感があります。 |