ヴィレッジ

The Village 

2004年、アメリカ (107分)

 監督・脚本: M・ナイト・シャマラン

 製作:スコット・ルーディン、サム・マーサー、M・ナイト・シャマラン

 共同製作:ホセ・L・ロドリゲス

 撮影監督:ロジャー・ディーキンズ , A.S.C. , B.S.C.

 プロダクション・デザイナー:トム・フォーデン

 衣装デザイナー:アン・ロス

 編集:クリストファー・テレフセン

 音楽:ジェイムズ・ニュートン・ハワード

 第1助監督:ジョン・ラスク

 出演:ホアキン・フェニックス  ブライス・ダラス・ハワード

    エイドリアン・ブロディ  シガーニー・ウィーヴァー

    ウィリアム・ハート  ブレンダン・グリーソン

    チェリー・ジョーンズ  ジュディ・グリアー

    マイケル・ピット  ジェシー・アイゼンバーグ

* ストーリー

 深い森に囲まれ、外の世界から隔絶された、60人の住民から成る村。巨大な家族のように友愛の絆で結ばれた村人たちの間には不可解な掟があった。「森に入ってはならない」「不吉な赤い色を封印せよ」「警告の鐘に注意せよ」。ついにこの掟が破られ、事件が起こった時、強い愛で結ばれた若い恋人達は、タブーを犯して森に入る事を決意する。

* コメント   ネタバレ注意!

 シャマラン初の時代物という事で話題を呼んだスリラー。この作品にも幾つかのひねりがありますが、後半に出て来る町の場面は、オチやひねりというより一種のファン・サービスというか、おまけみたいなもので、大袈裟に取り沙汰するものではない気もします。タブーの設定そのものが寓話の色彩を濃くしていますが、中盤あたりからはより直線的なスリラーの様相を呈してきます。

 森の住人として恐れられている《語ってはならぬ者》は、かなり早い段階で姿を現し、その人工的な風貌ともども意表を衝きますが、その理由は後に明らかになります。彼らが村の中に侵入してくるくだりは、シャマランの才気が縦横無尽に発揮された、傑出した場面。《語ってはならぬ者》が外を徘徊する中、地下に避難する家族を尻目に、ルシアスが助けに来る事を信じてアイヴィーが戸口に手を差し出す所、もっとも恐ろしく、緊迫した場面が、同時に最もロマンティックな愛の場面に転換する、こんな映画はちょっと観た事がありません。

 アイヴィーの身を案じ、真夜中に彼女の家のポーチで見張りを続けるルシアス。ロジャー・ディーキンズが二人をほぼシルエットで撮影したこの繊細な場面も、全く素晴らしいです。「なぜ思っている事を口に出さないの?」と問いかけるアイヴィーに、「なぜ黙っていられないんだい?」と返すルシアス。僕が一番嫌なのは君が危険な目にあう事だから、黙ってポーチに座っているのだと。ここで、アイヴィーの頬を涙が伝うのが、かすかに見て取れます。とても詩的で、美しい場面です。

 映画は中盤に至って急展開し、悲劇の色合いを濃くしてゆきます。村の人々は、悲しみから逃げるため、このユートピア的な共同体を作り、タブーを設定する事で外からの干渉を避けようとする。でも、それはやっぱり不自然な行為だから、村の生活にも、結局はどこか歪みが生じてくる。そしてその歪みは、知的障害を持ち、精神的に最も純粋なノアに一番大きな影響を及ぼしてしまう。

 ノアの行動は次第に常軌を逸してきますが、村の人々や私達観客にとっては当然、彼を責める事には抵抗があります。それは、彼が社会的に弱い立場にあるからだし、その社会を作ったのは彼らだからです。でも、アイヴィーにとってはそうではない。恋人の命が奪われかけていて、そもそも彼女だって視覚障害者なのです。これは何ともやりきれない、正に悲劇です。

 村の人々はノアを責めず、今までの生活を続けるチャンスをくれたノアに、感謝の気持ちを表します。直接に手を下したのはノアでも、彼に取り憑いた怪物を作り上げたのは彼らです。正にこの事、つまりノアやアイヴィーのような、社会で最も弱い立場にある人間が、社会の歪みの最も大きな犠牲者になってしまう事、これは私達が暮らす現実社会そのものなのです。

 この映画は、村人達が悲しみから立ち直り、再生してゆくという点で、今までのシャマラン作品を継承しています。ブレンダン・グリーソンが演じるオーガストのセリフに、作品の主題がよく出ています。「いくら悲しみから逃げても、必ず追ってくる。悲しみも人生の一部なんだ」

 長回しや固定キャメラを多用し、物事をじっくりと描いてゆく手法はシャラマンの面目躍如たる所。それを、筆舌に尽くし難いほど美しいディーキンズの撮影が、格調高く仕上げています。黄金色と赤を象徴的に配置した、シャマランらしい色彩設計は全く見事。個人的には、シャマラン作品の中でというだけでなく、映画史全体においても、非常に重要で価値の高い傑作だと思います。

* スタッフ

 製作陣は名プロデューサー、スコット・ルーディンにお馴染みサム・マーサーとシャマラン自身、共同製作にシャマランの右腕ホセ・L・ロドリゲスを配置。第1助監督のジョン・ラスクも続投しています(彼はラジオ・アナウンサーの声でも出演)。

 撮影は、コーエン兄弟の個性的な作品群や『ショーシャンクの空に』等で知られる英国の名手ロジャー・ディーキンズ。準備段階から深く関わり、シャマランと一緒にストーリーボードを作り上げたそうで、本作の映像の叙情的な美しさは特筆ものです。特に夜間のシーンでの深い闇の描写や、光と影を絶妙に対比したライティングには思わず見とれてしまいます。

 又、森に囲まれた閉鎖的な村を丸ごと造り出した、トム・フォーデンのプロダクション・デザインも秀逸。彼も英国人で、マドンナやマイケル・ジャクソンなど主にミュージック・クリップでデザインを担当した経歴がありますが、『ザ・セル』の野心的なプロダクション・デザインは話題を呼びました。衣装は『サイン』に続いてアン・ロスが担当。音楽のジェイムズ・ニュートン・ハワードは、人気ヴァイオリニストのヒラリー・ハーンを起用して、いつもとはひと味違うリリカルなテーマ曲を書いています。

* キャスト

 本作で本格デビューとなるブライス・ダラス・ハワードは、売れっ子監督ロン・ハワードの娘で、彼女の素晴らしさはこの映画一番の見ものだと言えるでしょう。本作は中盤から一気にアイヴィーの物語という性格を濃くしますが、彼女の繊細な芝居は、この役に必要な全ての感情を見事に表現しえています。

 相手役のホアキン・フェニックスも作品によって千変万化する天才俳優で、今回は、寡黙ながら一途で誠実な若者を好演。『戦場のピアニスト』で一躍時の人となったエイドリアン・ブロディも、天真爛漫なノアを巧みに演じています。村の若者ではマイケル・ピットとジェシー・アイゼンバーグも実力派で、それぞれ『ラスト・デイズ』でカート・コバーン、『ソーシャル・ネットワーク』でマーク・ザッカーバーグと、実在の人物を演じて主演しているのがユニーク。

 大人達では、ブレンダン・グリーソンが悲しみに疲れた中年男の哀愁を滲ませる他、シガニー・ウィーヴァーやウィリアム・ハートなどベテランも出演。彼ら長老が村の将来をめぐって意見を戦わせる場面では、思わず引き込まれてしまうような熱演が展開されます。『サイン』のチェリー・ジョーンズも、村の女性の一人で出演。ルシアスに振られるアイヴィーの姉は、『エリザベスタウン』のジュディ・グリア。

 本作では、ブート・キャンプと称して3週間、全俳優が19世紀の生活体験を実施。実際に農業や手作業などに従事しました。シャマランは、長回しのショットに耐えられる舞台経験豊富な名優を集めたと語りますが、そんな彼らがみな、インタビューでこの訓練キャンプを「楽しかった」「まるで家族のようになった」と回想しているのは何よりです。

* アカデミー賞

 ◎ノミネート/作曲賞

 

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