前作『エアベンダー』に続き、現代アメリカ以外の舞台設定を用いたSFアクション。宣伝で監督の名前を控えたのが良かったのか、はたまたウィル・スミスの親子競演が話題を呼んだのか、長らく評判を落としていたシャマランとしては、久々のヒットとなった映画です。もっとも、製作陣は過去のシャマラン作品と全く違うし、ウィル・スミス自身による原案も仕掛けのある物語ではなく、脚本は共同執筆。客観的に観ても、シャマラン色は薄い映画と言えるでしょう。 しかし映像の特性共々、全体としては彼の才気が充溢した傑作です。特にウィル・スミスの、抑えた低いトーンによる訥々とした喋り方は、正にシャマラン作品固有の演技スタイル。又、画面の手前で、クルーの死体に反応して半透明の自動ジャバラが開閉する場面がありますが、こういった往復運動や、規則的な動きを画面の中に取り込んで不思議なリズムを作り出すのも、シャマラン特有の手法です。 危険な土地に重要なアイテムを探しにゆく通過儀礼のストーリーはシンプルかつ直線的で、枝葉を付け足して二時間以上に肥大しつつある現在のハリウッド映画からすると、すこぶるストイックで潔く見えます。しかし、怪我で動けない父親が主人公の行動を監視し、無線を通じて助言するという構図がプロットに立体感を与えているし、それによってシャマランお得意の、目に見えないけれど近くに存在する脅威の描き方も、よりスリルの度合いを増します。 死者の記憶が主人公に強い影響を及ぼすというのは、過去のシャマラン作品に繰り返し表れたテーマ。恐怖とは未来を想像する事であって、いま目の前にある現実だけに集中すれば恐怖を克服できるという思想には、東洋的な雰囲気も漂います。「危険は実在する。しかし恐怖は自分次第だ」とは名言。それによって映像に求道的なパワーが生まれ、よくあるディザスター・ムーヴィーやゲーム感覚のアトラクション映画になっていない所に才気とセンスを感じます。 本作はロケーションや背景の設定が素晴らしく、サスペンスやアクションの演出共々、技術的な見地からも傑出した作品と言えます。惑星や宇宙船内の空間や居住スペースには、アジアやアフリカの民族的イメージも取り入れて、不思議な美的感覚を開陳。特殊効果やCGをむやみに多用せず、使う場合でもアナログ的な感覚を基調にしているのはシャマランらしいです。 家族4人の芝居だけでほぼ全体を占めるという、SFアクションとしては斬新な作劇ですが、いくら1時間40分の短い映画とはいえ、凡庸な監督が演出していたらとても間が持たなかった所でしょう。 |