ヴィジット

The Visit

2015年、アメリカ (94分)

 監督・脚本: M・ナイト・シャマラン

 製作総指揮:スティーヴン・シュナイダー、アシュウィン・ラジャン

 製作:ジェイソン・ブラム、M・ナイト・シャマラン

    マーク・ビエンストック

 撮影監督:マリス・アルベルティ

 プロダクション・デザイナー:ナーマン・マーシャル

 衣装デザイナー:エイミー・ウェストコット

 編集:ルーク・シアロッキ

 ブラインディング・エッジ・ピクチャーズ会計士:ホセ・L・ロドリゲス

 シャマランの助手:ドミニク・カタンザリテ

 出演: オリヴィア・デヨング  エド・オクセンボールド

    ディアナ・デュナガン  ピーター・マクロビー

    キャスリン・ハーン

* ストーリー

 15歳のベッカと13歳のタイラーは、仲の良い姉弟。シングルマザーの母は若いときに実家を飛び出して以来、両親つまり姉弟の祖父母とは音信不通となっていた。ある日、祖父母から姉弟に休暇を利用して遊びに来ないかとの誘いが。カメラが趣味のベッカは、この機会に母親と家族の物語をドキュメンタリー映画にしようと考える。ペンシルバニアで1週間を過ごすことになった姉弟は、優しい祖父母のもてなしと美味しい料理に大喜びだったが、次第に祖父母の奇行が目に付きはじめる。

* コメント   ネタバレ注意!

 小規模撮影、無名の俳優で臨んだ、シャマランお得意の謎めいたスリラー。監督は、短期間集中での撮影(しかも脚本通りの順撮り)や知名度に頼らないキャスティングは自分に向いていたと語っていますが、いわばこれらは、低予算映画の言い訳に使われてきた常套句。とは言っても、シャマランは元々自主映画を撮っていた人でもあり、確かにその楽しさや、映画製作への純粋な情熱を保つには、彼にとって良いスタイルなのかもしれません。

 シャマランはその意味において「原点回帰」だと語っている訳ですが、映画会社がそのキーワードを、いかにも確信犯的に『シックス・センス』への原点回帰という意味にすり替えて使っているのは、歯がゆい所。アメリカ本国ではどうなのか知りませんが、日本の宣伝部はさらに大きな過ちを犯していて、本作の梗概を「主人公姉妹に告げられる、奇妙な3つの約束」と説明しています。そんなフレームワークは、映画の中に出てきません。単に祖父が、「夜9時半以降は部屋から出ないようにしよう」と提案するだけです。

 何とか映画をヒットさせたい気持ちは分かりますが、それでは観る前のハードルを上げる事にしかなりませんし、観客ががっかりすれば口コミで評判が広まる機会も失われるでしょう。このような虚偽の宣伝行為は結局、映画のためにも観客のためにもならないし、長いスパンでみれば、映画業界のためにもなっていないように思います。さらに指摘すれば、本作には宣伝が示唆している「衝撃的などんでん返し」もありません。シャマランが観客に新たな挑戦状を叩き付けたという宣伝文句には、思わず鼻白みます。

 映画を三分の一も観れば分かる通り、本作は超自然ホラーではなく、異常心理スリラーです。ストーリーもむしろ古典的な型で、そこに新味を求めるのは観客や映画会社が『シックス・センス』の呪縛に捉われすぎている証左でしょう。主人公が撮影したビデオという設定のPOV映像は、シャマラン作品初の試みですが、手持ちキャメラ風なのは構図やアングルだけで、映像そのものは他の劇場作品と変わらないクオリティ。照明や色彩の設計も美しく、劇映画として見応えがあります。

 古典的なB級ホラーの構成を踏襲しながらも、そこにシャマラン特有の個性を感じさせるのは、通常こういう映画ではごく薄っぺらな造形しかなされない人間ドラマに、むしろ大きな重点を置いている所です。母子家庭に暮らす主人公の姉弟は、父親が家を出た事をそれぞれに自分たちの裁量で受け止め、処理しようとしています。自分を無価値だと感じている姉。自分をタフに見せようと背伸びしながら、離婚の原因が自分にあると感じている弟。長年に渡って、自分の両親と和解はおろか会う事すらできていないママ。

 彼らが抱える心の傷や孤独感は、過去のシャマラン作品の登場人物と通底するもの。その心理的欠落を埋めるものとして、本作の場合は「許し」が、サブテーマとして底流しています。怒りの感情を消して、ひたすら「許す」こと。そこから、物語は登場人物の「再生」への道筋に寄り添います。その意味で、映像ソフトの特典映像に収録されている別ヴァージョンのエンディングは素敵で、個人的にはこちらを選択した方が良かったのではと思うくらいです。

 もう一点、シャマランの映画には独特のアート的なセンスがあって、本作には、特にそれが良く出ているように思います。作品全体が、主人公が製作している自主映画の素材という設定もありますが、不気味な場面や人物の内奥に迫るインタビュー映像、弟のユーモラスなラップなど、短いエピソードを緩急巧みにテンポ良く繋ぐ構成には、美的感覚に秀でた映像設計と共に、アートへの新鮮で純粋な情熱が溢れていて、正にシャマランの言う、原点回帰的な映画製作。逆に私は、物事をじっくり観察する長回しの手法や、東洋的でミステリアスなムードが後退している点を、寂しく感じてしまうくらいです。

 そういったアート感覚の一つのあらわれが、音楽。シャマランは本作で、オリジナルの音楽を全く付けていないのですが、その代わりに控えめに挿入される既成曲の効果が、過去のシャマラン作品にはなかったテイストを醸し出しています。特に、クライマックス(ホラー映画定番の危機的な山場とパトカーの到着)においてスタンダード曲を流す不協和音的手法は、意表を衝いて実に斬新。こういうのは正に、ジャンル映画を踏襲しながらも独自の異化表現を図ってきた、シャマランならではのアーティスティックなアイデアと言えそうです。

 シャマランは「偶然撮れたように見せるのは難しい」と語り、とにかく最後までブレず、自分自身が純粋さを保つ事を意識したと言います。「芸術という不確かな分野では、あっという間に堕落に足を取られる。道を見失ってしまうんだ。芸術家としての初心もね。商業主義が芸術の上に立ってしまうのは好ましくない。だが逆の場合は、良いものができる。こういう映画を作ると決め、とにかく突き進むんだ。製作に3年もかかる大作だと、それが難しくなる」

* スタッフ

 本作の製作陣は、『パラノーマル・アクティビティ』『インシディアス』『パージ』の各シリーズや『セッション』を手掛けるジェイソン・ブラムとスティーヴン・シュナイダー、多くのサスペンス、スリラーや『ワイルドシングス』『REC:レック』の続編以降を手掛けるマーク・ビエンストックと、POVモキュメンタリー分野の王道に携わってきた人達が集結。『アフターアース』以降、シャマラン作品に関わっているアシュウィン・ラジャンも参加しています。

 撮影もドキュメンタリー出身で、『ベルベット・ゴールドマイン』『レスラー』『ハピネス』『テープ』などを担当した、マリス・アルベルティ。プロダクション・デザインは、クリストファー・ノーラン作品で美術を担当し、『アフター・アース』に美術監督として関わったナーマン・マーシャルが本作でデビューしています。同じく本作で編集マンとして独立しているのが、『ハプニング』『エアベンダー』『アフター・アース』で編集助手を務めたルーク・シアロッキ。

 衣装デザインは、ダーレン・アロノフスキー監督の『ブラック・スワン』『レスラー』で高い評価を受け、『アフター・アース』も担当したエイミー・ウェスコット。音楽は、前述の通り劇伴を付けていませんが、音楽監修に『アンブレイカブル』『ヴィレッジ』『レディ・イン・ザ・ウォーター』でシャマランと組んだ、スーザン・ジェイコブスを起用しています。

* キャスト

 スター俳優を起用しないものの、時間をかけてこだわったキャスティング。上の発言の続きで、シャマランはこう語っています。「そういった堕落が生じやすいのが、キャスティングの作業だ。自分の好き嫌いで人を選んだり、知名度の高い俳優に頼ったりしがちになる。今回は、オーディション映像を隅から隅まで、何度も何度も観た。おかげで理想的な俳優ばかりを起用する事ができた。彼らはもう登場人物そのものだよ」

 主演のオリビア・デヨングとエド・オクセンボールドは、映画臭さを感じさせない自然な芝居っぷりが、作品の設定にぴったり。内面をじっくり描く場面もあるので、演技力も必要な訳ですが、その点も、時間をかけてオーディションしただけあって、不足はありません。彼らの母親は、『なんちゃって家族』『LIFE/ライフ』『トゥモローランド』のキャスリン・ハーン。ほとんどパソコン画面の中にしか登場しない役ですが、彼女の芝居の明るさは、作品全体のトーンにメリハリを与えていて効果的です。

 観客の度肝を抜く怪演で祖母を演じているのは、ブロードウェイとシカゴで30年以上も舞台に立ってきた、ディアナ・デュガン。『8月の家族たち』でトニー賞に輝く名優ですが、ここでは感情の振り幅も大きい上に、怪物的なアクションも随所で披露する強烈な役で、観る者を驚かせます。

 祖父役のピーター・マクロビーは、ウディ・アレン作品の常連で、他にもスピルバーグの『リンカーン』『ブリッジ・オブ・スパイ』、サム・ライミの『スパイダーマン2』など、話題作への出演多数。サスペンスでは典型的な「謎めいた親戚」役ですが、抑制の効いた芝居が功を奏して、親しみやすさと近寄り難さの二面性をさりげなく表現。明らかに異常な祖母とバランスを取るキャラクターとして、最後まで緊張の糸を持続させる役割を担っています。

 

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