『アンブレイカブル』と『スプリット』を統合した形での続編。監督はしきりに三部作という言い方を強調していますが、『スプリット』のラストにブルース・ウィリスがカメオ出演した時点では、この展開を誰も予想していなかったように思います。シャマランは『アンブレイカブル』の続編を作りたいと何年も言い続けていたそうですから、構想はずっとあったのでしょう。 監禁スリラーだった『スプリット』と較べると、本作は『アンブレイカブル』と併せてアメコミのヒーロー映画を脱構築したような物語で、そのユニークな発想は高く評価されるべきだと思います。異化されてはいますが、図式としてはちゃんとスーパーヒーロー物になっているし、ミスター・ガラスというイライジャの通称も、アメコミの悪役キャラクターっぽいです(ただし原題は“GLASS”で、シャマラン作品らしいタイトル)。 シャマランには珍しく、カットを細かく割ったスペクタクル場面もあり、三つ巴(ステイプルやケイシー達も入れると六つ巴)のクライマックスは、シャマラン作品で最も激しくスピーディなアクション・シーンになっています。特に、デヴィッドとビーストの闘いを車の中から撮影したショットは臨場感満点で斬新ですが、中に監禁されている2人の女性の視点として、ショットにきちんと意味も与えているのはさすが。 動きが多くて急展開する中間パートと較べると、その前後はやや生彩を欠く印象です。興業面など、何をもってその映画を成功と見做すかは様々ですが、純粋に芸術面から考えると、シャマラン作品がうまく行かない場合には共通点があるように思います。私の見た所、映画の開巻からすでに緊迫感が欠如している場合と、ストーリー上で理屈が前面に出る際に、シャマランの作品は全体の均衡が崩れ、流れが停滞するようです。 例えば、『レディ・イン・ザ・ウォーター』はその典型ですし、世評は良かったですが『ヴィジット』もそう、『スプリット』も理が勝って緊張感が途切れる場面が多いです。本作にもその傾向がありますが、とにかく描写力に秀でた監督なので、理屈を言葉で説明するシーンが続くと、本領の発揮を阻害する結果になるのかもしれません。 監督によると、自身初の続編だった事もあり、脚本の時点でかなりの大作になってしまったようです。完成版は最初に編集したものから1時間近くカットされているそうですが、それでも2時間9分の尺があり、シャマラン作品としてはかなり長い方になります。 オオサカ・タワー(架空)の情報を伏線のようにしつこく出しながら、基本的に施設の敷地から離れないストーリー構成は、ある意味でアンチ・クライマックスですが、そのひねり方がシャマラン流とも言えます。それによって、謎の組織の存在がほのめかされるという意外な展開が導かれますが、これは過去のシャマラン作品の仕掛けとは本質的に違う考え方で、反則の色合いが濃厚。スリラーとしても、施設のスタッフが危険な患者達に不用意に近付きすぎるのは、演出として少々安易。 |