フィンチャー5年振りの新作は、かつて実際に起こり、今もまだ犯人が捕まっていない犯罪史上初の劇場型連続殺人事件の映画化。彼は連続殺人の映画を再び作る気なんてなかったそうですが、この事件は特別で、何でも彼が7歳の時、自宅からわずか20マイルの所でこの事件が起こったという話。 ゾディアックと名乗るこの殺人犯も有名で、『ダーティ・ハリー』をはじめ、かつて何度も映画のモデルにされてきました。本作は実際にゾディアックの犯行を追ったサンフランシスコ・クロニクル紙の諷刺漫画家、ロバート・グレイスミスのノンフィクションを映画化したもの。新入りのイラストレーターがなぜ事件に深く関わるようになったかは、劇中で詳しく描かれています。 フィンチャーは入念なリサーチを行ない、準備の過程で発見した新たな証拠を警察に提出したりもした由。しかし未解決の事件であるせいか、通常のサスペンス物のような直線的な展開はとらず、ゾディアック側の描写が出来ない分、事件に関わった人々が人生を狂わされてゆく様を、確かな洞察力で描いています。 進行はドキュメンタリックで淡々としていますが、何度か挟み込まれるゾディアックの犯行シーンには恐るべき演出力が光り、これは今までのフィンチャー作品にはあまりなかった事ですが、背筋の凍るような恐怖を味わせられます。キャメラワークも今回は敢えて目立たないようにしたそうですが、道路を走る車を追う空撮ショットなどはやっぱりトリッキーというか、思わず「おおっ」と驚かされますね。 一方、新聞社の場面は至って軽快で、デヴィッド・シャイアの70年代ソウルっぽい音楽もその印象を助長しますが、時にジャズ風の叙情的な音楽が陰影に富んだ映像と相まってビターな詩情を醸し出すなど、不思議とシックな感性も垣間見せます。不安定な和声の上に時折浮遊するトランペットのシグナルは、アメリカの作曲家チャールズ・アイヴズの作品と似ているなと思いながら観ていましたが、曲のタイトル(《答えのない質問》)を思い出して、ああ、これは意図的なパロディだなと確信しました。 結局、実話の映画化ですから、二時間半を超える長丁場をもってしても、真実の周りをぐるぐると巡った挙げ句、やはり何も解決しないままエンディングを迎えるわけですが、それでも「何か妙な迫力のある映画だったな」という異様な手応えを感じさせる所がフィンチャーの非凡な所です。彼は「私達、ありとあらゆる資料を研究しました」と声高に主張するタイプではありませんが、その尽力が秘かになされているだけに、作品に不思議な存在感があるんでしょうね。好き嫌いはともかく、その点には敬意を表したいと思います。 |