スウェーデン発の世界的ベストセラー、『ミレニアム』3部作からの映画化1作目。本作より前に現地スウェーデンでも映画化されていますが、私はスウェーデン版を観ていませんし、原作も読んでいません。フィンチャー作品としては、『セブン』『ゾディアック』に続く3本目の連続殺人物ですが、テイストもアプローチもそれぞれ違えている所はさすが。 本作では、主軸となるミステリの部分は、金田一耕助物や、ハリウッドでは『ダヴィンチ・コード』シリーズにあったような隠れた法則に基づく連続猟奇殺人で、それ自体はさほど斬新という訳でもありません。瞠目すべきはキャラクター造形で、陰謀によって社会的立場を追われたジャーナリストと、刺々しい風貌ながら常人離れした情報収集能力を持つ女性という、一見奇異な取り合わせに見える二人のドラマに、本作の大きな特色があると言えるでしょう。 特に後者のリスベットは、一人で何でもこなす問題解決能力の高さ、生い立ち(映画では詳しく触れていません)に由来するらしき孤独な雰囲気、そして何よりも、意外な所で見せる健気な一面に、どこか人を惹き付けるような魅力があります。彼女の行動や思考には常識的センスや道徳観の欠落があり、社会不適合者的な側面を見せる一方、世直し的な正義感や、相手を本質的に理解しようとする、その他人との関わり方に強い説得力があったりして、本作を観た多くの人が彼女を好きになってしまうのではないでしょうか。 因習打破的な人物を描きながら、現代人の本音を衝いて観客に共感を抱かせてしまう手法は、フィンチャーの得意とする所でもあります。ミカエルとリスベットという、外見も生活スタイルも全く対照的な二人、ほとんど別世界の住人みたいな二人が、社会的立場を危うくされている点と、社会の腐敗に対する怒りを秘めている点で共通していて、次第に仲間意識が生まれて来るのは面白い設定です。初めてリスベットに会った時も、ミカエルが彼女の風貌を全く気にしていないように見えるのは、理にかなった態度ですね。 タトゥーとピアスだらけ、奇抜な髪型に剃った眉という、パンク風の外見ながら、本作のリスベットが時に可愛らしさを漂わせるのは、演じているルーニー・マーラの育ちの良さがプラスに働いているのではないかと思います。 フィンチャーの語り口も絶妙で、レッド・ツェッペリンの《移民の歌》を暴力的な大音響で叩き付けてくるオープニング・タイトルからして、観客を瞬時に映画の中に引きずり込んでしまいます。さらに本編開始後も、切迫感溢れる調子でドラマをぐいぐいと牽引。それぞれのシーンを短く構成するばかりか、シーンを構成する各カットも短く刈り込んで、それらを素早いカッティングで繋いでゆく事で、推進力溢れるスピーディーなテンポを生み出しています。 それでいて感心させられるのは、各カットが醸し出す情感と空気感の豊かさ。ロケーションは原作通りスウェーデンで行われていますが、映画を観れば、作り手があくまで現地ロケにこだわった理由がよく分かります。もうどの場面にあっても、背景が映画のもう一つの主人公と言っていいくらい、雄弁にドラマを語っている。風景が人物の内面に影響を及ぼしている実感、と言えばいいでしょうか。フィクションでありながら、いや、むしろフィクションであるがゆえに、画面の中の人物達が、この場所、この風景から生まれ、ここで生きているのだという映画的リアリティが重要な意味を持つ訳です。 謎解き自体にさほど緊迫感がないのは、フィンチャーがそこに重点を置いていないあらわれかもしれません。そもそもハリウッドのミステリ映画は、配役で真犯人が割れてしまいます。全く知名度のない俳優が犯人役にキャスティングされる事はまずありませんから。 むしろ、神に関するミカエルの態度や、社会の病巣をまるでえぐり出すかのように前景化しながら、それをスタイリッシュな映像美で淡々と描写してみせる辺りに、フィンチャーの真骨頂がありそうです。原作もそうですが、今や広く知られたアメリカの暗部よりも、福祉とデザインの国というイメージが根強い北欧スウェーデンの暗部を描く事に、より大きな意義があるのでしょう。 |