売れっ子マイケル・クライトンの原作物ながら、全体のタッチは、『生きてこそ』のシリアスなトーンから『アラクノフォビア』のコミカルなスリラーに戻ったような怪作。超ハイテク機器の世界と大自然の対比は、『ウエストワールド』や『ジュラシック・パーク』のクライトンらしいテーマだと言えます。 動物パニック物の定石といえる冒頭の襲撃シーンですが、マーシャルの演出はホラー色を強く打ち出し、緊張感を煽りながらも、どこか飄々としたユーモアというか、ホラー・ファンへのサービス精神みたいなものがふんわりと漂う所が不思議。この部分のキャストに、『死霊のはらわた』シリーズのカルト俳優ブルース・キャンベルを配しているのも、その印象を強めます。 本編も、冗談か本気か分からないような、人を食った調子で進行。主人公達が空港に降り立った瞬間から、いきなりクーデターによる混乱に突入したのには大笑いしましたが、続く軍幹部との会見でも、執拗にケーキにこだわる大佐のキャラクターが、ギャグなのかどうか判別に悩む所です。ゴリラの威嚇に耐えた主人公が背後を振り返る場面では、劇場でも笑いが起きていたので、監督も半分コメディのつもりで作っているのかもしれません。もっとも、コミカルな要素が入るのはこの辺りまでで、以後はずっとシリアスなサバイバル劇になってゆきます。 凄いのは、夜のジャングルでレーザー光線を張り巡らして安全なエリアを確保し、自動追尾銃を外に向けて多数設置する場面。これだけのハイテク機器に守られていながら、銃が次々に自動発射されはじめると、これでは追いつかない、誰も助からない、という逃げ場のない恐怖が襲ってきます。脅威の相手は、正体が分かってみれば拍子抜けする人もいるかもしれませんが、この場面に関してはアイデア勝ちといった所でしょうか。相手の姿をあまり見せず、物理現象を描いて恐怖を煽る手法は、やはりスピルバーグ譲りとも言えそうです。 クリーチャー達との攻防も、カットバックを多用してサスペンス演出の冴えを見せますが、どうもこの監督は、演出力はあるけれど正面きって使う気はない、といった態度が見え隠れします。終盤の大掛かりなクライマックスも見事といえば見事なのですが、超大作風の華やかさは希薄。これは、上映時間109分というコンパクトにまとまった脚本、編集のせいかもしれません。前半部など、余りにとんとん拍子に話が進んでいて、いささか都合が良すぎる感じもあります。 凝ったハイテク機器の数々や、手話を人の言語に変換する機械を付けたゴリラなど、クライトン原作らしいアイデアは満載で、スタン・ウィンストン、マイケル・ランティエリなど、錚々たる顔ぶれによる特殊効果も充実。ロケはコスタリカで行われていますが、J・マイケル・リーヴァがデザインした古代都市ズインジや鉱山の巨大セットは、高画質のメディアで見ると、人工的に見える部分もあるかもしれません。 |