キャメロンの本格デビュー作で、シュワルツェネッガーの出世作でもある映画。続編がCG技術の進歩を広く印象づけた大作として話題を呼んだために忘れがちですが、本作は当初、あくまでもB級アクション映画と捉えられていたと記憶します。特に冒頭、人間と機械の未来戦争の場面のミニチュア撮影や、クライマックスのコマ撮りなど、特撮に関しては公開当時から既に安っぽさを指摘されてきたものです。 それでも本作がある種の人達から支持され、キャメロン自身の出世と共に作品世界が拡大されてゆく結果となったのは、やはり映画の中のマニアックな“こだわり”に、自分達と同じマニアの匂いを感じる観客が少なからずいたからでしょう。それは、キャメロンがロジャー・コーマン門下生で、実際にそれらしいチープな技術を作品内に盛り込んでいるせいもありますし、本格的なガンやライフルの実物が画面に多数登場するという、兵器類へのこだわりもあったかもしれません。既に彼の後続作品を知っている私達には、キャメロンのその資質が本物であった事がよく分かりますね。 さらに、技術の稚拙さ云々を越えて未来戦争の存在を納得させてしまうのは、よく練られた脚本ゆえと言えるのかもしれません。戦争の場面は劇中あちこちでインサートされますが、工事現場の掘削車などを何気なく見ていたマイケル・ビーンが、その連想から悪夢に入ったり、オープニング・タイトルの直後なども、未来の場面の続きと思って見ていて、キャタピラのアップからキャメラが引いてゆくとそれはフォークリフトで、実は現代のシーンだったという、イメージの連鎖が実に見事に演出されています。地面を埋め尽くす骸骨をキャタピラが蹂躙してゆくショットも、人間が機械に滅ぼされる未来の状況を端的に象徴していて、技術的なハンディを乗り越える説得力があります。 もっとも、SF作品、特にタイムスリップ物に付き物の「卵が先かニワトリが先か」の問題は本作にも依然として存在し、サラの子供ジョン・コナーの存在を抹殺するために未来からターミネーターがやってきて、そのジョンが遣わした戦士リースが、結果的にジョンの父親となるというのは、果たして辻褄が合うのかどうか、深く考え出すと頭が混乱してくるので要注意です(私の頭が悪いだけかもしれませんが)。 以前はキャメロン作品というと、ハードで冷たくて、ユーモアのセンスはほとんどない印象があったのですが、今改めて観直すと、あちこちにちょっとしたギャグのようなやりとリが入っているのに気付きます。例えば、ランス・ヘンリクセンら警察署内の会話や、ターミネーターにビビる一般市民の描写、サラの同居人の恋人のくだりなどなど。又、ターミネーター自体にもどことなくコミカルな存在感があって、悪態一つ付くのに幾つかの語彙の中から適切な語を選択するとか、サラの母親の声色を使うとか、何よりも、骨格だけになっても執拗にサラに襲いかかるしつこさは、それ自体ギャグでもあります。 キャラクターの描き方も通り一遍ではないのが美点です。例えば、しがないウェイトレスのサラが店で奮闘していて、客とやりとりしている間に子供がエプロンのポケットにアイスクリームを入れてくるとか。このシーンは、何も言い返せないサラの情けない顔で終了しますが、こういうシーンを全部削って、一時間半のタイトな映画にする事も出来る訳です。こういった、カットしても作品の骨子には影響のない場面を随所に入れて、敢えて二時間近くの映画に仕上げる事で、本作は典型的なB級映画と一線を画す、豊かな内容を盛り込む結果となりました。 |