初期作『ビートルジュース』、35年振りの続編。構想はずっとあったそうだが、バートンは『ウェンズデー』の撮影中に「作るなら次の作品だ」と発奮したそう。何が彼をそうさせたのかは分からないが、『ウェンズデー』の世界観が見事に構築されている事を考えると、この脚本家コンビとの出会いがきっかけになったのではないかとも思える。 コメディ色が強く、ポップな仕上がりだった前作と較べると、本作はよりダークでホラー色が強いようにも見える。とはいえあくまで配分の問題ではある。監督本人が語っているように、「その後」を描きたかったのはあくまでリディアであり、母親になったリディアと娘のアストリッド、リディアの母デリアとの関係性にフォーカスが当てられている。 タイトル・ロールのビートルジュースは、実は前作でも登場場面が少なかったのだが、本作でもまた脇役扱いで、それでも成立しているのがこのシリーズのユニークさ。死後の世界はあまり変わっていないという設定で、前作に出て来た様々なゴーストを本作にもそのまま登場させている。 とはいえ勿論新しいキャラクターも追加されていて、展開も大きく違っている。ドラマの構築に苦慮したのか、前半はやや停滞気味にも感じられるが、アストリッドと青年ジェレミーとの交流はミステリー仕立てだったりして、そこから後半にかけての追い込みは凄い。特にハチャメチャなのが、クライマックスの教会の場面。 前作は“バナナ・ボート”の場面が有名だが、この曲は教会の合唱隊がさりげなく歌っている一方、クライマックスのミュージカルには、バートンが好きなリチャード・ハリスの“マッカーサー・パーク”を使用。皆が自らの意志ではなく取り憑かれて踊らされる点は前作を踏襲していて、7分もある大作なのに全編フルで流してシュールかつバカバカしいシーンになっている。 この第3幕は当初脚本に無かった場面で、バートンのアイデア。家のレコードを探してこの曲を見つけ、楽曲から逆算してシーンを構成したが、どうなるのか自分でも分からないまま、撮影してゆく事で筋道を探って行ったという。インフルエンサー達がいて、霊界の警官たちがいて、主要な登場人物が揃った所に、ジャクソンやドロレスも合流して、そこで唐突にミュージカルが始まる。 特にアストリッドとデリアのペア・ダンスは振付が最高に楽しいが、何と時間がなく、演じるオルテガとオハラがほぼ自分たちで考えた振りで、振付師は助言役として横にいた程度だそうである。メイキング映像では撮影後に出演者達が並んでカーテンコールをしていて、スタッフから盛大な声援を受けている光景になぜか胸が熱くなる。オハラも「集団での撮影は一体感があって楽しい」と述懐。 撮影監督のザンバーラウコス曰く、「第3幕は無秩序への転落だ。楽しかった。ストーリーボードはなく、舞台演劇のようなリハーサルをして、思い切りふざける事を目指した。ティムの得意技だ。こんなやり方は映画学校の教本にもネットにも載っていない」。 エンディング前の観光旅行の場面は、ドラキュラの城として有名なブラン城。『ウェンズデー』の撮影でルーマニアにいた時に、何度も訪れたそうである。そういった個人的に愛着のある物を映画に取り入れる事は、自分にとって大きな意味があるとバートンは語っている。そういったディティールの集積が、彼の映画のユニークな世界観を作り上げているのだろう。 特殊効果は全編ほぼアナログの手作りで、デジタル処理は修正や合成のみに使用されている。サンドワームの場面など、昔ながらのストップ・モーション・アニメも多用していて、飛行機事故の回想シーンまでコマ撮りアニメというのが凄い。又、ビートルジュースの回想場面は、演じるベルッチに合わせてバートン念願のイタリアン・ホラー風モノクロ映像。 前述の“マッカーサー・パーク”は冒頭にドナ・サマーのヴァージョンが流れる他、死者を運ぶソウル・トレインのプラットフォームでも、TV「ソウル・トレイン」のテーマ曲が流れてやっぱりミュージカル風。ダジャレみたいな選曲だが、これもバートンがよく観ていた番組で、「自分の体験が映画の中でうまく繋がった」と音声解説で嬉しそうに語っている。 エンディングはブライアン・デ・パルマ監督のサスペンス風の展開。ピノ・ドナジオが作曲した『キャリー』のテーマ曲が使われているが、観ようによっては『エイリアン』のパロディにも見える。 |