この人気コミックの映画化プロジェクトは、ワーナーで10年間にも渡って様々な監督、脚本家が関わった挙げ句、バートンに打診されました。しかし『ビートルジュース』が公開されると、最初の週の興行成績が分かるまで『バットマン』製作の公式ゴーサインは延期されたそうです(バートンはこの話をあちこちで語っています)。それもその筈、本作はスタジオにとっても前例のない超大作、ワーナー・ブラザーズの社運が掛かっていると言われた程の映画だったのです。 製作前も製作中も、とにかく紆余曲折のあった作品です。バートン自身、監督として若すぎると見られていましたし、音楽のダニー・エルフマンや撮影監督のロジャー・プラットに対しても、起用を疑問視する声があったといいます。特に物議を醸したのがマイケル・キートンのキャスティングで、原作のファンがデモ行進をおこなうほど激しいリアクションを引き起こしました。挙げ句に、何と経済紙までが一面でこれを取り上げ、「キートンにバットマンは無理」「最悪の馬鹿げた配役」と非難。 しかし、本作に対する否定的な前評判は、ジャック・ニコルソンの参加が伝えられた事から期待感に変わり、映画館に予告編が掛かるようになると問い合わせが殺到。何と、この予告編だけを見るために、興味のない映画のチケットを買う人まで続出する騒ぎとなりました。結果、映画は大ヒットを記録。グッズ展開も含め、ほとんど社会現象にまでなりました。 バートンは本作を、自作の中で一番親しみの湧かない映画だと述べ、超大作を監督する仕事の特殊さに言及しています。実際、その雪辱戦として『バットマン・リターンズ』でやりたい放題を実践するわけですが、本作だって相当にバートン色の強い映画です。製作総指揮のマイケル・ウスランは、原作の映画化権をDCコミックスから得た人で、大学で史上初のコミック講座を持った研究家でもありますが、彼がずっと夢見て来た「ダークで本格的」な映画化は、バートンという人材を得たからこそ実現できたと言えるでしょう。画面を黒一色に塗りつぶした、その暗さやヴィジュアル・デザインもさる事ながら、主人公を精神的に分裂した男と解釈した点は、特筆に値します。 バートンにしてみれば、ブルース・ウェインという男は病んでいる訳です。当初執筆されていた『スーパーマン』の脚本家によるシナリオは、バットマンのコスチュームが最初からそういう体になっているかのように書かれていたそうです。バートンはそれを受入れられなかった。バットマンは、あくまでもコスチュームで扮装する人間なのであり、それは相当におかしな事である、と。主人公がなぜ変装しなければならないのか、その動機付けが大事なのです。だから、ウェインの若き頃のトラウマが、映像として何度もフラッシュバックしてくる。 クレジットを見ると、原作はボブ・ケインの漫画そのものではなく、あくまで彼のキャラクターに基づいて、脚本家サム・ハムが新たに創作したストーリーとなっています。しかし、バートンは早い段階で脚本の成立に携わり、実際にサム・ハムは、一般人であるヴィッキーを秘密基地バットケイブに入れるシーンや、バットマンの父をジョーカーが殺したという原作にない設定はバートンのアイデアで、自分の責任ではないと強調しています。映像的にも、ハリウッド大作風の雰囲気は確かにありますが、やはりバートンのカラーが濃厚に出た映画だと言わざるをえません。 唯一、ジョーカーの所業にはテロリズムの匂いを強く感じさせる所があって、たとえユーモアの味付けがなされていても、娯楽と割り切って素直に楽しめるほど、今の観客は無邪気ではいられないかもしれません。美術館を占拠する場面のリズミカルなタッチや、随所で不気味な存在感を放つ怪奇趣味、巨大な毒ガス風船の正にバートン印のデザインなど、ユニークな演出には事欠かないのですが、芸術作品はやはり社会と無縁ではいられない事を痛感します。 |