シザーハンズ 

Edward Scissorhands

1990年、アメリカ (105分)

 監督:ティム・バートン

 製作総指揮:リチャード・ハシモト

  製作:デニーズ・ディ・ノヴィ、ティム・バートン

 脚本:キャロライン・トンプソン

 (原案:ティム・バートン、キャロライン・トンプソン)

 撮影監督 : ステファン・チャプスキー

 プロダクション・デザイナー:ボー・ウェルチ

 衣装デザイナー:コリーン・アトウッド

 編集:リチャード・ハルジー

 音楽:ダニー・エルフマン

 美術監督:トム・ダッフィールド

 出演:ジョニー・デップ     ウィノナ・ライダー

    ダイアン・ウィースト  アンソニー・マイケル・ホール

    キャシー・ベイカー   アラン・アーキン

    ヴィンセント・プライス

* ストーリー 

 発明家の博士によって生み出された人造人間エドワード。完成間近に博士が急死してしまい、彼は両手がハサミのまま丘の上の屋敷に一人残される。ある日、孤独に暮らす彼の元を、エイボン化粧品のセールス・レディ、ペグが訪ねてきて、心優しい彼女は彼を家に連れ帰る。ハサミを使った様々な芸当で人気者になってゆくエドワードだが、ある日、ペグの娘キムの恋をしてしまい、キムのボーイフレンドがエドワードを罠にかけた事をきっかけに、元々よそ者だった彼は次第に誤解されはじめる。

* コメント    

 おとぎ話の語り口で展開しながら、舞台は現代、アメリカの郊外住宅地に対する風刺も効いた奇抜なファンタジー映画。その年のクリスマス・シーズンに、『ホーム・アローン』と並んで二大ヒットを記録し、今でも愛され続ける珠玉の作品です。バートン作品のイメージに、繊細な傷つきやすさを加えた最初の映画とも言えますが、彼自身、今までの作品では自分の感情を完全に表現する機会を与えられなかったとも語っています。ちなみに本作は、今までバートン作品を手掛けてきたワーナー・ブラザースが興味を示さなかった為、20世紀フォックスで製作されています。

 しばしば指摘されるのが、主人公エドワードの「触る物を全て傷つけてしまう男」という比喩的な存在です。彼はそのせいで、人里離れて孤独に暮らしている。そこには、内向的で人付き合いが苦手だった、少年の頃のバートン自身が投影されているようです。そう考えるとこの作品、全くどこまでも寓話として語られているようですね。

 冒頭、博士が死んでしまう場面から、映画の絶望的な悲しさは既に始まっています。ところが、ペグがエドワードを街へ連れて帰った瞬間、映画は、絶え間なく漂う物悲しさとコミカルな調子、寓話風のキャラクターと現代世界という、一見それぞれ相反する要素が奇妙でユニークな融合を始めるのです。これは、まるでアクロバットのごとき離れ業。バートンにとっては過去の作品でもやってきた事ですが、おとぎの世界と現実世界のバランスを取るのがいかに難しいか、小説や脚本を書いた事のある人ならよくご存知でしょう。

 エドワードが遭遇する人々は、ある種、バートンが育った郊外の住宅地(バーバンク)に住む人々のカリカチュアで、町並みもパステル・カラーで塗り分ける事でデフォルメされています。そして、この閉鎖的な社会に異物として入ってくるエドワードの存在を象徴するように、エモーショナルな場面になると、カリフォルニアにはおよそ似つかわしくない雪や氷のイメージが画面を彩ります。バートンが言うには、カリフォルニアはおよそ季節感の感じられない街で、クリスマスというのは完全にイメージの世界なのだそうです。ちなみに彼は、本作から三作続けてクリスマスが出てくる映画を撮っています。

 何が本当に正しくて、何が間違っているのか。『バットマン・リターンズ』に繋がるモラル混乱の萌芽は、既にこの映画に見られます。道徳観念を教えようとするビルに、エドワードが間違った答えを返す場面です。彼の答えは、社会的通念としては確かに間違っていますが、あまりに純粋で、人の心の真実を衝いてもいます。この時、無言でエドワードに向けられるキムの視線は、バートン自身の視線ではないでしょうか。

 そしてバートンの映画には、どこかでバランスが崩れている、明らかにやりすぎと感じられる箇所も時々見られます。ラスト近くでキムのボーイフレンドが殺される所は、多くの観客がショックを受け、「映画のトーンが根本的に変わってしまう」と指摘されたシーンですが、バートン自身、奥深い所にハイスクール的な復讐幻想があって、鬱憤を晴らそうとしたかもしれないと認めています。それが彼の作品の魅力だと感じる人もいるのでしょうが、私にとってもこのシーンはやはり、何かが決定的に行き過ぎてしまった、と感じる瞬間です。

* スタッフ

 製作総指揮のリチャード・ハシモトは、『ビートルジュース』に続いて二作目のバートン作品。本作は、バートンが自ら製作に名を連ねた初めての映画で、原案を彼が書いているのも珍しい事です。共同でプロデュースに当たっているのはデニーズ・ディ・ノヴィ。彼女はこの後、バートンとプロダクションを共同設立し、『バットマン・リターンズ』から『エド・ウッド』まで製作者として関わりました。

 原案をバートンと共に執筆し、脚本に仕上げているキャロライン・トンプソンは小説家として注目された人で、後に『アダムス・ファミリー』でもヒットを飛ばしています。彼女とバートンの関わりも深く、『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』と『コープスブライド』にも脚本を提供。バートンは彼女を、「分析できない曖昧なアイデアを理解してくれる人」だと語っています。

 撮影監督のステファン・チャプスキーは、ドイツ生まれのウクライナ人という変わり種で、バートン作品では『バットマン・リターンズ』『エド・ウッド』も担当。他ではあまり名前を聞かない人ですが、色彩を強調した照明スタイルと流麗なキャメラワークは高い評価を受けています。

 プロダクション・デザイナーのボー・ウェルチは、『ビートルジュース』に続く参加。丘の上の古風な屋敷と、極度にシュールで表現主義的な実験室、一軒一軒違う色に塗られた郊外の住宅地、様々な生き物に造型された生け垣など、彼のセンスと腕の冴えが随所に発揮された映画です。美術部門では、セット・デザイナーにリック・ヘインリックス、美術監督にトム・ダッフィールドと、後のバートン作品でプロダクション・デザイナーを担当する逸材が多数参加。

 ダニー・エルフマンの音楽は、子供のコーラスをヴォカリーズに使った二つの曲が印象的。一つは、民謡のような素朴さもある、物悲しいスローワルツのテーマ曲で、夢見るようなチェレスタの響きと共に、子供達の歌声が主人公の純真無垢さを表します。もう一つは、心に沁み入るように暖かい、美しく透明なメロディで、こちらはテレビのドキュメンタリー番組などでも、感動的な場面でしばしば使われています。

 エドワードのメイクと特殊効果を担当したのは名手スタン・ウィンストン。スピルバーグやキャメロンの作品など特殊効果の分野では最先端を行く人ですが、こういう細かい仕事もさすがの仕上がり。彼は引き続きバートンと組み、『バットマン・リターンズ』でペンギンの軍隊をクリエイトしています。

* キャスト

 記念すべきジョニー・デップとバートンの初コラボ作品。当時のデップはまだスターではなく、顔もあまり知られていなかったので、このメイクがいかに本人の素顔と掛け離れているか、私もよく分かっていませんでした。セリフが少なく、体の動きも制限される上に、複雑な感情表現が要求される難しい役ですが、彼はチャップリンを研究し、サイレント映画的なアプローチで、ものの見事に役柄を掴みました。

 ウィノナ・ライダーは、『ビートルジュース』のゴスロリ少女の真逆とも言える、金髪のチアリーダーを演じていますが、これは多分にバートンの要望が強くあったものだそうです。本来の彼女は完全に前者のタイプで、むしろ学校でこういうチアリーダーに悩まされていた方だとの事。撮影中、彼女とデップは恋仲になりましたが、彼らはプロ意識も強く、おかしな事を現場に持ち込んだりはしなかったとバートンは語っています。

 さらに学生時代のバートンのトラウマを忠実に反映させるべく、かつてジョン・ヒューズ監督の青春映画等で活躍したアンソニー・マイケル・ホールが、暴力的で女の子にモテる運動選手をいかにも憎々しく演じています。ヒューズ作品の頃の彼とは、かなり印象の違う役柄です。

 脇を固める役者陣は、ダイアン・ウィースト、アラン・アーキン、キャシー・ベイカーなど、実力者を多く集めていますが、バートンは、彼らのように寛大で、他の役のために多くの事をしてくれる役者達を絶賛しています。特にダイアン・ウィーストは本作の脚本を完全に支持した最初の女優で、周囲から尊敬されている彼女が出演を決めた事によって、他の人々もこの映画に感心を持ちはじめたとの事。

 エドワードを発明した博士を演じるヴィンセント・プライスは、バートンが大尊敬する名優。エドガー・アラン・ポー原作の映画に多数出演している事で、ホラー・ファンの間でも名高い人ですが、バートンは短編アニメのその名も『ヴィンセント』で彼にナレーションを依頼している他、『ヴィンセントとの対話』というドキュメンタリー映画も監督しています(未完)。

* アカデミー賞

 ◎ノミネート/メイクアップ賞

 

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