思い通りに作れなかったせいで、『バットマン』の続編製作には後ろ向きだったバートン。しかし彼にとって、前作で試したかった事はあまりに多く、結局リターンズを作ろうと思い直します。撮影現場はロンドンからLAに移り、ゴッサム・シティのセットも新たにデザインし直しました。スタッフも多くが入れ替わり、バットマン以外のキャラクターは一新されています。そして、多くの人は前作よりもさらに映画のトーンが暗くなったと感じました(バートン自身は否定しています)。 本作はまず、ペンギンことオズワルド・コブルポットの生い立ちから語り始められます。『シザーハンズ』のトーンを引き継いだような寓話風の滑り出しですが、これが映画全体の色彩を決定付けていて、完全に悪に振り切ったジョーカーと違い、ペンギンにはどこか悲劇的な雰囲気が漂います。作り手側も、このキャラクターに最も強く感情移入しているように見えるため、バットマンの立場が単純に正義とも思えなくなってきます。実際バットマンは、特に根拠もなくペンギンを連続殺人事件の首謀者と決めつけ、姑息な手段すら用いて彼に戦いを挑みます。到底、正義のヒーローには見えません。 それで、ペンギン対バットマンという善悪二項対立の構図が怪しくなってきた所に、マックス・シュレックという大実業家が本物のワルの様相を呈してくる。さらに、モラルの混乱に拍車をかけるのが、キャットウーマンの登場です。彼女の行動原理は当然シュレックへの復讐心かと思いきや、バットマンに対しても攻撃心を剥き出しにしたりして、こうなるともう、誰と誰が対立していて、何が正義で何が悪なのか分からなくなってきます。バットマンの存在感はヒーロー物とは思えないほど弱く、単なる狂言回しのようにも見えてくる。バートンは言います「テレビシリーズで悪人に描かれていたキャラクター達も、ほんとは決して悪人じゃなかった。僕は彼らの内の誰も悪人だと思ってない。僕には悪人かどうかを見極める羅針盤がないんだ」。 本作は『バットマン』の続編ではないし、ストーリーにも前作との繋がりは全くありません。他の登場人物も、執事アルフレッドと警察署長以外、共通していません。1作目と同じなのは、漫画の作者ボブ・ケインがキャラクターの創作者とのみクレジットされ、脚本家達が映画用の新しい物語を構築している所。マックス・シュレックも、原作には登場しないキャラクターです(この名前は、ドイツの有名な吸血鬼映画『ノスフェラトゥ』の主演俳優から採られています)。 奇才ボー・ウェルチがデザインした新ゴッサム・シティは、前作よりもややポップな色彩が増して、よりバートン映画らしくなりました。しかし作品全体の印象は、太陽の射すデイ・シーンが皆無に近い事と、入り組んだ感情の迷宮、キャラクター達が背負う哀愁と悲劇性、激しいルサンチマンによって、やはり私も、1作目よりずっとダークになったという意見には同意します。 ただ、ブラック・ユーモアのセンスは随所に発揮され、貴婦人やプードルまでメンバーに入っている悪役グループ(その名も「レッド・トライアングル・サーカス・ギャング」。バンド名みたい。)とバットマンの格闘シーンは、まるでコントのようで笑えます。犬が街角に爆弾を仕掛けて逃げてゆく所なんて、正に“キュートさと残酷さの同居”の顕著な例。クライマックスのペンギンの大群も、まるで冗談としか思えない展開ですが、大笑いしながらも、その大胆な発想に奇妙な感動を覚えます。 バットマン・シリーズは監督、キャストを一新して継続し、ジョエル・シュマーカー監督の三作目にはバートンもプロデューサーとして関わっていますが、中でも飛び抜けてアーティスティックで、心理的に複雑な『〜リターンズ』は、バートン作品としても、バットマンの連作としても一つのピークだと思います。 |