『プロブレム・チャイルド』シリーズの脚本家、スコット・アレクザンダーとラリー・カラツェウスキーは、ルームメイトだった大学生の時からエド・ウッドに関する映画を作りたいと考えていました。後年、彼らが書いた脚本は、同じく大学の同級生だった『ヘザース/ベロニカの熱い日』のマイケル・レーマン監督の目に留まります。彼は自分が監督するつもりで、『ヘザース』とバートン作品のプロデューサー、デニーズ・ディ・ノヴィにこのシナリオを持ち込みますが、共同経営者のバートンが強い興味を示し、監督したいと言い出したのが本作の発端です。 生前も死後も最低監督の汚名を着せられ、女装などの奇行でも名を馳せたエド・ウッド。バートンはしかし、自分もエド・ウッドの同類だと述べているほど、このキャラクターに入れ込みました。確かに、怪奇映画を愛し、憧れの俳優ベラ・ルゴシを自作に出演させたエド・ウッドの趣味嗜好は、同じタイプの映画を好み、往年のホラー俳優ヴィンセント・プライスやクリストファー・リーをキャスティングしているバートンのそれと重なり合います。世間の評価こそ雲泥の差がありますが、作品の題材自体は、エド・ウッドとバートンの間にさほど大きな差異はないかもしれません。 バートンは、自分がエド・ウッドのように誰からも認められず、サイテー映画の監督として生涯を終えてもおかしくないと語っています。実際に、ディズニー・プロでは長く認められない時期がありました。しかし本作のポイントは、本当は才能があったのに認められなかった不世出のアーティストを描いているのではない所にあります。あくまでも、ひどい作品を傑作と信じて作り続けた映画監督として、事実に忠実に描いているのがこの映画なのです。 ただ、バートン自身はウッド作品について少し違う見方を持っているようです。彼の言葉を引用しましょう「問題は、彼の映画を観ると、まあひどいもんなんだけれど、それでもそれは特別なものだって事だ。単にひどいものだっていう事実を越えて、生き残り続けて認められているのには理由がある。彼の映画にはある一貫性、ある種の奇妙な芸術性があるんだ。つまり、他のどんな映画にも似てないんだよ。」 本作は、バートンが実在の人物を扱った初の映画で、同時に、人間以外のキャラクターが出て来ない初の映画でもあります(他には『スウィーニー・トッド』しかありません)。個性豊かな登場人物は全て実在した人達。エピソードも実話だそうです。彼らのその後はエンディングで紹介されますが、サラ・ジェシカ・パーカー演じるドロレス・フラーは、後に作詞家として売れっ子となり、エルヴィス・プレスリーやナット・キング・コールにも作品を提供しました。又、ウッドの妻キャシーは、本作撮影時も存命しており、たまたま夫の映画を撮影しているのに遭遇して現場訪問したそうです。 本作の特徴は、モノクロで撮影されている事。奇遇にもこの年には、スピルバーグの『シンドラーのリスト』というモノクロ大作が公開されていますが、たまたま重なっただけで、特にブームには至りませんでした。きっかけは、ベラ・ルゴシのメイクを作ったリック・ベイカーから「ベラの目は何色だった?」と訊かれたのに始まり、バートンは題材にふさわしい手法としてモノクロで撮ろうと考えます。彼にとって、題材が求めるならモノクロ撮影はごく自然な事であり、実際に『ヴィンセント』や『フランケンウィニー』をモノクロで撮っています。 特筆したいのはオープニング。傑作が多いバートン作品のオープニング・タイトルの中でも、出色の出来映えです。まず、ハワード・ショアの音楽が、図抜けて素晴らしいです。ゾクゾクするようなテーマ曲に乗って、キャメラは墓地の上を漂い、墓石に書かれたスタッフ、キャスト名を次々と映し出した後、沼に水没。ストップモーション・アニメのタコ足が画面を横切ったかと思うと、今度は宇宙に飛び出して円盤の艦隊が登場(『マーズ・アタック!』のオープニング・タイトルとそっくり!)、正にエド・ウッドとティム・バートン双方を象徴する要素が詰め込まれたタイトルだと言えるでしょう。 モノクロ映像で、成功とは無縁の主人公を描いてとなると、いかにも陰気で暗い映画みたいですが、実際の映画は前向きなパワーに溢れ、時にコミカルでさえあります。ウッドが自信作『プラン・9・フロム・アウタースペース』を完成させた所で終わる、何か希望を感じさせるようなラストの印象もあるのでしょうが、不思議と明るい気持ちで鑑賞できる映画です(その後のウッドの人生は最後に字幕で紹介されます)。バートンがいう、ウッドの「現実を否認するほど極端な楽天主義者」の側面が強く出ているせいでしょうか。私の周囲でも、バートン作品の中で特に好きという人が多い映画です。 |