ディズニー在籍時代に製作した、モノクロの短編。16ミリで撮影されたアニメの『ヴィンセント』と違って、れっきとした35ミリ・フィルム、27分の実写映画である。バートンは本作がなぜ製作されたのか、誰がどんな理由で製作にゴーサインを出したのか、さっぱり分からなかったと語っている。 実際、本作は『ピノキオ』のリバイバル上映で併映が予定されていたにも関わらず、PGのレーティングを受けた事でお蔵入りになってしまった。しかしバートン自身が語るように、本作の一体どこに暴力的な場面があるというのか、このレートは全く不可解である。 内容は非常に完成度が高く、後年のバートン作品だと言われても分からないかもしれない。映像は美しく、コントラストの強さは『エド・ウッド』に通ずるものだが、スパーキーが轢死する場面や、ヴィクターが授業中にスパーキー蘇生のアイデアを得る場面など、構図や演出のスタイルにどこかスピルバーグの演出技法を想起させる所がある。俳優陣も基本的にリアリズムの芝居をしていて、デフォルメされたキャラクターが多い初期バートン作品の中では、特に落ち着いた自然な映画に見えるかもしれない。 本作には後のバートン作品に通じるモティーフが溢れ返っている。何よりもまず、主人公一家の名字にもなっているフランケンシュタインは、『シザーハンズ』の原点。言ってみれば本作は犬版の『フランケンシュタイン』であり、『エド・ウッド』のスタイルで撮られた『シザーハンズ』だとも言える。 人工的に命を与えられたキャラクターが、郊外の保守的なコミュニティで疎外され、誤解を呼んで追いつめられてゆく点は正に『シザーハンズ』。冒頭の場面でヴィクターが上映する稚拙な8ミリ怪獣映画は、そのまま『エド・ウッド』に通じる。 継ぎはぎだらけのスパーキーは、キャットウーマンや『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』のサリーにも繋がるイメージ。スパーキーが行き着く先はミニゴルフ場のミニ風車だが、この風車炎上シーンというのも『フランケンシュタイン』のクライマックスや、ディズニーの『風車小屋のシンフォニー』にも出てくる設定で、バートン作品としては『スリーピー・ホロウ』にも繋がるモティーフ。ライターを持った住民が転んで風車に火が付くという強引な展開は、風車を炎上させるための苦肉の策だろう。 『シザーハンズ』のラストは悲劇的であまりに切なかったが、本作は住民達の改心によって、ロマンティックで気の利いたエンディングを迎える。本作はソフト化され、『ヴィンセント』と一緒に『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』等の特典映像に入っている。またバートンは後に本作をストップ・モーション・アニメでリメイクしているが、そちらもモノクロである。古典『フランケンシュタイン』のイメージに、よほどこだわりがあるのだろう。 |