バートンは製作者に回ったストップモーション・アニメ作品ですが、原題に“ティム・バートンの”という冠が付いている通り、原案もキャラクター・デザインもバートンによるもので、ほぼバートン作品と呼んで差し支えないほど深く関わっている映画です。監督は、カル・アーツ、ディズニー時代を通じてバートンの同僚だったヘンリー・セリック。 ひとコマずつ人形を動かして撮影してゆくストップモーション・アニメは、大変に手間の掛かるもので、本作はチェコやロシアの伝統的なそれと違い、キャメラワークもハリウッド的に凝っているので、技術的にもより高度なものだと思われます。いわばバートンは、その大変な作業を他人に任せる事で自分の撮りたい映画を作り上げたようなものです(しかし彼は後年、同じ手法の『コープスブライド』を自ら監督しています)。 バートンが言うには、「独立したアーティストであるヘンリーが、僕の望んでいる事をやらないんじゃないかという懸念もあったが、そうはならなかった。彼は素晴らしかった」。この恩返しか、バートンは次に『ジャイアント・ピーチ』という映画を製作し、自分は裏方に徹してセリックに自由に監督させました。 しかしこのお話、バートン作品でお馴染みのシナリオ・ライターが大勢参加している割に、いまいち掴み所がなく、よく分からない脚本という印象。ハロウィン・タウンは、いわば価値観が逆転していて、恐ろしい事、ぞっとする事が歓迎される街なのですが、これが、ジャックやサリーが時折示すまっとうな正義感と矛盾するのです。これは、クリスマス・タウンのごく常識的な価値観が入ってくる事で、さらに混乱します。つまり観客の立場として、どういうルールの元にこの物語を理解すればいいのか、その立脚点が曖昧で矛盾が多い。それで、何が解決したのか分からないまま、ジャックがサリーに示す気持ちを着地点として、映画は終了してしまいます。他のバートン作品と比べても特に印象の希薄なドラマだと思います。 ストーリーやプロットとはほぼ無関係にひたすら素晴らしいのが、アート・デザインと人形達の動き、そして音楽です。キャラクターのデザインは皆、グロテスクにデフォルメされていますが、それがどこかキュートにも感じられるのはバートン作品共通のセンス。しかも、繊細な動き、特に表情のニュアンスが信じられないほど豊かで、クリスマス・タウンの柔らかな色彩感覚やチャーミングな美術、雑貨、キャラクター達も、実に美しいものです。 つぎはぎだらけのサリーは、バートン作品によく登場するフランケンシュタイン的なイメージとして、『フランケンウィニー』のスパーキーや『シザーハンズ』のエドワード、『バットマン・リターンズ』のキャットウーマンとの類似性をよく指摘されますが、バートンによればそうではなく、これにはバラバラになったものを繋ぎ止めるという心理的、象徴的な意味があるそうです。また、ゼロという小さな幽霊犬が登場するのもバートンらしい設定(『コープスブライド』にもやはり骨格だけの小犬が出て来ます)。 |