ロアルド・ダール原作で、過去に映画化されたミュージカルをバートンがリメイク。ロアルド・ダールの原作物は、バートンとしては製作者として関わったストップモーション・アニメ『ジャイアント・ピーチ』以来二作目となります。とにかくユニークな映画で、視覚的にも感情的にもちょっと独特というか、ナンセンス・コメディ風の乾いたユーモアやパロディなど、過去のバートン作品と少し感触が違うのも面白い所です。 全体としてはコミカルなタッチですが、痛烈な風刺精神に満ちた工場見学の場面と、その前後のハートウォーミングな場面は、まるで別の映画のように雰囲気が違います。これは恐らく、原作にはないウォンカの過去と、父親との再会シーンが加えられているせいかもしれません。いかにもほのぼのとしたチャーリーの家庭の描写は、今までのバートン作品には無かったくらい暖かくて優しいもの。ところが、ジョニー・デップ演じるウォンカが登場した途端、映画は全くあさっての方向へ進み始めます。 工場の中は、それまでの淡い色彩と対照的に、目の覚めるようにカラフルでポップな世界となっていますが、私が強く感じるのは、メルヘンチックな見た目とは裏腹の、強い怪奇色です。謎めいた屋敷に招待された人々が、悪意を隠し持つ主人の手で次々に消されてゆくという図式は、正にホラー映画の典型的な枠組みだと言えるでしょう。 工場に招待された子供と親達が横一列に並んで歩いてゆく時、陽の当たる場所から暗い影の部分へと足を踏み入れた彼らの姿は、逆光撮影によって黒く塗り潰されて見えます。通常、映画のライティングにおいて、このような場面で人物に光を当てず暗く撮る事はないだろうから、これは明らかに意図的な効果だと言えます。その後、人形達のショーが始まる訳ですが、機械仕掛けは途中で発火し、人形達は動きながら見るも無惨な姿へと変貌します。ファンタジーの雰囲気が一気に崩れる、ゾッとするような場面です。バートンの頭の中では、人形というと“蝋人形の館”と結びつくのかもしれません。 唖然とする一同の側には、いつ現れたのかウォンカが立っていて、この結果を大はしゃぎで自画自賛します。その異様な風貌、死人のような、蝋人形のような顔色にも、見ていて思わずたじろいでしまう不気味さがあります。工場の内部は、子供も大人もエキサイトさせるような楽しい仕掛けが満載ですが、ウォンカの確信犯的な悪意によって一人ずつお仕置きされてゆく子供達の描写は、あと一歩過激になればもう完全にホラーだと言っていいでしょう。 本作が、恐怖映画の一歩手前で踏みとどまっているのは、ひとえにウンパ・ルンパの歌と踊りが映画をコメディ側に持ってゆくからです。原作でも子供達が脱落する度に詩が挿入されていて、本作のミュージカル・ナンバーもこの詩を歌詞としてアレンジしたものですが、このくだりが又、テレビのお笑い番組のようなコメディ・センスで演出されていて、これも他の部分とタッチが全然違います。 この、ディープ・ロイが全てのウンパ・ルンパを演じた、どこまでもギャグとしか思えないミュージカル・シークエンスは、一曲ずつ違うスタイルで作曲されていて、バスビー・バークレイの水泳ミュージカルから2001年宇宙の旅、サイコなど、バートン作品には珍しいパロディまで盛り込んで、賑やかに展開します。セットや衣装のデザインにはSF的なセンスも感じられるかと思うと、編集のスタイルはMTV風だったりする。実に不思議な映画です。 ウォンカが生意気な子供達とその親達に向ける激しい悪意が一体どこから来るのか、まるで説明はされていませんが、チョコレートに執着するようになったきっかけは、時折挿入される幼少時代のエピソードで描かれています。これが伏線となって、バートン版オリジナルのウォンカと父親の再会シーンへ繋がる仕組みになっています。よく考えられてはいますが、映画全体の流れはいかにもちくはぐです。しかし、ここには『ビッグ・フィッシュ』で一応の決着がついた、バートン自身の父子関係に対する見方の変化が現れていて、興味深いですね。 要するに、人間に対する深い愛情と激しい憎悪が両方同じくらい入っていて、その意味ではやはり複雑に屈折している映画なのですが、そのどちらか一方に偏った映画こそが嘘っぱちなのだとすると、バートンの支離滅裂さは、実は人間としてすこぶる正直で、理に叶っているとも言える訳です。それに、単なるショーとして割り切れば、こんなに愉快な映画もそうそうありません。何やかんや言って、私もこの映画が大好きだったりしますから。 |