かつての人気テレビ・シリーズを映画化。シリアス調のオリジナル版にはなかったユーモアを追加したとバートンは述べていますが、時代のギャップを描いたコメディかと思いきや、蓋を開けてみれば重厚なゴシック・ホラーの雰囲気。勿論、現代に甦った吸血鬼が文化の相違に驚くというユーモアの要素はあるのですが、あくまで副次的というか、味付け程度に留められており、主軸は魔女に呪いを掛けられた男の悲恋を描く復讐譚です。 特に冒頭部分、主人公が吸血鬼となった経緯を描くエピソードは、正にバートン好みのクラシカルな怪奇映画のタッチで語られていて、その風格に圧倒されます。又、それと同じ場所、同じ状況の場面をクライマックスに持ってくる辺り、非常に古典的な物語構造を踏襲した印象。 私はテレビ版を全く知らないので、ストーリーの細部がどの程度オリジナルに忠実なのかはよく分かりませんが、道徳観念の基本ルールが混乱している所はいかにもバートン作品です。人間の犠牲を必要とする主人公がその人間の社会で生きていくには、通常は何らかのモラルかルールを前提にしなければ物語に不都合が出て来る訳ですが、本作ではバーナバスが人間を襲う行為が、ホラー描写なりユーモアなりで半ば強引に曖昧化されていて、私などはそこに違和感を覚えます。 平たく言えば、バートンの態度は「ホラーだからいいじゃん、ギャグだからいいじゃん」という感覚的なもので、論理的整合性を一切無視しているように見えるという事です。そういう、倫理観が破綻している所がバートン作品の魅力でもありますから、それがうまく行けば面白い映画になるのですが、脚本に僅かでも筋の通ったモラルへの意識があると、逆に全体のコンセプトがおかしくなってしまうというのは、諸刃の剣という他ありません。 ホフマン博士に対する態度も、展開としては唐突で理解し難い面があります(バートンは『スウィーニー・トッド』でも、ジョニー・デップがヘレナ・ボナム=カーターに不条理な殺意を示す場面を設けていますが、深層心理的に何かあるのでしょうか)。そもそもこの役柄自体が強い存在感に乏しいですが、その一方で、ベラ・ヒースコート演じるジョゼット/ヴィクトリアや、エヴァ・グリーンが演じる魔女に鮮烈なイメージを与えているのは気になる所。 いずれにしても、物語がさほど強い求心力を持たず、どことなく全体に生気を欠く点は否めません。『スリーピー・ホロウ』や『猿の惑星』など、バートン作品に時々ある不完全燃焼の感じ、煮え切らない感じというのでしょうか。バートンは本作を「家族の物語」だと言いますが、どうも私には、そういう要素さえ希薄に思えます。クライマックスで長女キャロリンが正体を明かす場面も、それがストーリーの展開に影響を与える事がなく、単なる余興に終わってしまっているのは残念。 これは、ホフマン博士やのエリザベスの弟ロジャーの描き方にも当てはまります。物語の枝葉として独立していて、切り落としても影響がない。映画全体に、有機的に絡んでこない。こういう所は、ロジックを無視した妙な勢いのある映画なら気にならない筈なのです。ティム・バートンという人は、『マーズ・アタック!』や『チャーリーとチョコレート工場』など、因習打破的で異常なハイテンションを維持した映画の方が、突き抜けた面白さが出るように思います。 |