ファンタスティックな作風を抑制し、実在の人物と、実際にあったゴースト・ライター事件を描いたユニークな作品。同じく非ファンタジー系の実話物だった『エド・ウッド』の脚本家コンビと再び組んでいますが、エピソードの羅列で構成されていた『エド・ウッド』に対し、本作は時間軸に沿った直線的なストーリーが展開するので、物語の体裁はかなり違っています。 特殊メイクや美術デザインで構築した世界観に頼らず、俳優の演技表現をメインに据えているのは、近年のバートン作品に珍しい傾向。比較的人間ドラマ寄りだった『ビッグ・フィッシュ』と較べても、遥かに自然な画作りが目立ちます。色彩的には、カリフォルニアやハワイの明るい陽光とカラフルな色使いが印象的ですが、フランスの名手ブリュノ・デルボネルによる撮影ゆえか、どぎつい発色ではなく、優しく、柔らかなタッチが美しいです。 又、ダニー・エルフマンの音楽も、過去のバートン作品と随分違ったテイストを施していて、淡い色彩とモダンで洗練された音使いがおしゃれ。律動的で活力を感じさせるこの音楽に乗って、マーガレットが娘を連れて家出し、ウォルターと出会って新生活をはじめるまでが、実に軽快に、テンポよく活写されます。夫の偽装と横暴ぶりが暴走し、マーガレットの精神的均衡が崩れてくる後半部も、決して重苦しいタッチには傾かず、軽妙な語り口を維持しながらエンディングまで一気に見せてしまうので、作品全体の様式感も失われません。106分という短めの尺も、タイトに引き締まった印象を与えます。 ウォルターの欺瞞や脅迫を強調しすぎず、彼の商才の確かさや、販売手法の斬新さもきっちり描いている所は好感度大。実際のマーガレットも、「彼がいなければ私の絵が陽の目を見る事はなかった」と語っている通り、社交性やアイデアマンとしての資質を生かし、ハッタリを効かせた売り込みの手口は、どこかエド・ウッドのそれともイメージが重なります。 画家としての才能がない男の悲しさ、という観点からみると、一連のウォルターの描写には、そこはかとないおかしみとペーソスが漂わないでもありません。それで、この二人それぞれの立場は、当時の社会における夫婦の関係性の、デフォルメされた縮図でもある訳です。マーガレットの反逆と自立は、これもその後のウーマン・リブ運動の情勢と重なり合っており、その意味で本作は、ジェンダーをめぐるアメリカ社会の歴史を、実在した一組の夫婦に例を取って描いた作品と見る事もできます。 画面に登場する数多くのビッグ・アイズの絵は、ほとんどが映画のために複製されたものだそうですが、文字通り目が大きく強調された画風は、バートン自身のタッチにも重なります。この目がマーガレットの虚無感や孤独を表している点も、或いはバートンと共通しているのかもしれません。彼はこの映画の企画に携わる以前から、彼女の絵を収集している一ファンでもあり、リサ・マリーと付き合っていた頃には自分たちの絵を依頼した事もあるそうです。 マーガレットが強迫観念にとらわれる場面など、バートンらしいセンスも発揮されなくはないですが、シックで大人っぽいシーンが多いせいか、俳優の芝居と物語に集中し、人間ドラマとして落ち着いてみられる作品と言えるでしょう。『エド・ウッド』のような、B級映画的雰囲気からも少し距離を置いています。ちなみに、脚本家二人組が語るところによると、裁判の場面は誇張ではなく、ウォルターは本当に一人二役で被告人と弁護士を演じたそうで、むしろあれでも抑え気味の描写だとの事。 |