ビッグ・アイズ

Big Eyes

2014年、アメリカ (106分)

         

 監督:ティム・バートン

 製作総指揮:ボブ・ウェインスタイン、ハーヴェイ・ワインスタイン

       ジェイミー・パトリコフ、デレク・フレイ

       カッターリ・フラウエンフェルダー

 製作:スコット・アレクサンダー、ラリー・カラゼウスキー

    ティム・バートン、リネット・ハウエル

 脚本:スコット・アレクサンダー、ラリー・カラゼウスキー

 撮影監督 : ブリュノ・デルボネル, A.F.C.,A.S.C.

 プロダクション・デザイナー:リック・ヘインリックス

 衣装デザイナー:コリーン・アトウッド

 編集:JC・ボンド

 音楽:ダニー・エルフマン

 出演:エイミー・アダムス   クリストフ・ヴァルツ

    ダニー・ヒューストン  ジョン・ポリト

    クリステン・リッター  ジェイソン・シュワルツマン

    テレンス・スタンプ   マデリーン・アーサー

    デラニー・レイ     ジェームズ・サイトウ

* ストーリー 

 1958年。離婚を決意したマーガレットは、幼い娘ジェーンを連れて家を飛び出す。サンフランシスコのノースビーチで似顔絵描きを始めた彼女は、口が上手く社交的な画家ウォルター・キーンと出会い、結婚する。マーガレットの描く瞳の大きな子どもの絵は、次第に世間の注目を集めるようになるが、ちょっとしたきっかけでそれらを自作と紹介したウォルターは、その後も自分の絵と偽って売りまくる。マーガレットは傷つき、抗議するが、商才に長け、巧みに嘘をつくウォルターに言いくるめられてしまう。娘や友人にも真実を隠し、黙々と絵を描き続けるマーガ レットだったが、精神的抑圧に耐えきれず、ついに重大な決意をする。

* コメント   *ネタバレ注意!

 ファンタスティックな作風を抑制し、実在の人物と、実際にあったゴースト・ライター事件を描いたユニークな作品。同じく非ファンタジー系の実話物だった『エド・ウッド』の脚本家コンビと再び組んでいますが、エピソードの羅列で構成されていた『エド・ウッド』に対し、本作は時間軸に沿った直線的なストーリーが展開するので、物語の体裁はかなり違っています。

 特殊メイクや美術デザインで構築した世界観に頼らず、俳優の演技表現をメインに据えているのは、近年のバートン作品に珍しい傾向。比較的人間ドラマ寄りだった『ビッグ・フィッシュ』と較べても、遥かに自然な画作りが目立ちます。色彩的には、カリフォルニアやハワイの明るい陽光とカラフルな色使いが印象的ですが、フランスの名手ブリュノ・デルボネルによる撮影ゆえか、どぎつい発色ではなく、優しく、柔らかなタッチが美しいです。

 又、ダニー・エルフマンの音楽も、過去のバートン作品と随分違ったテイストを施していて、淡い色彩とモダンで洗練された音使いがおしゃれ。律動的で活力を感じさせるこの音楽に乗って、マーガレットが娘を連れて家出し、ウォルターと出会って新生活をはじめるまでが、実に軽快に、テンポよく活写されます。夫の偽装と横暴ぶりが暴走し、マーガレットの精神的均衡が崩れてくる後半部も、決して重苦しいタッチには傾かず、軽妙な語り口を維持しながらエンディングまで一気に見せてしまうので、作品全体の様式感も失われません。106分という短めの尺も、タイトに引き締まった印象を与えます。

 ウォルターの欺瞞や脅迫を強調しすぎず、彼の商才の確かさや、販売手法の斬新さもきっちり描いている所は好感度大。実際のマーガレットも、「彼がいなければ私の絵が陽の目を見る事はなかった」と語っている通り、社交性やアイデアマンとしての資質を生かし、ハッタリを効かせた売り込みの手口は、どこかエド・ウッドのそれともイメージが重なります。

 画家としての才能がない男の悲しさ、という観点からみると、一連のウォルターの描写には、そこはかとないおかしみとペーソスが漂わないでもありません。それで、この二人それぞれの立場は、当時の社会における夫婦の関係性の、デフォルメされた縮図でもある訳です。マーガレットの反逆と自立は、これもその後のウーマン・リブ運動の情勢と重なり合っており、その意味で本作は、ジェンダーをめぐるアメリカ社会の歴史を、実在した一組の夫婦に例を取って描いた作品と見る事もできます。

 画面に登場する数多くのビッグ・アイズの絵は、ほとんどが映画のために複製されたものだそうですが、文字通り目が大きく強調された画風は、バートン自身のタッチにも重なります。この目がマーガレットの虚無感や孤独を表している点も、或いはバートンと共通しているのかもしれません。彼はこの映画の企画に携わる以前から、彼女の絵を収集している一ファンでもあり、リサ・マリーと付き合っていた頃には自分たちの絵を依頼した事もあるそうです。

 マーガレットが強迫観念にとらわれる場面など、バートンらしいセンスも発揮されなくはないですが、シックで大人っぽいシーンが多いせいか、俳優の芝居と物語に集中し、人間ドラマとして落ち着いてみられる作品と言えるでしょう。『エド・ウッド』のような、B級映画的雰囲気からも少し距離を置いています。ちなみに、脚本家二人組が語るところによると、裁判の場面は誇張ではなく、ウォルターは本当に一人二役で被告人と弁護士を演じたそうで、むしろあれでも抑え気味の描写だとの事。

* スタッフ

 バートン作品の製作は、長らくハリウッドの重鎮リチャード・D・ザナックが務めてきて、まあるでバートンの擁護者のような雰囲気もありましたが、本作は別系統の重鎮、ボブ&ハーヴェイ・ワインスタインが製作を請け負っています。彼らは、ラッセ・ハルストレムやトム・ティクヴァ、ロバート・ロドリゲス、アレハンドロ・アナメーバルのような外国人監督の作品を一手に引き受ける一方、スコセッシやタランティーノらクセ者から『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズのような超大作まで、意欲的な映画を量産し続けている、実にユニークなプロデューサー。

製作総指揮には、カッターリ・フラウエンフェルダーやデレク・フレイという、バートン作品で製作補や助監督を務めてきた若手も参加。脚本は上記の通り、『エド・ウッド』のコンビによるオリジナルです。又、本作の編集は、ずっとバートン作品の編集を手掛けてきたクリス・リーベンゾンではなく、助手や追加編集で参加してきたJC・ボンドにバトン・タッチ。

 撮影監督は前作に続き、『アメリ』のブリュノ・デルボネルが担当しているのが嬉しい所。明るくポップなカラー・パレットを用いながら、どこか優しく、ソフトなタッチに仕上げているのは絶妙なセンスという他ありません。プロダクション・デザインも、ここ数作コラボが続く旧友のリック・ヘインリックスが担当。バートンとは気心が知れたコリーン・アトウッドによる衣装も、時代考証と人格表現を両立させた、すこぶる愉しいものです。エイミー・アダムス曰く、「彼女は衣服と色で物語を語るアーティスト」。

 ダニー・エルフマンの音楽は、いつもと雰囲気が異なり、ミニマル・ミュージック的でリズミカルなスコアが印象的。色彩的にも淡く、明朗で、どこかモダンな感覚は50年代というより、今の時代に合った和音という感じがします。マリンバのような打楽器のリズムが重なって躍動的なテンポを作り出してゆく所は、彼のバンド、オインゴ・ボインゴの曲にも共通するセンスといえます。マーガレットがスーパーで妄想を見る場面とエンド・クレジットに掛かる美しい曲は、ラナ・デル・レイというシンガー・ソングライターによる書き下ろし。

* キャスト

 役者の芝居が大きく物を言う作品だけに、主演二人にアカデミー賞をはじめ各賞で世間を賑わす演技派を獲得できたのは幸運でした。『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』で注目されて以降、どのような役柄でも見事に演じ分ける才能で高く評価されてきたエイミー・アダムスと、オーストリア出身で、『イングロリアス・バスターズ』でのハリウッド進出以降、アクの強い個性で異彩を放ち続けるクリストフ・ヴァルツ。

 一見ちぐはぐなこのキャスティングですが、映画を観ればこのマッチングの妙には唸らされます。勿論、演技力には定評のある二人ですから、片や寡黙に表情の芝居、片や饒舌な言葉の芝居と、対照的な手法でキャラクターの内面を掘り下げている点は請け合いです。しかしそれ以上に、実在の人物でもあるこの夫婦に、ごく自然にスクリーンの中で命を吹き込んでいる所は、彼らの実力の証しといえるでしょう。

 他にも、記者ディック・ノーランを名バイプレイヤーのダニー・ヒューストン、画商ルーベンをウェス・アンダーソン作品でお馴染みジェイソン・シュワルツマン、アート界の重鎮キャナディを『コレクター』『世にも怪奇な物語』の個性派テレンス・スタンプが演じるなど、バートンらしいユニークなキャスティングが光ります。マーガレットの娘を演じる二人の少女も、いかにもバートン・ライクな演技とルックスが印象的で、ビッグ・アイズのモデルとしても説得力あり。

 ちなみに、テレビ・シリーズで人気のクリステン・リッターが演じる主人公の友人ディーアンは、ほとんどが実在する本作の登場人物の中で、数少ない創作のキャラクターとのこと。スクリーン上では主人公と堂々と渡り合っているように見えるリッターですが、彼女もエイミー・アダムスの演技力には太鼓判を押しています。「彼女の演技に見とれてセリフを忘れてしまった。シーンごとに表情を変える演技は、まるでジャズの即興演奏みたい」。

 

Home  Back