41年に公開されたディズニーの名作アニメを、過去のバートン作品のキャスト総出で実写映画化。アウトサイダーが社会に受け入れられるまでを描く童話風のストーリーは、バートンの他の作品とも共通するテーマです。そもそもサーカス自体がアウトサイダーの集まりである訳ですが、団員たちがそれぞれの能力を生かしてチームプレイで困難を突破する展開も、前作『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』と同じ型。 監督をはじめ皆が脚本を絶賛していますが、前半部を中心に類型的なダイアローグと人物造形が目立つのは、がっかりさせられます。それは『ミス・ペレグリン』でも感じた事で、どうもバートンは脚本、特にセリフ回しに関してあまり繊細なこだわりがない監督という印象です。 しかし、後半は破格にスケール・アップし、スリルとサスペンスを加えたファンタジー・アクションとなって生気を取り戻すのも『ミス・ペレグリン』と同様。彼が敬愛するフェリーニの映画や、往年の水泳ミュージカルを思わせるシーン構成もあります。オリジナルはダンボがサーカスで人気者になるまでを描いているのに対し、本作は後半部、新たに描かれたその後の物語が肝のように思えます。 要するに、バートンという人は映像的な性質に、圧倒的に大きな比重がある人なのかもしれません。しかし寓意としても、リアルな肌感覚としても、世界に満ちあふれる悪意や自己中心的思想とのひりひりするような抵触は、昔からバートン作品に散りばめられていたもの。それが観客に与える嫌悪感もひっくるめてこそ、彼が描こうとしているドラマなのでしょう。 つまり良くも悪くも、彼が作るタイプの映画では、観客はいったん不愉快な目に遭う必要があるという事です。私はそういう不快感を極度に面倒くさく感じる方なので、バートン作品に限らず、映画を観ること自体がしんどくなる時期もありますが、ハッピーエンドのカタルシスを用意するためには必要な手順なのでしょう(個人的には、無理に悪意なんて描かなくたって優れた映画は作れると思いますが)。 メイキング映像によれば、オリジナルにオマージュを捧げたシーンもあちこちにあり、ピンクのゾウの行進を巨大なシャボン玉で表現するなど、バートンらしいイマジネーションの飛翔も素晴らしいです。また、子守唄“ベイビー・マイン”など、アニメ版のカバー曲も幾つか使用されています。 CG合成ながら、アニメチックにデフォルメしすぎないダンボの造形と動作も良いセンス(大人のゾウは動物然としています)。フライングのシーンも優美に描きすぎず、体重を感じさせる飛び方に妙なリアリティがあります。CG変換前のダンボを、人に演じさせるアナログ感もバートンらしい所。 前半の古風なサーカスと後半の近未来的テーマパークが極端に対比されているのは、『チャーリーとチョコレート工場』と同じ趣向。後者が東京ディズニーリゾートのように2つの施設に分かれていて、陰と陽のコンセプトで対照されているのも面白いアイデアです。ただ、このドリームランドがディズニーランドのパロディだとすると、ティム・バートンとしてはこの映画の制作元で、自身も過去に在籍した会社と創業者への痛烈な批判になってしまいますね。 擬人化した動物たちの世界にはせず、あくまでサーカスの人々を中心に描いているのも本作の特徴。アニメ版ではほぼ敵側だった人間たちも、本作ではダンボを救出し、またダンボに救われる存在として描かれています。脇役に、過去のバートン作品で活躍した豪華俳優陣を配しているのも一興。 |