バートン製作総指揮で、『アダムス・ファミリー』の長女ウェンズデーを主役にした、Netflixのスピンオフ・ドラマ・シリーズ。Netflixの最多視聴シリーズの記録を塗り替えた上、エミー賞(コメディ部門)作品賞、主演女優賞を含む12部門にノミネートされた。1時間枠で全8話中、バートン自身が最初の4話を監督。MGMやワーナー・ブラザースが製作に加わっているせいか、ボックス・セットでソフト化されたのは有り難い。 衣装のコリーン・アトウッド、音楽のダニー・エルフマンをはじめ、バートン組のスタッフも参加している他、過去に『スリーピー・ホロウ』でバートンと組み、バリー・ソネンフェルド監督の映画版『アダムス・ファミリー』シリーズでウェンズデーを演じたクリスティーナ・リッチが、学園で唯一の人間教師を演じている。 世界観がファンタジーに依拠していて、モラルの価値観も逆転しているような物語は、作る方も観る方も意識を物語の設定にアジャストさせるのが難しいものである。バートンは正にその隙を衝いて成功したような人だと言えるが、それでも『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』や『ダーク・シャドウ』のように、逆転なのか正転なのか、どっちのモラルに寄せて観ればいいのか最後までよく分からない映画は、やっぱり存在する。 映画版『アダムス・ファミリー』もその点がうまく行っておらず、ヒットはしたようだが、実際には中間色のよく分からない内容である。そう考えると、本作の圧倒的なヴァイタリティと世界観の豊穣さは奇跡的とさえ言える。私が思うに、成功の鍵は脚本のウィットとアイロニー、そしてミステリーの構造にあるように思う。 要は、随所に散りばめられた機智に富むセリフの数々と、謎解きの面白さがメインの見所で、舞台がモンスターたちの学園であるという設定には、あまり重要性が与えられていないという事である。本作の場合、狼男やセイレンなどのモンスター属性は、あくまでバートン作品でお馴染みのアウトサイダー、のけ者のメタファーにすぎない。 主人公は思春期の鬱屈と怒り、過剰な自意識と潔癖性的な反抗心を全て詰め込んだようなキャラクターで、その意味ではバートン作品のキャラクターにうってつけである。ちなみに全エピソードのタイトルに“Woe”という単語が使われているのも象徴的だが、日本語版ソフトの翻訳者は「悲哀」「哀愁」「苦悩」「憂鬱」と全て違った日本語を当てていて見事。 脚本が素晴らしいと他の部門も俄然生き生きしてくるのは映像作品の常で、本作も撮影、美術、編集、音楽のみならず、まずバートンの演出自体が、ここ数年のどこか虚ろな感じを吹き飛ばすほどにエネルギッシュで生彩に富んでいる。 バートンにいつまでもゴシック調やアニメチックなデフォルメ、アウトサイダー気質を求めるのも間違いなのだろうが、本作の、水を得た魚のような圧倒的イマジネーションの飛翔には有無を言わせぬものがある。本人にとっても恐らく、この問題は諸刃の剣なのだろう。もしくはシナリオさえ優れていれば、その他の問題は正当化されうるという事かもしれない。それくらい本作の語り口は、集中力が高く濃密である。 ちなみに第5話以降の監督は、TV『ヤング・スーパーマン』シリーズのジェームズ・マーシャルと、新進のガンジャ・モンテイロ。 |