スピルバーグは学生時代からユニヴァーサルのスタジオに勝手に潜り込んでいて、その時に色々な人物と顔見知りになっています。『ジョーズ』の脚本を書いて出演もしたコメディ俳優のカール・ゴットリーブとはこの時に親しくなっているし、後に撮影監督として多くの映画でコンビを組むアレン・ダビオー(本作の撮影も担当)ともここで出会っています。1967年、彼は顔見知りが多いのをいい事に、そのままスタジオで働いているふりをしはじめますが、すぐに、8ミリや16ミリの自主映画ではダメで、35ミリの映画を作らないと誰も興味を持ってくれない事を知ります。 そんな時、特殊効果の会社を運営していたデニス・ホフマンという男が、スピルバーグの8ミリ、16ミリ映画を観て、1万5千ドルの製作費で35ミリの映画を作らないかという話を持ってきました。たった5ページのシナリオに基づいて10日間で撮影した本作について、スピルバーグは「しゃれていて、とてもプロっぽく見える映画を作った。気迫も内容も大してなかったけどね」と語っています。 タイトルは「のんびり行こう」というような意味で、劇中にセリフはなく、少年とガールフレンドがモハヴェ砂漠からカリフォルニアまでヒッチハイクする話。私は勿論観た事がありませんが、美しい風景と粋な車、爽やかなカップル、短いラヴ・シーンと葉巻を回し飲みする場面によって、垢抜けたモダンな仕上がりになっているそうです。音楽はマイケル・ロイドという作曲家が感動的なBGMを付け、製作者のホフマンがマネージメントをしていたオクトーバー・カントリーというバンドのために、オリジナルの歌を書き下ろしたとの事。 本作はアトランタ国際映画祭でシルバー・フェニックス賞(最優秀賞)を獲得し、ヴェネツィア国際映画祭でも別の賞に輝きましたが、スピルバーグ本人は「鼻まで映画につかった子供の、大衆受け狙いの副産物」と、かなり辛辣に評価しています。しかしこの映画はユニヴァーサルの重役、シド・シャインバーグの目に止まり、スピルバーグは大学を中退してユニヴァーサルと7年契約を結びました。又、後年にはパラマウントが本作をその年最大のヒット作『ある愛の詩』と二本立てで公開したため、結果的にこの映画は数百万人が観た事になるそうです。 |