A.I.

A.I. Artificial Intelligence

2001年、アメリカ (143分)

 監督:スティーヴン・スピルバーグ

 製作総指揮:ジャン・ハーラン、ウォルター・F・パークス

 製作:キャスリン・ケネディ、スティーヴン・スピルバーグ

    ボニー・カーティス

 脚本:スティーヴン・スピルバーグ

 (原作:ブライアン・オールディス、脚本原案:イアン・ワトソン)

 撮影監督 : ヤヌス・カミンスキー , A.S.C.

 プロダクション・デザイナー:リック・カーター

 衣装デザイナー:ボブ・リングウッド

 編集:マイケル・カーン

 音楽:ジョン・ウィリアムズ

 コンセプチュアル・アーティスト:クリス・ベイカー

 ユニット・プロダクション・マネージャー:パトリシア・チャーチル

 第1助監督:セルジオ・ミミカ=ゲザン

 スピルバーグ助手:クリスティ・マコスコ

 ポスト・プロダクション総指揮:マーティン・コーエン

 音響デザイン:ゲイリー・ライドストロム

 特殊効果スーパーヴァイザー:マイケル・ランティエリ

 視覚効果スーパーヴァイザー:デニス・ミューレン

 ロボット・デザイン、アニマトロニクス:スタン・ウィンストン

 出演:ハーレイ・ジョエル・オスメント  ジュード・ロウ

    フランシス・オコナー  ブレンダン・グリーソン

    ウィリアム・ハート  サム・ロバーズ

    ジェイク・トーマス  キャスリン・モリス

 声の出演:ジャック・エンジェル  ロビン・ウィリアムス

      メリル・ストリープ  ベン・キングズレー

* ストーリー 

 人間をサポートするロボットに溢れた近未来。ある時、不治の病で昏睡状態となった少年の代わりとして、夫婦に子供のロボットが与えられる。これは、人間の心と同様、母親への愛情をロボットにプログラムする、初の実験的試みだったが・・・。

* コメント  *ネタバレ注意!

 スタンリー・キューブリックが企画、準備していた作品を、彼からバトンを渡されたスピルバーグが、キューブリック亡き後に完成させた話題作。私はスピルバーグ映画の中でも屈指の傑作だと思うのですが、公開当初、好意的な評に全くと言っていいほど出くわさなかったのが悔しい思い出になっている映画でもあります。一人の役者によるパントマイムが静寂の中で延々と続く後半部などは、キューブリック作品を彷彿させるスタイルで、スピルバーグ自身も、できるだけキューブリックの精神を生かすよう腐心したと語っています。

 タイトルがアルファベット2文字の略語(それも難解な学術用語)である点、撮影もプロモーションも徹底した秘密主義が取られた点、SFである点、主人公が少年である点と、多くの部分で『E.T.』との共通点を持つ本作。正にそれが両刃の剣となって、世間から受け入れられにくくしてしまった感も否めません。恐らく本作は、『E.T.』のような分かりやすい感動物語を求めた人にとっては複雑すぎ、キューブリック映画の硬質な緊密さを求めた人にとっては、華美で感傷的に過ぎたのでしょう。

 本作の筋書きを『母をたずねて三千里』に例えて言う評者もいたし、デイヴィッドがモニカから捨てられる場面(本作のテーマを考えれば、絶対に必要なシーンです)を、まるでセンチメンタルの極致のように言う人も多くいました。しかし今の目で観ても、ハリウッドで量産されるエンタメ家族ムービーの類いと較べて、特に本作が感傷的とは思われないですし、これを取り上げてお涙頂戴映画のように言うのは、誠に表層的、短絡的な括り方と言わざるを得ません。

 監督の言葉をそのまま引用すれば、「機械が人間を愛せたとして、人間はそれに応えられるか」というのが本作のテーマ。「それを突き詰めて初めて人間は、人に似たものが作れるだろう」とスピルバーグはいいますが、この主題は早くも社のパートで、女性社員の口を借りて語られます。ホビー教授やジゴロ・ジョーなど、周辺人物がキャラクター造形として未消化の印象のまま、やや唐突にストーリーから消えてしまうのは独特の作劇で、この辺りはキューブリック自身の作品をはじめ、70年代頃までの映画の雰囲気を彷彿させます(逆に考えると、80年代以降の映画はなんとまとまりが良く、説明的になってしまった事でしょう)。

 スピルバーグが未来SFを撮るのは意外にもこれが初めてですが、イメージの表出はみずみずしく、斬新さにも事欠きません。技術的にはワン・カット、ワン・カットが驚くほど緻密に構成された、ことさらに丁寧な画面作りで、敢えて荒っぽく、即興的に撮影された前作『プライベート・ライアン』と好対照を成す映画作り。洗練されたタッチで一貫した第1部と第3部はスタイリッシュに美しく、フレッシュ・フェアやルージュ・シティが登場する第2部はいかがわしく雑然とした映像や美術デザインを採択するなど、三部構成の対比を感じさせる点も、持ち前の音楽的センスの発露と言えます。

 それにしても最後のパートの、何という詩的な美しさ。デイヴィッドの安全性が疑われるきっかけの一つとなった、母親の毛髪ひと握りが、正にその母親と再会するための唯一の手段となる、感動的な物語展開。それにデイヴィッドにとっての、この一日の愛おしさと言ったら! 音楽のジョン・ウィリアムズは「死を迎える事でデイヴィッドは人間になった」と解釈していますが、私にはもっと曖昧で、寓話的なエンディングに見えます。「今日は何日?」というモニカの問いに、「今日は、今日だ」と答えるデイヴィッド。彼にとってこの一日は、特定の今日ではなく、永遠に値する一日。ここに至って本作もまた、「一日一日を無駄にせず、大切に生きよう」という、いかにもスピルバーグ映画らしい、シンプルで力強い寓意を帯びた作品である事に気付くのです。

* スタッフ

 企画は、原作発表後の70年代からキューブリックがずっと暖めてきたもの。当初脚本を執筆していた原作者オールディスは何度も書き直しを求められ、原作とは別のラストにこだわる監督の意向も理解できず降板。一時はなんとアーサー・C・クラークが脚本に関わりますが、彼も第二稿まで却下された時点で降板します。そして79年、ロンドンのエルストリー・スタジオでそれぞれ『シャイニング』と『レイダース』を撮影していたキューブリックとスピルバーグが出会います。交友を重ねた80年代、キューブリックはスピルバーグにこの企画を話し、また何年にも渡って話し合う内、自分は裏方に回って、監督はスピルバーグに任せたいという意志を見せはじめます。

 結局、キューブリックは完成を待たずに亡くなりますが、『ジュラシック・パーク』を見て狂喜した彼は「(『A.I.』の製作は)延ばせば延ばすほどいい」と語ったそうで、実際に完成はその8年後となりました。キューブリックの死後、夫人のクリスティーンが改めてスピルバーグに製作を打診。「あなたが撮らないなら、この作品が陽の目を見る事はない」と言われた彼は、この映画を監督する事を決意します。

 スピルバーグが脚本家としてクレジットされるのは、『未知との遭遇』『ポルターガイスト』に続いてたった3作目ですが、彼自身は「いつも脚本に深く関わっているので、今回が特別という意識はない」と述べています。執筆の過程においても、付け加えた要素もあるとはいえ、キューブリックが伝えたかったものを純粋に保とうとしたといいます。曰く「『太陽の帝国』はデヴィッド・リーンが撮る筈の映画だったが、実際にはほとんど私自身が手を入れた。『A.I.』がその時と違うのは、キューブリックの意向が大きく入っている事。ほぼ完璧な絵コンテがあったし、彼自身が書いた90ページのシノプシスもあった」。

 プロデューサーのボニー・カーティスは、キューブリックとスピルバーグが本作専用のファックスを設置し、アシスタントすら介さずに内密に企画を進めていたと証言しています。同じく製作者のキャスリン・ケネディも、「彼以外の誰にも脚本は書けなかったと思うわ。なぜなら、『A.I.』のエッセンスを知っていた人間は彼一人だけだったから」と語り、いかにスピルバーグがこの映画の準備に深く関わっていたかを示しています。

 同じく準備段階から関わってきた人としては、キューブリック作品の製作者ジャン・ハーラン(キューブリック夫人の弟でもあります)もいますが、もう一人のキー・パーソンが、コンセプチュアル・アーティストとしてクレジットされているクリス・ベイカー。ファンゴーンという名前で活躍していた、英国の有名な漫画家/イラストレーターです。彼は、本作の視覚的デザインの数々をキューブリックと進めていて、彼が書いた何千枚もの絵コンテは、スピルバーグ組のプロダクション・デザイナー、リック・カーターによって見事に具現化されています。

 撮影のヤヌス・カミンスキーは、本作を日常的な第1部、アクション・アドヴェンチャーの第2部、独創的でエモーショナルな第3部という3つのパートに分け、映像のスタイルに変化を加えています。意外にも彼は、視覚面に関してスピルバーグとはあまり話さず、絵や写真を参考にしたりもしないそうです。とにかく脚本を読み込んでストーリーがあるべき姿を導き、それを撮ればいいとのこと。もっとも、光を拡散した、柔らかくぼんやりした輪郭が好きなのは二人に共通だそうで、スモークはできるだけ多用するそうです。

 キューブリック作品では、いつもクラシック音楽が印象的に引用されますが、本作ではルージュ・シティに入る場面で、リヒャルト・シュトラウスの歌劇《ばらの騎士》のワルツが使われています。これはキューブリックの遺志でありながら、その理由やどの場面で使うつもりだったかは誰にも言っていなかったので、結局はジョン・ウィリアムズの判断で隠喩的に使用されました。個人的には、キューブリックなら恐らく曲を加工せず、オリジナルのまま作品のあちこちに使ったのではないかと思うのですが、まあ言っても仕方がない事ですね。

 ウィリアムズの音楽は、いかにもキューブリック的な、不協和音が連続するような箇所(キューブリックは現代音楽を使っています)もある一方、ピアノが旋律を奏でる、優しく暖かな音楽にも素晴らしいインスピレーションを展開。SFらしい聴き慣れない音色や浮遊感も感じさせながら、胸に沁み入るような情感も湛える、希有な音楽だと思います。サントラには、名ソプラノ歌手バーバラ・ボニーが参加し、合唱をロスアンジェルス・マスター・コラールが担当するなど、クラシック界の人脈を活用して贅沢なキャスティングを実現。

 音響デザインのゲイリー・ライドストロムも再び参加していますが、特に視覚効果はスピルバーグ作品の常連が勢揃い。ILMの視覚効果スーパーヴァイザーであるデニス・ミューレン、スコット・ファーラーや、ロボットの数々をデザインしたスタン・ウィンストン、フレッシュ・フェアの処刑装置やムーン・ゴンドラ、ヘリコプター風の乗り物などを担当したマイケル・ランティエリと、並んだ名前を見ているだけでも壮観です。

* キャスト

 主演のハーレイ・ジョエル・オスメントは、当時まだ『シックス・センス』のブレイクが記憶に新しく、次にどんな映画を選ぶか注目されていた頃でした。瞬きをしないなどいかにも天才子役的な役作りのエピソードも世間を賑わせましたが、得意の演技力と聡明さ、個性的なルックスが役柄とうまくマッチして、ミステリアスな雰囲気をうまく醸していると思います。多くの人気子役の例にもれず、長じてから露出が減ってしまったのは残念。

 母親的存在のモニカを演じたフランシス・オコーナーは、いかにもスピルバーグが選びそうな、どこにでもいる家庭的で優しいママという感じ。しかしこの人、プロフィールを見ると主演作が賞を取ったりしていて、確かに、彼女の繊細な演技がなければ本作は成立しなかったかもしれません。逆に、脚本の上でも演技面でも、父親役にほとんど存在感がないのはスピルバーグ映画らしい所。演じるサム・ロバーズは舞台でも活躍する演技派で、アンブリン製作の『ファンダンゴ』、ドリームワークス製作の『アメリカン・ビューティー』と、スピルバーグとは間接的に縁のある人です。

 ジゴロ・ジョーにジュード・ロウ(見事に人工的なセクシー・ロボットぶりです)の他、脇役にはブレンダン・グリーソン、ウィリアム・ハートと名優が並びますが、毎回こういう、スピルバーグとは初仕事でその後の出演もない、という一回きりのキャスティングが多いのは不思議な所。彼が無名の俳優を好んで青田買いするせいもありますが、できるだけたくさんの名優を自分の映画に登場させたいという願望でもあるのでしょうか。フレッシュ・フェアの場面に少しだけ出ているキャスリン・モリスは、端役でしか起用できなかったのが残念だったため、次作『マイノリティ・レポート』でより重要な役に抜擢したとのこと。

 声の出演が豪華。アニメで登場するドクター・ノウに『フック』のロビン・ウィリアムズ、スペシャリストに『シンドラーのリスト』のベン・キングズレーと過去に起用した名優を再登場させている他、コメディアン・ロボットの声をクリス・ロック、ブルー・フェアリーの声を、まだスピルバーグ作品への出演がないメリル・ストリープに依頼しているのは贅沢なキャスティングです。テディの渋い低音ヴォイスを担当したジャック・エンジェルは、ロスアンジェルスで人気ナンバーワンのラジオ番組をはじめ、パーソナリティーやDJとして有名な人。ちなみに、フレッシュ・フェアの舞台で演奏しているバンドは、ゴス・ミュージックのパイオニアで、人気インダストリアル・メタル・バンドのミニストリー。

* アカデミー賞

◎ノミネート/作曲賞、視覚効果賞

 

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