トニー賞5部門受賞の舞台を観たスピルバーグが、「一幕目からラストまで感動の涙が止まらなかった」とすぐさま映画化した作品。彼の映画には、何年も企画を暖めてきたものと、こうやって衝動的に映画化されるものの、両方があるのが面白い所です。ストーリーの内容はいかにもスピルバーグ好み。かつての彼ならもっとセンチメンタルな描き方をしたかもしれませんが、本作は抑制された演出でシックに描写した印象です。シネスコ・サイズの映像も、作品に独特のクラシックなルックを与えています。 冒頭から、どこかスピルバーグらしくないタッチが感じられるのは、イギリス南西部ダートムアの田園風景に始まる空撮ショットと、笛やアコーディオンを使った民族音楽調のサントラが、典型的な文芸大作を想起させるからかもしれません。それに、ラストで回帰する同じダートムアの農場では、不自然なほど赤い夕焼けの色彩がハリウッド往年の西部劇を思わせ、やはり過去のスピルバーグ映画とは様相が異なるという印象に繋がります。一方、編み物をする手元のアップから、ミニチュアのごとき農地の空撮へ繋ぐイメージ連想編集は、前作『タンタンの冒険』で繰り返された手法です。 舞台が戦場に移ると、映画は俄然スピルバーグらしさを取り戻します。特に悲痛でショッキングなのは、英国軍の突撃シーンと、ドイツ人兄弟の処刑シーンですが、いずれも凝った映像と、ドラマティックな語り口が冴える、スピルバーグならではの演出です。前者は、乗り手を失った馬だけが森を疾走してゆく映像によって、兵士達が狙撃した事を伝える、卓越した描写力が圧倒的。 この場面の直前に、突撃してゆくニコルズ大尉が悲壮な表情を浮かべるクローズ・アップがあるのですが、この印象的な画を撮るに当たって、演じるトム・ヒドルストンは監督からこんな指示を受けたそうです。「キャメラが自分の近くに来るのを感じたら、20年前の少年に戻れ。機関銃を見た29歳の青年は、9歳の少年の顔に戻るんだ」。彼は「こんな最高の演出はないよ」と語っています。 ちなみに、この凄惨な場面には根拠があります。ハイラム・マキシムは世界中で機関銃を売り出し、ドイツとロシアがこれを買ったが、英国は買わなかった。まさかこんな恐ろしい武器が戦争で使われるとは、夢にも思わなかったのです。ただ、物語はあくまで馬の視点で描かれていて、特定の国や陣営を支持したり、正義を問うような箇所がないのが特色。スピルバーグも「どちら側が正義か、本作では関係ない。物語の要は、馬と人間とのつながりだ」と述べています。 後者のドイツ人兄弟の射殺場面は、かなり離れた距離から撮影され、高い位置から風車越しに出来事を見るという、非常に凝ったショットとなっています。風車の巨大な羽が黒い影となって降りて来て、射殺の瞬間画面をふさぎ、羽が通り過ぎると二人が地面に倒れているといった具合。撮影監督のヤヌス・カミンスキーは、「子供達も犠牲者で、戦争が双方にもたらす無意味さを意識させる構図、ライティングになっている」と語ります。 塹壕を疾走する馬のショットは、色彩といい、構図といい、キャメラの動線といい、一体どうやって撮影したのかという凄まじいもの。ダイナミックな動感と心理的高揚の相乗効果が見事ですが、これはその後の、英国陣営、ドイツ陣営、それぞれの代表者が協力して有刺鉄線に絡まった馬を助ける場面の、緊張感溢れる静謐さと、実に効果的な対照を成しています。馬の視点が正義の断罪をしないだけで、作品にメッセージ性が無い訳ではないのです。 前半の農場のパートで、「私への愛が消えても君を責めんよ」という夫に、妻が「憎しみは増えても愛は減らないわ」と答える場面がありますが、これは本作のテーマを象徴しています。憎しみが憎しみを生んで戦争が起ろうとも、同時に愛を減らさない事、増やす事はできるのです。又、馬の視点だけあって、人間達ばかりでなく、気位の高いトップソーンとの、馬同士の交流も感動的に描かれています。トップソーンの最期の場面は、涙なしでは観られません(撮影現場ではスタッフ、キャストも馬の演技に泣かされたそうです)。 |