スピルバーグ久々のど真ん中エンタメ。自身ゲーマーだったというだけあり、大きなバジェットで2時間半に迫る大作ですが、膨大な引用をディティールに配し、2つの世界を行ったり来たりしながら構成した展開はスピーディ。緊張感と凝集度の高さで、一気に見せてしまいます。こういう作品では映画ファンから叩かれがちなスピルバーグですが、80年代文化への愛ゆえか、意外に好意的な評が多いのも面白い現象です。 冒頭のVR社会の様相を伝えるシークエンスは、スピルバーグ作品には珍しく、短いカットで構成したコメディ・タッチの語り口。『BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』にもナンセンス・コメディのセンスが感じられた事を考えると、どうもスピルバーグは、マーク・ライランスをキャスティングする度に自らの新しい扉を開いている気がします。 原作にある80年代ポップ・カルチャーへの徹底した言及は、映画へも豊富に取り入れられています。スピルバーグ自身の作品も原作では頻繁に取り上げられているそうですが、自分で監督するのも他人が監督するのもそこが恥ずかしいという事で、彼は「自分で監督をして、自作への言及を削除する」という選択をしました。その穴埋めか、彼にとってはライバルでもあった数々の監督の映画や、音楽や文化の引用が、作品のあちこちに散りばめられています。 その意味では繰り返しの鑑賞を要求するトリビア的な作品で、そのディティールの豊穣さは、これらのカルチャーのファンが言うに「100回観ても全ては発見しきれない」ほどのもの。映画だけに限っても、ジョン・ヒューズやリドリー・スコットから、スタンリー・キューブリック、ジョージ・ミラー、ジョン・バダム、キャメロン・クロウ、弟分のロバート・ゼメキスまで、ぱっと思いつくだけでも多岐に渡る引用が劇中でなされています。 我が国のメディアはなぜか無視しましたが、注目されるのが日本のポップ・カルチャーへの言及。機動戦士ガンダムがメカゴジラと戦う場面を筆頭に、日本人なら「おおっ」と色めきたつ引用が随所に見られます。それもその筈、原作者達のインタビューを見ると、70〜80年代に幼少期を過ごしたアメリカ人の多くが、日本のアニメやヒーロー物のドラマを見て育っている事が分かります。森崎ウィンが演じるキャラクターの名前がトシロウで、アバターのダイトウに三船敏郎の顔をミックスしているのは黒澤明ファンのスピルバーグらしい演出。 主人公の思考パターンがいささか狭量で短絡的すぎる点や、悪役や脇のキャラがステレオタイプに過ぎるなど、欠点も無い訳ではありませんが、何よりも嬉しいのが、全編にみなぎる若々しい覇気とテンションの高さ。『リンカーン』や『ブリッジ・オブ・スパイ』のみならず、『タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密』や『BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』などの娯楽作品でもどこか元気がなく、暗い影を感じさせたゼロ年代以降のスピルバーグですが、『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』の健在ぶりと併せ、一気に盛り返した印象です。 メイキング映像では、最初こそ「一体どうやって作ればいいんだ?」と頭を抱えていたスピルバーグが、現場で嬉々として楽しそうに仕事をしている様子が見られます。製作のクリーガー曰く、「製作における課題の全てに監督が関わった」。出演者のサイモン・ペッグは、「スティーヴンの学ぶ姿勢は素晴らしい。(若いスタッフにも)理解したい、教えてくれって言うんだよ。難しい作品こそ作るべきなんだ。熱中する彼が見たい」と語っています。 こういう映画を年配の監督が撮ると、どこかジェネレーション・ギャップや体力の低下を感じさせる事も少なくありませんが、本作は監督自身が一番乗って作っているような雰囲気で、適性云々を言わせない愉悦感があります。本作のダークサイド版とも言える『マイノリティ・レポート』を既に作っている事や、ストーリーが80年代をリスペクトしている点も、彼にとっては追い風だったのかもしれません。モーション・キャプチャーの扱い方も『タンタンの冒険』『BFG』と経験を積み重ね、既にこなれてきた印象です。 物語自体は伝統的な謎解きのお話で、ヴァーチャル・リアリティの世界に置き換えてはありますが(というより多くのゲームが元々そうなのかもしれませんが)、実は冒険ファンタジーの枠組みが使われています(原作者は『チャーリーとチョコレート工場』の未来版だと述べています)。厳しい現実に打ちのめされている人間が、現実の世界に希望を見出す展開も、人肌の温もりを追求した古典的な人間ドラマ(オアシスの創設者ハリデーと共同経営者モローのエピソードは、時代を超越して観る者の胸に迫ります)。 |