意外にもスピルバーグ初のミュージカル映画。ジェローム・ロビンス振付、ロバート・ワイズ監督の61年作『ウェスト・サイド物語』が名作として有名だが、スピルバーグはこの映画のリメイクではなく、あくまでオリジナルの舞台版を独自の解釈で映画化したものだと言っている。完成作を観ても、その意図はよく理解できる。 この企画は長年の夢だったそう。映画監督はよくそういう事を言うので、ついついリップ・サーヴィスかなと疑ってしまうが、スピルバーグにとってはこのミュージカルのサントラが初めて聴いたポピュラー音楽で、随分前から映画化は念願だったそうである。今こそ実現すべきだと背中を押したのは、妻のケイト・キャプショーとの事。 スピルバーグの資質がミュージカルの演出に向いている事は、まず疑いがない。キャメラ・ワークや編集、俳優の所作に音楽的なリズムが横溢している事はこのコーナーでしつこく指摘してきたし、『1941』でも『フック』でも、全編中もっとも画面が生き生きしていたのはミュージカル調の場面だった(『1941』でジルバ・コンテストの場面を演出したのが撮影期間で最高の3日間だったと本人も述懐している)。 本作もその点は素晴らしい。前半こそ、特にマンボの場面で、恐らくはドゥダメル指揮のオーケストラが意外にも慎重、冷静にすぎるせいで、感情的な高揚にブレーキがかかる感じはあるものの、街角のロケーションと人海戦術が功を奏した“アメリカ”で最初のクライマックスを迎え、息を飲むほどスリリングな“クール”を経て、“クインテット”で圧巻の白熱に達する。 叙情的な表現は、名曲“トゥナイト”も“サムウェア”も美しく、見事に演出されている。ワイズ監督の映画版は、スピルバーグも指摘する通り、舞台と映画のミックスみたいな仕上がりだった。背景はニューヨークのロケーションだが、ドラマ部分も、例えば男達が激昂して一斉に立ち上がる動作をぴたっと合わせるなど、様式的に振り付けられていた。 本作はより現代的なスタイルで、会話部分は普通の映画として進行し、ソング・ナンバーで自然にミュージカルへと移行する。オリジナルと違う点はあり、特に設定やドラマの背景は、脚本のクシュナーがより時代に即した、自然な流れで観客が受け入れられるように工夫している。 例えば“アメリカ”は舞台版も61年作も夜の屋上が舞台だったが、本作は街角のロケ映像を組み合わせた大規模なモブ・シーンになっている。“クール”は順序が決闘の前に移され、旧作ではダンスに参加していなかったトニーがリフと対等にやり合って、息詰まるような緊張関係を歌とダンスで表現する。プエルトリコ系の若い女性達が白人文化に憧れる不自然さに説得力を持たせるため、マリアの職業もデパートの清掃員に変更されている。“サムウェア”をバレンティーナが歌うという重大な変更点もある。 映像の天才が監督しているだけあって、どのナンバーも流れるように華麗なキャメラ・ワークに圧倒される。各ショットの構図や編集のリズムも素晴らしい。撮影のカミンスキーが指摘しているように、旧作撮影当時のキャメラは固定するしかなく、ダンサーがキャメラに煽られているような演出は望めなかった。現代の若手俳優たちも、重力を感じさせない身軽なステップが特色である。 唯一贅沢を言えば、若い頃のスピルバーグであったら、よりケレン味のある奇抜な演出も色々試しただろうし、そのアプローチはミュージカル映画に合っていただろうと思わなくもない。全体に遊び心はあまり無く、正攻法に徹したきらいはある。 良くも悪くも本作は、『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』や『B.F.G.』でさえそうであったように、ゼロ年代以降の重く暗いスピルバーグ映画の系譜に属してはいる。『ミュンヘン』『リンカーン』の脚本家が執筆しているだけの事はあるだろう。 |