スピルバーグの名を一躍有名にし、印象的なポスターと共に、動物パニック映画の新しい時代を切り開いた記念碑的作品。本作は当時の映画史上の興行記録を塗り替えた他、社会現象を巻き起こし、本来“顎”を意味する“ジョーズ”という単語は、本作以来“サメ”そのものを表す言い方として流布。サメの視点で撮られた一人称映像と、弦のザッザッザッというテーマ曲は数々のパロディを生み、コメディ映画からテレビ番組に至るまで、モンスターの襲撃表現として完全に定着しました。 既に指摘されているように、この映画の凄さは、サメそのものより水が恐いと観客に思わせた事にあります。本作の大ヒットによってその夏、各地の海水浴客が減ったとまで言われましたが、あながち大袈裟なニュースでもないかもしれません。実際にサメの姿が登場するカットは少なく、創意工夫に富んだユニークな映像表現によって、その脅威が見事に表現されます。例えば、賞金稼ぎの二人組が襲撃を受ける桟橋の場面では、破壊された桟橋のロープがサメに絡み付き、沖に向かって離れていった桟橋の残骸が、向きを変えて再び陸に向かってくるという表現で、サメの姿を見せずして恐ろしいシーンを作り上げています。 監督自身述べているように、本作と『激突!』には多くの共通点があり、演出もその前衛性とモダンな感覚を踏襲。後半の船の場面など、詩的で斬新な映像を盛り込んでリズミカルなモンタージュを行うなど、意欲的な映像構成が目立ちます。導入部などは、ホラー映画としては定番というか、王道を行く場面展開ですが、今の目で観ても、場面全体に漂う詩情の豊かさ、サスペンス演出の腕など全てが一級レベルで、いわゆるB級映画とは一線を画します。 役者の芝居も、細かいニュアンスまでよく計算されたもの。ダイアローグが優れている上、演技のバランスも周到に練られており、ブロディが珍しく激昂した所でフーパーが冷静にサメの到来を告げるといった、まるで音楽のような緩急が随所に付けられています。登場人物全員が一斉に喋るという混乱した場面もある一方、一人で悶々と悩むブロディのポーズを、子供が横で真似してゆくという、可愛らしくも暖かな場面もあるなど、とにかく構成が見事。 スリラー演出はやはりヒッチコックの影響が強く、音楽の使用を控え、ドキュメンタリックな映像のカットバックで不穏なムードを煽る手法を前半部の軸としています。これは『激突!』でも顕著にみられたアプローチで、その後も『未知との遭遇』や『1941』、プロデュース作の『ポルターガイスト』で映画の前半部分に応用しています。又、我先にと逃げ惑う群衆の描写で、子供の浮き輪を奪い取る人や転んだ人の背中を踏み越えてゆく人がいたりと、恐怖の中に皮肉とユーモアを織り交ぜるセンスもヒッチ風。ダイアローグにもふんだんにユーモアを盛り込んでいます。映像表現にも、例えば視界を横切る通行人を編集点に使ってカットバックしたり、ズームしながらキャメラを後退させるヒッチコックの手法等を導入。 脚本の構成は前半がスリラー、後半は海洋冒険物として作られています。ブロディ署長が心理的、物理的に孤立し、追いつめられてゆくという典型的なサスペンス劇の前半に対し、後半は脅威の対象が明らかになり、男達が海の上で繰り広げる冒険記といった所。音楽も、後半でがらっと雰囲気が変わり、勇壮で快活な、アドベンチャーの雰囲気が強く打ち出されています。 前半部の息詰るようなムードは、ブロディが町に赴任してきたばかりの他所者である事にも起因しています。ビーチでは彼の耳に、「この島で生まれた者しか島の人間とは認められない」旨の会話も入ってきます。さらに彼は、サメの脅威のせいで町の経済的利害と対立する措置を取らなければならない。観光産業はこの町の命綱であり、シーズン中の海岸封鎖などもってのほかという訳です。砂漠の中、一人ぼっちでトラックと戦った『激突!』の主人公と状況は近似しており、サスペンスのお膳立てとしては、心憎いばかりに巧妙な設定と言えるでしょう。 ちなみに最後にも、『激突!』との共通点を敢えて強調している箇所があります。サメが海底に沈んでゆく場面で、『激突!』のラストでトラックが崖を落ちてゆく所にダビングされた恐竜の声(昔の映画から採録したもの)が、再び重ね合わせているのです。これは隠し味というより、意識して聴くとはっきり分かる演出なので、興味のある人はぜひ較べてみて下さい。 |