カラー・パープル

The Color Purple

1985年、アメリカ (153分)

         

 監督:スティーヴン・スピルバーグ

 製作総指揮:ジョン・ピータース、ピーター・グーバー

 製作:スティーヴン・スピルバーグ、クィンシー・ジョーンズ

    キャスリン・ケネディ、フランク・マーシャル

 脚本:メノ・メイエス

 (原作:アリス・ウォーカー)

 撮影監督 : アレン・ダヴィオー , A.S.C.

 プロダクション・デザイナー:J・マイケル・リーヴァ

 衣装デザイナー: アギー・ジェラルド・ロジャース

 編集:マイケル・カーン

 音楽:クインシー・ジョーンズ

 第1助監督:パット・キーオ

 ユニット・プロダクション・マネージャー:ジェラルド・R・モーレン

 プロダクション・コーディネーター:ラタ・ライアン

 プロダクション・コントローラー:ボーン・ラドフォード

 DGAトレイニー:ブルース・コーエン

 美術監督:ボー・ウェルチ

 美術監督助手:ジョセフ・ネメック3世

 セット・デコレーター:リンダ・デシーナ

 イラストレーター:エド・ヴェロウ

 衣装デザイン:ジョアンナ・ジョンストン (セカンド・ユニット)

 編集助手:マーティン・コーエン

 ポスト・プロダクション・スーパーバイザー:アーサー・レポラ

 出演:ウーピー・ゴールドバーグ  ダニー・グローヴァー

    オプラ・ウィンフリー  マーガレット・エヴリー

    ウィラード・ピュー  アコースア・ブシア

    レイ・ドーン・チョン  アドルフ・シーザー

    ラリー・フィッシュバーン

* ストーリー 

 1906年、南部ジョージアの小さな町外れに住む黒人の一家。自らもまだ少女に過ぎないセリーは、二人も子供を産む。父親は、セリーが“父さん”と呼んでいる、病弱の母の連れ合いだった。彼女は後にミスターという男と結婚するが、強権的なミスターとの生活は過酷で、唯一の心の支えだった妹ネティとの仲も無理矢理引き裂かれてしまう。絶望するセリーだが、ミスターが町で恋人付き合いをしていた歌手のシャグと出会った事で、彼女の内面が少しずつ変わってゆく。

* コメント  

 スピルバーグが、本格的な人間ドラマに挑戦し、アカデミー賞を一部門も受賞しなかった事が話題を呼んだ作品。作品賞を『愛と哀しみの果て』が受賞し、『E.T.』が『ガンジー』に敗れた82年度と合わせて、スピルバーグがいかにハリウッドで嫌われているかが如実に示されました。しかし本作は、「どのシーンを切り取っても、映画を作った人々の愛で輝いている」と書いたロジャー・エバートをはじめ、多くの人達に高く評価された作品でもあります。黒澤明や山田洋次ら日本の映画人達も、当時この映画を絶賛しました。

 それまでのスピルバーグ作品は、ある短い期間に起った出来事を凝縮して描き込む傾向がありましたが、本作は歴史の流れを描いた叙事詩的な映画で、スピルバーグとしては初めて取り組むタイプの作品だったと言えます。原作者が付けた条件に従ってキャストとクルーの大多数に有色人種を起用し、音楽も『トワイライト・ゾーン』一作を除いてずっと組んできたジョン・ウィリアムズを外すなど、スピルバーグとしては異例ずくめの映画となりました。

 又、本作は上映時間が二時間半を越えた初めてのスピルバーグ作品で、様々な点に後の作に繋がってゆく要素が見え隠れします。もっとも、私自身は長い映画には懐疑的で、蓮實重彦一派の言う「二時間に収まらない映画は、どこかが間違っている」という考え方に賛成です。本作も、後半の展開の小気味良さと比べると、前半部はテンポに難がある印象。しかし脚本、演出は基本的に秀逸と感じられ、冗長な大河ドラマになりかねない題材を、優れた洞察力に基づく緻密な演技プランと語り口、詩情溢れる映像美によって卓抜な作品に仕上りました。

 演出面で特に顕著なのが、カットバックの効果的な多用。スピルバーグは必ずしも、(『E.T.』の理科室の場面のような成功例があるにしても)カットバックを好んで使う監督ではありませんが、本作では随所にこの手法を盛り込み、両場面の映像的、内容的対比によって、感情の起伏を相乗効果的に盛り上げています。教会にシャグ達が詰めかける場面はその好例ですが、印象的なのがネティの手紙のシーン。アフリカの生活を綴るネティの手紙は、ケニヤで撮影された迫力満点の映像で視覚化され、それを色々な場所で読むセリーの映像と共に、音楽に乗せて綴られてゆきます。これは、いかにもスピルバーグ的な映像的興奮と高揚感に満ちたシークエンスとして、特筆大書したい所。

繫げられています。こういう、映像のしりとりみたいな編集はスピルバーグの得意とする所で、本作でもそこここで開陳。タイトルの“カラー・パープル”からの連想として、お花畑をはじめ、映像に紫色を印象的に使ったカラー・パレットの選択も見事です。

 シニカルな調子で辛口の原作を口辺りの良いタッチに変え、性的に過激な場面も避けられているとの事で、映画はかなり批判を浴びました。しかし、私は小説と映画は全く無関係の別物で、原作と違うからダメな映画というのはナンセンスだと考えます(そもそも、観客の多くは原作を読んでいません)。あくまでも、原作にインスパイアされた個別の作品として観るべきだと思います。いかにもスピルバーグらしい、生き生きとした場面の数々(アルバートがデートの準備で慌てる場面や、ネティがセリーに文字の読み方を教えるシーンなど)は、彼とメノ・メイエスによる創意工夫の賜物として楽しむべきものでしょう。

 原作共々、男性批判、男性嫌悪的な内容が問題にされてきましたが、そういうのは木を見て森を見ずというのか、本質を見失っているように思います。本作は何よりも、「母親が子供を取り返す物語」という、スピルバーグがデビュー作以来繰り返し描いてきた主題を中心に据えた映画です。たまたまこの時代、この環境では男性が悪者になっているけれども、根幹となるテーマやストーリー自体は、極めて普遍的な問題を扱ったものと言えるのではないでしょうか。

 兎にも角にも、これほどクオリティの高い、優れた映画がアカデミー賞で一部門も受賞できず、監督賞に至ってはノミネートすらされないというのは、異常な事態という他ありません。スピルバーグに対してどのような個人的感情があるにせよ、『E.T.』や本作を無視して『ガンジー』や『愛と哀しみの果て』のような映画に投票するアカデミー会員達の気が知れませんね。映画人としてのセンスと良識を疑います。

* スタッフ

 ピューリッツァー賞を受賞の原作は、アリス・ウォーカーが自身の家族の歴史を元に書いたもの。この小説を書くために田舎に移り住み、自然の中に紫色が多い事に気付いた彼女は、タイトルを『カラー・パープル』と名付けます。製作者キャスリン・ケネディに薦められてこの本を読んだスピルバーグは、白人が監督する事で様々な攻撃にさらされるリスクを承知の上で、映画化したいと熱望します。当初は原作者自身に脚本化を持ちかけ、出来上がったシナリオにスピルバーグも満足していたそうですが、彼女はこれを気に入らず自ら破棄してしまったため、代わりの脚本家が求められました。

 ハリウッドはトップの脚本家をと指示したものの、スピルバーグは熱意を重視して一般から公募。面接では原作に対する思いを語ってもらい、彼が「信念の人」と呼ぶオランダの若手ライター、メノ・メイエスに白羽の矢が立ちます。手紙形式の原作を映画化するのに、ナレーションによるヴォイス・オーバーを使うという、単純ながら他のライターが誰も提案しなかったアイデアで脚本を構築したのが彼でした。原作者の信望も勝ち得たメイエスはスピルバーグからも重宝され、『最後のミッション』で続投した上に『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』の原案も執筆。その後の作品にも、アドバイザー的な立場で関わっているといわれます。

 製作にはマーシャル&ケネディとスピルバーグ自身の他、ミュージシャンのクインシー・ジョーンズがクレジットされています。彼が音楽を担当した事で、本作はジョン・ウィリアムズが作曲していない稀少なスピルバーグ作品の一本となりました。優しく親しみやすいテーマ曲をはじめ、穏やかなスコアが中心で、オーケストレーションのせいかウィリアムズと似た雰囲気もありますが、音楽性の点ではやはり一歩劣ります。楽想や和声の感覚が、やはりクラシック畑の人と根本的に違う、という感じでしょうか。

 この時期のスピルバーグ作品を支えたパット・キーオが助監督に付いている他、製作部の各セクションにジェラルド・R・モーレン、ラタ・ライアン、ボーン・ラドフォード、アーサー・レポラ、ブルース・コーエンなど、後のスピルバーグ関連作でプロデューサーとして辣腕を振るう人達が散らばっていて壮観です。ちなみに、ケニヤ・ロケのユニットでは製作者フランク・マーシャルが監督を務めており、その雄大な映像は、監督デビュー後の彼が撮った大自然映画、『生きてこそ』や『コンゴ』などを彷彿させるのも一興。

 撮影は『E.T.』『トワイライト・ゾーン』に続いてアレン・ダヴィオーが登板。彼のポエジー豊かな映像表現は、ショットに絵画のような美しさを与えており、私のような映画ファンを魅了する一方、悲惨な物語をおとぎ話にしてしまった張本人として、槍玉に挙げられる筆頭の人物かもしれません。要するに、過酷な現実を“美化している”という格好の批判材料を与えてしまった訳ですが、私は、映画表現とは広義の意味で“現実を美化する事”だと思っているので、こういう意見には微塵も賛同しません。ウォーカーの小説も“辛口の皮肉”という独自の視点で描かれている訳で、それも芸術的に言えばある種の美化です。現実をありのままに描くだけなら、映画作家も撮影監督も必要ありませんし、ニュース映画で十分ではないでしょうか。

 プロダクション・デザイナーは、同時期にスピルバーグが製作した『グーニーズ』も手掛けたJ・マイケル・リーヴァ。本作の美術セクションには才人が揃っていて、後にティム・バートン作品でデザイナーとして活躍するボー・ウェルチが美術監督に起用されている上、助手に付いているジョセフ・ネメック三世は、独り立ちした後『アビス』や『ターミネーター2』でジェームズ・キャメロンと組んでいます。

* キャスト

 主演のウーピー・ゴールドバーグは、ブロードウェイのワンマン・ショーで人気の喜劇女優でしたが、本作で映画デビューを飾り、その後『ゴースト』や『天使にラブ・ソングを…』のヒットで大スターになりました。本作では、特に前半はセリフが少ない事もあって抑制の効いた芝居が中心ですが、豊かな表情がそれを補って余りあるほどに雄弁。無類の映画マニアという共通項もあって意気投合したスピルバーグですが、彼女の顔が言葉と同じくらい感情を伝えられると分かり、彼女のセリフの25%を削除したそうです

 ミスター役のダニー・グローバーは、『プレイス・イン・ザ・ハート』で注目を集めていたものの、『リーサル・ウエポン』でブレイクする前ですから、公開当時の本作はスター映画ではありませんでした(スピルバーグは平素からあまりスターを起用しませんが、原作者も同じ意向だったそうです)。ミスターは、原作と映画に浴びせられた男性嫌悪テイストへの非難を一手に受けるような役柄ですが、彼が演じる事によってスピルバーグ好みの人間臭さやおかしさが役に滲み出た事で、ラストにおける彼の立ち位置に説得力が出ました。

 サイド・ストーリーで強烈な印象を残すソフィアを演じたのは、テレビのトーク番組でホストを務める人気タレント、オプラ・ウィンフリー。彼女もこれが映画デビューでしたが、その後は女優の仕事にあまり興味を示さず、ひたすら自分の番組を続けている所に好感が持てます。彼女はルックスも芝居も主演のウーピーと対照的で、映画に良いアクセントを付けています。シャグを演じたマーガレット・エヴリーも好演。第1候補のティナ・ターナーが断ったために起用されたそうですが、ティナ・ターナーが出演していたら映画が全然違う印象になったでしょうね。

 スピルバーグはリハーサルをせず、即興を取り入れて俳優達から意見やアイデアを募ったそうです。セリーとネティが別れさせられる迫真のシーンも、ワン・テイクで撮影。オプラ・ウィンフリーの食卓での見せ場もアドリブで、撮影当日に彼女が泣いているのを見かけたスピルバーグが「これは何かあるな」と直感し、彼女にキャメラの前で「思いを伝えて」と自由に演技させた結果だという事です。

 スピルバーグ映画には、思わぬ人がマイナーな頃に出ていたりしますが、本作ではスウェインという役を演じているラリー・フィッシュバーンが注目。『地獄の黙示録』の少年兵士役で注目された彼は、その後のフランシス・コッポラ作品の常連俳優となります。オスカーにノミネートされた『ティナ』以降は本名のローレンス・フィッシュバーンを名乗り、『マトリックス』シリーズのモーフィアス役で広く知られるようになりました。

* アカデミー賞

 ◎ノミネート/作品賞、主演女優賞、助演女優賞、脚色賞、撮影賞

        美術監督・装置賞、衣装デザイン賞、作曲賞、歌曲賞

 

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