太陽の帝国

Empire Of The Sun

1987年、アメリカ (152分)

         

 監督:スティーヴン・スピルバーグ

 製作総指揮:ロバート・シャピロ

 製作:スティーヴン・スピルバーグ

    キャスリン・ケネディ、フランク・マーシャル

 共同製作:クリス・ケニー

 脚本:トム・ストッパード

 (原作:J・G・バラード)

 撮影監督 : アレン・ダヴィオー , A.S.C.

 プロダクション・デザイナー:ノーマン・レイノルズ

 衣装デザイナー:ボブ・リングウッド

 編集:マイケル・カーン

 音楽:ジョン・ウィリアムズ

 第1助監督:デヴィッド・トンブリン

 プロダクション・コントローラー:ボーン・ラドフォード

 美術監督助手:ギャヴィン・ボケット

 プロダクション・イラストレーター: エド・ヴェロウ

 共同編集:コリン・ウィルソン、マーティン・コーエン

 ポスト・プロダクション・スーパーバイザー:アーサー・レポラ

 航空撮影ユニット追加効果製作:デニス・ミューレン

 出演:クリスチャン・ベール  ジョン・マルコヴィッチ

    ミランダ・リチャードソン  ナイジェル・ヘイヴァース

    ジョー・パントリアーノ  伊武雅刀

    片岡孝太郎   ガッツ石松

    ルパート・フレイザー  ベン・スティラー

* ストーリー 

 1941年、上海。英国租界の邸宅に両親と住む少年ジムは、空を飛ぶ事に憧れ、上海を侵略しつつあった日本軍のゼロ戦パイロットになる事が夢だった。しかし、安全と思われた欧州人達の租界にも日本軍の侵略が開始され、混乱の中、ジムは両親と離ればなれになってしまう。街中をさまよって両親を捜す中、たまたま出会ったアメリカ人のベイシーらに何とか救われるが、彼ら共々やがて日本軍に捕まり、捕虜収容所での過酷な生活が始まった。

* コメント  

 『カラー・パープル』に続き、再び史実と原作者の実体験に基づく物語を、現実世界で展開した大作。シリアスな作品としてはスピルバーグが初めて撮った戦争映画でもありますが、後の作品ほど観客を抜き差しならぬ緊張状態に置く事はなく、当初監督する事が予定されていた巨匠デヴィッド・リーンの作風が意識されているかもしれません。『カラー・パープル』も本作も、公開当時はあまりスピルバーグらしくない、よそよそしい映画に感じられたものですが、90年代以降の、虚飾を排したストイックな作風を知った今では、これ以上ない程スピルバーグらしい映画に見えるから不思議です。

 上映時間は二時間半を越えますが、各場面が凝集された表現力を備え、緊張の糸を途切れさせないので、後の作品ほど長大には感じさせません。逆光を多用したアレン・ダヴィオーの詩的なキャメラ・ワークを始め、80年代のスピルバーグを象徴するような演出手法が随所に見られるのも特徴の一つ。大規模なスペクタクル・シーンを嬉々として振付け、デザインするスピルバーグの手腕は、正に水を得た魚のようです。

 その意味では、90年代以降のスピルバーグならこんな描き方はしないだろうな、と思わせる場面もたくさんあります。具体的には撮影監督ヤヌス・カミンスキーと出会った『シンドラーのリスト』以降という事ですが、その後のスピルバーグ演出は、ディズニー・アニメやヒッチコック由来のリズミカルで装飾的なタッチをどんどん削ぎ落してゆき、より即物的、機能的な演出へとシフトしてゆく訳で、本作でのスピルバーグはまだ、素材に対する感覚的なリアクションや映像的興奮を隠そうとはしてはいません。

 例えば、打ち捨てられたゼロ戦に乗り込んだジムが空想を羽ばたかせる場面や、その後に丘の上から日本軍を発見するくだり、収容所でトラックから下ろされるジム達の姿から、捕虜が強制労働させられている広大な敷地の全景に繋ぐクレーン・ショットなど、ダイナミックで派手なテクニックを使った場面も多々ある他、床に散乱した粉に付いた足跡が侵略の事実を伝えるシーンや、ジムが収容所の外へ抜け出す場面など、得意のサスペンスフルな描写も事欠きません。又、ジムの家の前にいた中国人の物乞いと、収容所の欧米人達が同じように皿を叩いて食べ物を要求するなど、これ又お得意の映像的連想も、あちこちにみられます。

 本作も『カラー・パープル』と同様に叙事詩的な構成の映画ですが、主人公の少年の視点で描かれているために、テイストとしては叙情詩寄りに感じられるのがスピルバーグらしい所です。空想的な場面があちこちに挿入されるのは、スピルバーグ自身が語っている通り、原作者が実体験そのままでなく、「こうだったらいいのに」という願望を盛り込みながら物語を綴っているからで、それがノンフィクションと小説、ドキュメンタリーと映画の本質的差異という事なのでしょう。

 例えば、ホテルの窓から見えた日本軍戦艦のモールス信号にジムが応答するくだりや、強制労働の最中にゼロ戦に魅了されたジムが日本兵と敬礼しあう場面、神風特攻隊として出兵する兵士達の歌にジムが聖歌を合わせ、ナガタ軍曹が涙ぐむ感傷的なシーンなど、どれも現実には起こりえなかったであろうエピソードで、それを強調するためか、どれも幻想的と言えるほどに美しい映像で描写されています。特攻隊の歌の場面などは、夕暮れ時のオレンジ色で彩色されていながら、直後に戦闘が始まると、まるで現実に引き戻されたかのごとく日中の太陽光が戻ってきます。

 語り手の価値観も子供らしく純真で、主人公は最初の内、「この戦争、どっちが勝つかな?」と他人事のように考えていて、父親に「最新鋭の兵器を備える日本が勝つ。僕は大きくなったら日本軍に入りたい」などと言って呆れられたりします。前半部では平穏な日常生活が奪われてゆく恐怖、後半はサヴァイヴァルの恐怖を描きながら、後年の作品ほど切迫した緊張感がないのは、子供の視点で描かれているからかもしれません。事実、原作者バラードは当時を振り返って「子供だったからそういう環境にも馴染んで、それなりに楽しかった」と語っており、躍動的な音楽と共に生き生きと活写される物々交換のモンタージュなど、そういう感覚を如実に反映した場面もあります。

 しかし勿論、気楽な映画ではありません。安泰な筈だった日々の生活がどんどん危うくなってゆく不安感や、戦争が始まった際の混乱した状況、非常時における各自の人間性の表出など、真に迫ったリアルさの追求は、それが映画である事を忘れるほど、観客の心にヴィヴィッドに訴えかける力が強いです。混乱の中で追い立てられる群衆の姿は、ここでは上海在住の欧米人達ですが、そのまま『シンドラーのリスト』のユダヤ人や『アミスタッド』のアフリカ人、そして『宇宙戦争』で難民化したアメリカ人達の姿に、イメージが繋がります。

 全体に、やや感傷的な傾向はあるものの、さすがは才人トム・ストッパードの脚本だけあって、鋭い人間観察眼と傑出した作劇術、卓抜な構成力が光る、見事な映画です。日本人としては複雑な想いも去来する題材ですが、普遍的な感覚を持って一歩引いて観れば、人間の性質、その美点や短所を多彩な切り口で提示してみせる、優れた映画だけが持ちうる特質を、本作もふんだんに持ち合わせている事が痛感できるでしょう。スピルバーグらしいタッチ満載でエンタメ色も兼ね備えている点では、後の映画、例えば『アミスタッド』や『プライベート・ライアン』、『ミュンヘン』などより親しみやすく感じられるかもしれません。

* スタッフ

 プロデューサーはケネディ/マーシャルのコンビに、スピルバーグ自身が参加。元々映画化権を所有していたのはデヴィッド・リーンで、スピルバーグ製作の元、彼が敬愛するリーンが監督するというプロジェクトとして進められていました。やがて題材が他の作品に変更され、プロジェクト自体も立ち消えになりますが、スピルバーグはバラードの原作を自分で映画化したいと考えるようになります。

 脚本は英国演劇界の鬼才トム・ストッパードで、有名な戯曲『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』の他、我が国では大作『コースト・オブ・ユートピア』も蜷川幸雄演出で上演され、話題を呼びました。映画界でも際立った活躍が目立ち、本作の前には『未来世紀ブラジル』で脚光を浴びた上、後年『恋に落ちたシェイクスピア』でアカデミー脚本賞を受賞。本作では、ニューウェイヴSFの旗手J・G・バラードの原作を、監督の依頼通り忠実にシナリオ化しましたが、原作者と同じくチェコ生まれの彼は、シンガポールに住んでいた幼少時代に日本軍の侵攻を経験した事もあり、この仕事に強い意欲を示したと伝えられます。

 本作で高評価を得たストッパードは、スピルバーグから非公式の脚本エディターになってくれと頼まれ、その後の1年間、アンブリンが抱える全てのプロジェクトに目を通し、アドバイザー的に関わったそうです。同じくノン・クレジットで脚本に協力したのが、『カラー・パープル』のメノ・メイエス。スピルバーグは、脚本段階で色々な脚本家のテイストを取捨選択するのが好きだそうで、こういう事はよく行われているようです。

 撮影は、この時期のスピルバーグ作品に欠かせないアレン・ダヴィオーですが、彼のギャランティが上がったのか、スケジュールのせいか、それとも仲違いがあったのか、ともかく本作が最後のコラボレーションとなってしまいました。その後のスピルバーグは、他の撮影監督と試行錯誤的なコラボを続け、盟友ヤヌス・カミンスキーと出会います。ダヴィオーも他の監督と数作で組みましたが、その後は華々しい活躍が見られず残念。本作での叙情的な美しい光の表現と、ダイナミックでスケールの大きな画作りは圧巻です。

 プロダクション・デザイナーは、『スター・ウォーズ』シリーズや『レイダース』のノーマン・レイノルズ。ボブ・リングウッドの衣装共々、見事な仕事っぷりです。後に『スター・ウォーズ』新シリーズのプロダクション・デザインを担当するギャビン・ボケットも、美術監督の助手として参加。世界各国でロケハンされましたが、中国と欧州の雰囲気が融合した上海特有の風景を再現できる都市は他になく、結果的にハリウッドで初めて中国ロケの許可を取り付けた作品となりました。

 中国では撮影期間が制限されたため、室内の場面はロンドンのスタジオでセット撮影した他、収容所と滑走路の大規模なオープン・セットを、スペインのヘレス近くに建築。ここは『エル・シド』や『アラビアのロレンス』など、過去20年間の超大作や西部劇のほとんどが撮影された映画ファンの聖地で、収容所のセットには黒澤明監督の『羅生門』(ここで撮影された映画ではありませんが)を彷彿させる崩れた大門も作られました。

 音楽は再びジョン・ウィリアムズが復帰。冒頭の教会の場面の聖歌を戦場シーンで効果的に使うなど、ワザ師的なテクニック(スピルバーグのアイデアかもしれません)は随所に見られますが、音楽そのものは印象的なフレーズに乏しく、裏方に徹した印象。編集はいつも通りマイケル・カーンで、『レイダース』『インディ・ジョーンズ』で助手に付いていたコリン・ウィルソンが共同編集者にクレジットされています。彼は、後にプロデューサーとしてスピルバーグ作品の数々で辣腕を振るう人物なので、注目したい所。

* キャスト

 当時は地味に思われたキャスティングですが、主役を演じたクリスチャン・ベール少年が、後にバットマン俳優として、あるいは“やり過ぎ”俳優としてブレイクした他、『マトリックス』など個性的な悪役で有名になったジョー・パントリアーノがそこそこ目立つ役で出ているし、後に『メリーに首ったけ』や『ミート・ザ・ペアレンツ』で活躍するコメディアン、ベン・スティラーが役者デビューを飾っているなど、今の目で見ると結構な豪華配役でもあります。

 準主役級でも、映画ファン好みの名優と相成ったジョン・マルコヴィッチがアメリカ人ベイシー、ミランダ・リチャードソンが収容所で出会うヴィクター夫人を演じています。本作の公開当時も、前者は『プレイス・イン・ザ・ハート』『キリング・フィールド』、後者は『ダンス・ウィズ・ア・ストレンジャー』で既に注目されてはいましたが、当時としてはスピルバーグ好みの渋い配役だったと思われます。収容所のローリンズ医師を演じた、『炎のランナー』『インドへの道』のナイジェル・ヘイヴァースも同様。顔立ちからして、いかにもスピルバーグ映画の出演者っぽいです。

 日本勢では、ガッツ石松やコミカルなトラック運転手役の山田隆夫(「笑点」の山田君です)なども出ていますが、ナガタ軍曹役の伊武雅刀が、収容所の恐怖支配を一手に引き受ける大きな役どころで好演。まだ若い頃の伊武氏ではありますが、そのアクの強い風貌は、悪役っぽい立場を象徴するのにひと役買っています(マルコヴィッチもそれ以上にアクの強い顔ですけど)。

 原作者バラードも、ジムの家の仮装パーティーのシーンに、ジョンブル(典型的英国人)の服装でカメオ出演。ちなみに出演はしていませんが、ジム役のテストで子供達の本読みの相手に選ばれたのは、当時は女優のヘレン・ミレンと暮らしながらペンキ塗りの仕事をしていた、駆け出し時代のリーアム・ニーソンだそうです。それからたった6年後に、『シンドラーのリスト』でニーソンが主役を張る事を考えると、感慨深いものがありますね。

* アカデミー賞

 ◎ノミネート/撮影賞、美術監督・装置賞、衣装デザイン賞、編集賞、作曲賞、音響賞

 

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