『カラー・パープル』に続き、再び史実と原作者の実体験に基づく物語を、現実世界で展開した大作。シリアスな作品としてはスピルバーグが初めて撮った戦争映画でもありますが、後の作品ほど観客を抜き差しならぬ緊張状態に置く事はなく、当初監督する事が予定されていた巨匠デヴィッド・リーンの作風が意識されているかもしれません。『カラー・パープル』も本作も、公開当時はあまりスピルバーグらしくない、よそよそしい映画に感じられたものですが、90年代以降の、虚飾を排したストイックな作風を知った今では、これ以上ない程スピルバーグらしい映画に見えるから不思議です。 上映時間は二時間半を越えますが、各場面が凝集された表現力を備え、緊張の糸を途切れさせないので、後の作品ほど長大には感じさせません。逆光を多用したアレン・ダヴィオーの詩的なキャメラ・ワークを始め、80年代のスピルバーグを象徴するような演出手法が随所に見られるのも特徴の一つ。大規模なスペクタクル・シーンを嬉々として振付け、デザインするスピルバーグの手腕は、正に水を得た魚のようです。 その意味では、90年代以降のスピルバーグならこんな描き方はしないだろうな、と思わせる場面もたくさんあります。具体的には撮影監督ヤヌス・カミンスキーと出会った『シンドラーのリスト』以降という事ですが、その後のスピルバーグ演出は、ディズニー・アニメやヒッチコック由来のリズミカルで装飾的なタッチをどんどん削ぎ落してゆき、より即物的、機能的な演出へとシフトしてゆく訳で、本作でのスピルバーグはまだ、素材に対する感覚的なリアクションや映像的興奮を隠そうとはしてはいません。 例えば、打ち捨てられたゼロ戦に乗り込んだジムが空想を羽ばたかせる場面や、その後に丘の上から日本軍を発見するくだり、収容所でトラックから下ろされるジム達の姿から、捕虜が強制労働させられている広大な敷地の全景に繋ぐクレーン・ショットなど、ダイナミックで派手なテクニックを使った場面も多々ある他、床に散乱した粉に付いた足跡が侵略の事実を伝えるシーンや、ジムが収容所の外へ抜け出す場面など、得意のサスペンスフルな描写も事欠きません。又、ジムの家の前にいた中国人の物乞いと、収容所の欧米人達が同じように皿を叩いて食べ物を要求するなど、これ又お得意の映像的連想も、あちこちにみられます。 本作も『カラー・パープル』と同様に叙事詩的な構成の映画ですが、主人公の少年の視点で描かれているために、テイストとしては叙情詩寄りに感じられるのがスピルバーグらしい所です。空想的な場面があちこちに挿入されるのは、スピルバーグ自身が語っている通り、原作者が実体験そのままでなく、「こうだったらいいのに」という願望を盛り込みながら物語を綴っているからで、それがノンフィクションと小説、ドキュメンタリーと映画の本質的差異という事なのでしょう。 例えば、ホテルの窓から見えた日本軍戦艦のモールス信号にジムが応答するくだりや、強制労働の最中にゼロ戦に魅了されたジムが日本兵と敬礼しあう場面、神風特攻隊として出兵する兵士達の歌にジムが聖歌を合わせ、ナガタ軍曹が涙ぐむ感傷的なシーンなど、どれも現実には起こりえなかったであろうエピソードで、それを強調するためか、どれも幻想的と言えるほどに美しい映像で描写されています。特攻隊の歌の場面などは、夕暮れ時のオレンジ色で彩色されていながら、直後に戦闘が始まると、まるで現実に引き戻されたかのごとく日中の太陽光が戻ってきます。 語り手の価値観も子供らしく純真で、主人公は最初の内、「この戦争、どっちが勝つかな?」と他人事のように考えていて、父親に「最新鋭の兵器を備える日本が勝つ。僕は大きくなったら日本軍に入りたい」などと言って呆れられたりします。前半部では平穏な日常生活が奪われてゆく恐怖、後半はサヴァイヴァルの恐怖を描きながら、後年の作品ほど切迫した緊張感がないのは、子供の視点で描かれているからかもしれません。事実、原作者バラードは当時を振り返って「子供だったからそういう環境にも馴染んで、それなりに楽しかった」と語っており、躍動的な音楽と共に生き生きと活写される物々交換のモンタージュなど、そういう感覚を如実に反映した場面もあります。 しかし勿論、気楽な映画ではありません。安泰な筈だった日々の生活がどんどん危うくなってゆく不安感や、戦争が始まった際の混乱した状況、非常時における各自の人間性の表出など、真に迫ったリアルさの追求は、それが映画である事を忘れるほど、観客の心にヴィヴィッドに訴えかける力が強いです。混乱の中で追い立てられる群衆の姿は、ここでは上海在住の欧米人達ですが、そのまま『シンドラーのリスト』のユダヤ人や『アミスタッド』のアフリカ人、そして『宇宙戦争』で難民化したアメリカ人達の姿に、イメージが繋がります。 全体に、やや感傷的な傾向はあるものの、さすがは才人トム・ストッパードの脚本だけあって、鋭い人間観察眼と傑出した作劇術、卓抜な構成力が光る、見事な映画です。日本人としては複雑な想いも去来する題材ですが、普遍的な感覚を持って一歩引いて観れば、人間の性質、その美点や短所を多彩な切り口で提示してみせる、優れた映画だけが持ちうる特質を、本作もふんだんに持ち合わせている事が痛感できるでしょう。スピルバーグらしいタッチ満載でエンタメ色も兼ね備えている点では、後の映画、例えば『アミスタッド』や『プライベート・ライアン』、『ミュンヘン』などより親しみやすく感じられるかもしれません。 |